〜2016年9月18日朝〜
「今日はお前、普通に起こすんだな」
翌朝、俺は幼馴染に言う。昨日の頭痛が嘘のように爽やかな起床だった。
「普通って何よ。意味分かんない」
いつもの朝なら、ユリエは竹刀でど突いてきたり背負い投げをしてくるはずなのに、今日はただ大声で怒鳴ってカーテンを思いっきり開けるだけだった。
いや、何を考えているのだろう。ユリエはいつもこうやって俺を起こしていてくれたはずだ。
――クソ、またこの違和感か。
昨日からずっと感じているこの違和感。まるで記憶が混在している感じだ。
「そういや、お前柔道部の朝練はないのか?」
「えっ?柔道?私帰宅部よ?」
ダメだ。いちいち会話が通じない。しかし、俺の記憶がユリエは運動嫌いで中学の時からずっと帰宅部だったことを説明してくれた。
「もういいや。早く学校行こう」
「ちょっと何なのよ!」
俺はユリエと会話することを諦めて学校に行く。ここでも母は共働きで、しかも俺もユリエも朝食を取らない派らしいので、朝食はなかった。
「えっ誰お前」
いつものように会議のため部室を訪れた俺を出迎えたのは見知らぬ小男だった。身長はネコミとどっこいどっこいといったところだろうか。
「……」
小男はおびえたような表情で足早に部室を出ていく。
「二人とも十分遅刻にゃ。文化祭の話し合いしなきゃだめだから、早く席に着くにゃ」眼鏡をかけて集中モードのネコミが俺達を注意する。
「あ、あぁ……」
俺はいそいそと席に着く。何事もなかったかのように文化祭に向けて着々と準備を進めていく一同。
――今の男は新入部員か?でもそんな話聞いたことないし、何で今更!?
どうしても気になった俺はネコミに聞くことにした。
「なぁ、ネコミ。さっき出て行った奴、一体誰だ?」
ネコミは怪訝そうな顔を浮かべる。
「出て行った奴?ネズミのことかにゃ?」
「ネズミ?動物の?」
「ネズミはネズミだにゃ。苗字が根津で、ネズミのようにこそこそしているからネズミだにゃ。にいにいが付けたあだ名だにゃ」ネコミは当たり前のことをいうように言う。
「さっきはアイツにジュース買いに行かせたんだにゃ。にいにいは忘れんぼさんだにゃ」
ネズミ。その男のことは俺の記憶が説明してくれた。根津明夫、通称ネズミ。俺達と同時期に入ってきた、俺とユリエの同回生。
根津明夫。俺は昨日の晩のゲームを思い出していた。
根津明夫殺す根津明夫殺す根津明夫殺す根津明夫殺す根津明夫殺す
ゲームで出てきただけの名前をどうして現実で聞くことになっているのだろうか。
「アイツ帰ってきたんじゃない?」カオリ先輩が言う。
俺が振り向くが早いか、ユリエは立ち上がってネズミのところに向かう。
そして、唐突にネズミの腹を思いっきり蹴った。
時間が止まったかのようだった。しかし、周りは特に反応しない。いつも通りの日常、といった感じでユリエとネズミのやり取りを見ている。
「二秒遅刻ね。やっぱアンタ使えないわ」ユリエは冷たく言い放つ。「しかもコーヒー牛乳?私は今日はイチゴミルクが飲みたかったのよ」
「後で文句言うなんて、ユリエちゃん随分無茶苦茶だよね~」カオリ先輩は面白そうに言う。
「そんな生きる価値のないあなたには罰ゲームね」ユリエがそういうと、ポケットからハサミを取り出す。
「これで手首切って死んで。出来なかったらもっとひどい罰ゲームやるから」
ネズミはユリエを睨みつける。しかし、その瞳には怯えがあった。ネズミは観念してハサミを自分の手首に当てがって手の震えを抑えながらなんとか切ろうとする。
他のメンバーはそれを面白そうに見ていた。
俺は動けずにいた。この小男をどうしてメンバーが虐めているのか分からなかった、助けなきゃ、という気持ちより前に、俺自身がこのやり取りを日常として楽しんでいる自分がいるのを見つけた。
またこれだ。この感覚。
「早くしてよ。あんたのせいで時間が押してるのよ」
「文化祭に間に合わなくなったらコイツにステージの上で裸踊りでもやってもらおうかにゃ」
「あっいいねそれ。さすがネコミちゃん」
そんなメンバーのやり取りを見て、俺は恐ろしくなった。
――何でみんなこの小男を虐めているんだろう。
みんなそんなことをするはずないのに。
正直仲間の自分が知らなかった側面という言葉で片付けられないほど、その光景は異様だった。自分がよく知っているはずの仲間達が見知らぬ小男を虐め、嘲り、悪意をぶつけている。
しかし、恐ろしく思う傍らこの状況を楽しんでいる自分もいた。
――面白い。もっとやれ。
そんな風に思っている自分がいた。俺は一体どうしたんだろう。俺はこんな残虐な性格だったのだろうか。分からない。自分が分からない。
「はい、できなかったから罰ゲームね」
気付くと、ネズミが息も絶え絶えになってユリエを睨みつけていた。
「あんた、閉所恐怖症だっけ?昔虐められて掃除用具入れに一日中閉じ込められたんだよね?」
ネズミは何も言わない。ただ睨みつけているだけだ。
「でも、感謝しなさい。私が直々にあんたの恐怖症を治してあげる」
ユリエの一言を待っていたかのように、カオリ先輩がネズミを抑えて近くの掃除用具入れに押し込もうとする。ネズミは必死の形相で逃げようとする。それを見て笑うアニ研メンバー達。
俺は、反射的に席を立っていた。
「にいにい、どうしたんだにゃ?」ネコミが聞いてくる。
「俺、今日ちょっと気分悪いから早めに抜けるわ」
「ちょ、勝手なこと言わないでよ!ちょっと!」
俺はユリエの制止を振り切り、一人部室を後にした。
「○○県××市△△区▽▽町○―○―○か・・・」
俺は学校から出て真っ先に昨日の夜黒い本に書かれていた住所に向かっていた。
その住所は俺の近所だった。学校前の川沿いを抜け、住宅地に入ると、少し暗く不気味な住宅街に出た。
前にもここに来たような気がする。しかしどこだったか。不気味な雰囲気の中を先に進む。
そして、住所の場所に来て俺はようやく思い出した。黒い塊、二つに折り重なった、黒焦げの人間の死体。
あの本に書かれていた住所は、かつて黒焦げの焼死体を見つけた時の場所だった。
しばらくしまい込んでいたあの記憶が、吐き気とともに蘇ってくる。
「クソ……」
どうしてこの住所があの時の死体があった場所なんだろうか。あの黒い本に書かれていた住所は間違いなくここを指し示している、ということはあの二つの消えた死体がゲームに関係あるのは間違いない。しかし、どういう関係があるのかはさっぱり分からなかった。
――ここに立ち止まってたらまたあの時の死体を見てしまうかもしれない。
俺は足早にそこを立ち去ろうとして、ふと近くにある表札の名前を見る。
根津
根津。根津明夫。あのネズミという男の本名、そしてあのゲームの中で見た机に書かれていた名前。
それがここにある。
――いや、気のせいだ。根津さんなんて名前いくらでもいる。関係ないはずだ。
俺は足早に、逃げるようにその場を去った。




