赤髪ちゃんのハニートラップ
タイトルはハニートラップですけど、それほどエロくないです。
字数の制限を気にせずにじっくりと書けたと思います。
前話は他のサイトに載せる都合で4000字にまとめていたので……。
つまらなかったらごめんなさい。
化石になった赤髪ちゃんを警察に渡した翌日。
おれは普段通りに家でラノベを読んでいた。昨日と違うのは、家にパートが休みの母親がいることぐらいだろうか。
家の電話が鳴って、しばらくすると階下からかあさんに呼ばれた。
携帯でなくて家電にかけてくるなんて誰だろうか。
一階に降りると、かあさんはにっこりと笑って「女の子よ」と告げ、コードレスの受話器を渡してきた。
受話器を持って再び二階の自室へと階段を上がる。
その間にも、受話器の向こうからは、聞き覚えのある不吉な声がべらべらとまくし立てていた。
まあ、正直にいうと女の子から電話っていう時点で多少のドキドキはあったわけだが……。それも自室に戻る頃には霧散していた。
「もしもし、もしもーし。ねえ聞いてる? せっかく美少女の幼なじみが映画に誘ってるっていうのに……」
「赤髪ちゃん、アンタに一つだけ言いたいことがある」
「ん、なに?」
「幼なじみっていうのは……幼なじみっていうのはなあっ!」
おれは血反吐を吐く思いで告げる。いや、吠える。
「おれがいくら容姿、性格、成績、運動、全て揃った人間だっていってもなあ! どれだけ努力しようと、金払おうと、頑張ろうと、後悔しようと、呪おうとも、感謝しようとも、何をどうしたって――」
「え、でもけっこう平凡……」
「うっせえボケ! いいか、聞け! 彼女も嫁も娘もこの先頑張ればどうにかできるかもしれねえんだ。妹だって、ある日急に腹違いの妹が転がり込んでくるかもしれねえ、そこには可能性という名の希望があるんだ! でもっ、幼なじみだけは……幼なじみだけはなっ、一切の希望がねえんだよ! どれだけ幼稚園の頃からやりなおしたいって思っても時間は戻らねえんだ。もしかして、小さな手で指切りした婚約を忘れてるだけかもしれないって逆行催眠まで試したって無駄だったんだよ!」
「た、試したんだ……」
「気軽に人の絶望に踏み込むなよ。それから、おれは危険な異世界など絶対に行かない! おれに未練があるのはよくわかるが、諦めて他をあたってくれ。以上だ! じゃあな!」
「……ひぐっ」
泣きじゃくるような声が受話器の向こうから聞こえてきたが、おれは容赦なくボタンを押して通話を切った。
…………。
仕方ないだろ。
昨日、おれは一歩間違えば本気であっちの世界に行ってしまうところだったんだ。けっこう本気で、命がけで助けてやろうかと考えてしまった。
冷静に考えてみれば、相手がおばあちゃんだろうが美少女だろうが生還の見込みがない異世界など、行ってたまるか。
◆
それから何事もなく翌日を過ごし、二日後の夜のことだった。
おれは家族と和やかに夕食をとっていた。
食卓にはねえちゃんとかあさんがいる。とうさんは仕事で遅くなるそうだった。
「今日の唐揚げはちょっと手間かけてみたんだけど。……どう?」
「おおっ。うめえ!」
おれが歓声をあげると、かあさんの顔がほころび、横からねえちゃんの箸がのびてきた。
「うん、いつもより美味しい。今度あたしにも教えて」
「ねえちゃん、なんでまだ自分のがあるのにおれの皿から取るんだよ」
「あんたの皿の唐揚げを取ればその分多く食べられるからだけど?」
当たり前じゃん、と言わんばかりの顔つきだった。
姉ちゃんは明るいショートカットをした大学生だ。若干釣り目がちで、可愛さという要素は見当たらないが美人といえば美人だと思う。スタイルがよく、細身でイタチのようなイメージだ。
「ほらほら、ケンカしないで。向こうにまだたくさんあるからね」
かあさんはねえちゃんとは対照的に柔和な顔つきをしていて、おっとりした人だ。
「まったく、おれは姉よりも、かあさんに似た優しい妹が欲しかったよ」
「あら、まあ」
微笑むかあさん。ねえちゃんはすぐに怒って反論してくるだろうと思ったが。
「……そうなんだ。あたしは、あんたの姉に生まれてよかったと思ってるけど……」
意外なことに、ねえちゃんはしんみりと顔を俯けた。
予想外の反応だったので泡を食ってしまう。
「あ、今のは……その……いや、いつもの冗談だぞ。ほんとはそんな……」
すると、無表情でこう言われた。
「いや、だってさあ。遺伝の都合からして、一歩間違ってたらあんたに生まれてたかもしれないからね……そう考えるとぞっとするよ」
「……もちろんそっちも冗談なんだよな?」
おれのけっこうマジな問いかけは、食卓の上に虚しく浮いたままだった。
その亀裂の入った談笑を打ち砕くように、インターホンが鳴った。いやな予感がしたおれは誰よりも早く立ち上がり、リビングの壁に設えられたカメラを確認する。真っ赤な髪色のツインテールが見えた。
昨日はなんのアクションもなかったからもう諦めてくれたと思っていたのだが……。
居留守を使いたいが、かあさんは誰が来たのか気にしている様子だ。しぶしぶ通話を始める。
切羽詰まったような声が受話器の向こうで響いた。
「お願い助けて! 追われてるんです」
「……近くに交番があるから、おまわりさんに助けてもらいなさい」
「そのおまわりさんに追われてるんです」
コイツ、何やらかしたんだよ。
「……よし、わかった。待ってろ、今追手を増やしてやるからな」
赤髪ちゃんはインターホンの向こうで「ひぐっ」と泣き顔を作った後、振り返って走り去った。
夏の夜。インターホン越しに、虫の声がのどかに響いていた。
…………。
恨むなよ、赤髪ちゃん。
「もしかして、おととい電話くれた女の子?」
再びテーブルに着いたおれに、かあさんが楽しげに尋ねた。
「……まあね」
「女の子なんて珍しい。なんの用事があってあんたに会いに来んのよ」
ねえちゃんは何かを口一杯に頬張りながらも器用に喋った。おれの皿から唐揚げが完全に消えていたので、後でおかわりをもらうことにする。
「わかるだろ、思春期女子の事情ってヤツだよ」
「ぜんっぜんわかんないなー。あんた、その子の弱みでも握ってんの?」
「彼女は、おれが、好きなんだよ」
「母さん聞いた? また嘘ついたよコイツ」
……確かに嘘だが。いや、彼女がおれに気がないとは限らないから嘘じゃないかもしれないが。というか、そう考えると嘘じゃないだろう。好きでもないのに異世界に勧誘しないだろう。はっきり聞いていないけどさ。
それはそうとして、ねえちゃんよ。あんたの弟だぜ、もうちっと信頼しろよ。
「それにしても、せっかく来てくれたんだから……。会いもしないで追い返すのはちょっとかわいそうなんじゃないかしら?」
かあさんのいうことはもっともだ。
「あー、それは、まあ……」
「なんかあたしらにバラされちゃ困ることでもあんのよ、コイツ」
「コラ、おねえちゃんはまたそんなこと言って……。ねえ、そんなことないわよね?」
「おれはかあさんの息子だよ? 本当はおれだってもっと優しく関係を断りたいけどさ。……おれだってそれほど器用じゃないんだぜ」
「うわ……サム。あたし、絶対あんたの勘違いだと思うよ」
姉ちゃんは特に興味もなさそうにそう吐き捨てた。
「どんな女の子なのか母さんは知らないけど、男の子なんだから、優しさは忘れちゃダメよ?」
「まあ……いろいろあるんだよ」
いろいろの中身は言えないが……。
生還率ゼロの異世界に連れ去られようとしているなどと、幸せそうなかあさんには絶対言えない。
おれにはこうして一緒に飯を食う家族がいる。
赤髪ちゃんがなんど来ても、諦めてくれるまで追い返すだけだ。
◆
翌日。
枕に頭を預けたまま目が覚めた。
ぼやけた視界が焦点を結ぶと、目の前にはピンク色のブラからこぼれそうな巨乳があった。色白で、実に柔らかそうだった。
ぱちぱちとまばたきをする。
あれ? ……まだ夢……?
せっかくだし、触っとくか。
ぼんやりと右手を伸ばしたところで固まった。
肩口から胸の谷間にかけて、一筋の赤い髪が流れている。むせ返るような……色香を吹っ飛ばすような甘ったるい匂い。
こいつ――赤髪ちゃんじゃねーか!
俺は姿勢は崩さないままで完全に覚醒した。伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
桜色の唇から、かすかに「ちっ」と舌打ちのような音が。
赤髪ちゃんは以前のような奇抜な格好でなく、白いネグリジェ姿だった。特徴的な真っ赤な髪も留めずにおろしているようだ。ただ、ネグリジェのボタンを止めずに前を大きくはだけているのでとても刺激的な格好になっていた。
――くっそ! まさか忍び込んで来るとは! またよくわからん力を使いやがったな。
ちなみに、赤髪ちゃんは魔法染みた力を使える。今のところなにがどの程度できるのかは不明だが、化石になったりテレパシーで脳に直接語りかけてきたりしやがるので、かなりなんでもできそうだった。ただ、その制約として一回使うたびに向こうの世界の実体が30歳老けるらしいのだが。
危ないところだった。実際に触れたが最後、既成事実だのなんだのいいながら、そのまま異世界に住民登録されててもおかしくない。
すぐにたたき起こしてやろうか、とも思ったが――やめた。
せっかくだ、じっくり拝見させていただこう。
凝視する。いつでもプレイバックできるように脳内ハードディスクに焼き付ける。
視覚以外の感覚を全て遮断して、配色、陰影、呼吸によるかすかな上下動まで――。
赤髪ちゃん、童貞だと思ってなめるなよ。おれの理性は朝一でもきっちり仕事してるぜ。
具体的な行動はおこさない。赤髪ちゃんの思い通りにはさせない。だが、おいしいところだけはきっちり持っていかせてもらう。
そんなぬるすぎる作戦じゃ、あいにくアンタ、タダで半裸を披露してるだけだぜ。
ククク、と声には出さずに心で笑う。
と、その時「んん……」と口から甘い声を漏らしながら赤髪ちゃんがこちらに手を伸ばしてきた。
強引に接触を図ってきたか。
だが、集中力マックスのおれにはスローに見える。布団の中で横たわりながら、伸びてきた腕の分だけスウェーバック。
無駄だ。
それにしても――改めて間近で見るとやはり可愛い。
こんな子がただの女の子として近くにいてくれていれば、どんなにいいか……。
「……お願い」
小さな声で、赤髪ちゃんが漏らした。それは寝言のような滑舌だったが、強い意思を秘めた懇願だった。
本能的に、隔意が揺らぐ。
いやいや、待てよおれ! 異世界行ったら赤髪ちゃんはおばあちゃんだぞ。
赤髪ちゃんはすでにこちらで2回魔法を使っているので、現在ななじゅういくつだと言っていた。
そもそも、彼女がおばあちゃんだろうが美少女だろうが、命の危険に代わりはない。どう考えても協力はできない。
例え、彼女が自分の寿命を削りながらおれを勧誘しているとしても……。
そこまで考えて、ハッと気がつく。
そういえば、また変な力で忍び込んだってことは、こいつもう100歳超えてるんじゃ……。
もしかして、このハニートラップ自体が、赤髪ちゃんにとってはすでに十分命がけなんじゃないだろうか……。
ぬるい風を感じる。自分がじっとりと汗をかいていることに気付いた。
クーラーを効かせて寝たはずなのに、妙に暑い。それは近くで赤髪ちゃんが半裸で寝ているから体温が上がっているのだろうか。
それとも、おれのハートが何かに焚きつけられて燃えているのだろうか。
あるいは――。
カブトムシがいた。
赤髪ちゃんの甘い匂いに釣られてやってきのだろうか。赤髪ちゃんの柔らかそうな二の腕に足の先を食い込ませてとまっていた。
ちらりと視線を外すと、予想通りに窓が全開だった。昨夜、戸締まりはきちんとしたはずなのに。
よく見れば、窓の鍵の辺りが小さく円形に切り取られていた。コンパス型の器具で繰り抜かれたかのように。
体を起こす。おれは静かに息を吐くと、赤髪ちゃんの頭の上に拳を持ち上げる。危険を察したカブトムシが窓の外へと飛び立っていった。
ゴッ。
「きゃあっ! そ、そんな、勇気を出して寄り添った乙女心にまさかの鉄拳制裁っ!? ど、ドSっ!?」
「……魔法使えや」
「魔法は本当に必要な時しか使わないもん」
「いますぐ、魔法で、窓を直しなさい」
こいつの不思議な能力はいまいちまだ謎だが、化石になっていたぐらいなので、その気になれば窓ガラスの修繕ぐらいは出来るだろう。
赤髪ちゃんは駄々っ子のように唇を曲げてそっぽを向いた。ハニートラップが上手くいかなかったのでいじけているようにも見える。
その時、コンコン、とドアがノックされた。
反射的に背筋が伸びる。そうだ、この間乗り込まれた時と違って今の時間は家族がいる。
「おはよう。誰か来てるの?」
ドア越しにかあさんの声。おれは慌てて赤髪ちゃんの口を塞いだ。
「ま、まさか! なに言ってんのさ」
「そう? 女の子の声が聞こえた気がしたけど……」
「ゲームだよ、エロゲだよ!」
「エロゲってなあに?」
お願いだから今はそこに言及しないで。せめてギャルゲって言っときゃよかった。
「母さん、こりゃ。怪しすぎるねぇ」
ドアの向こうから、もう一つの声がした。聞き慣れた姉の声だった。
「ねー、さっきの悲鳴。あんたの持ってるエロゲの声優とぜんぜん一致しないんだけどさ」
「あんたはなんでおれの持ってるエロゲを把握してんだ!?」
「留守の間にいろいろと」
「てめえぇぇっ!」
最悪だ。現状だけでもかなり最悪なのに。思春期男子の純情をなんだと……。しかも、声優の声をことごとくおぼえて聞き分けるって、相当むずいぞ。無駄なところで無駄な才能を発揮しやがって。
「まあ、落ち着き給えよ、弟。すんだことじゃないか。それはそれとして――誰もいないなら、当然このドアは開けていいんだよね?」
「ま、待て待てぇ!」
「なんでぇー?」
「るせえ! 思春期男子の事情じゃボケ!」
「じゅう、きゅう、はち……」
うわ! 有無をいわさずカウントダウンを始めやがった。
おれは慌てて周囲を見回す、押し入れを開ける。
押入れの上の段は衣装ケースがびっちり。下の段は冬用の布団が入っていてあまりスペースはなかったが構っていられない。
赤髪ちゃんの手を引いて、指で入るように促す。
赤髪ちゃんはにやつきながら「なんでぇー?」とねえちゃんの口調を真似て言った。
……絶対わざとやってやがる。おれは、赤髪ちゃんの肩を抑えて背中を押して、無理やり押入れの布団の中に押し込んだ。
赤髪ちゃんは「わぷ」と呻きながらも、なんとか羽毛布団の中に沈んでいった。
ねえちゃんのカウントダウンの猶予が後1秒。おれは「いいか! 隠れてろよ、騒ぐとコロス」と念押しして、押し入れのふすまを閉めた。
その瞬間ドアが開く、なぜか反射的に正座で出迎えてしまうおれ。
「ハハハ……本当に入ってくるなんて、ねえちゃんは強引ダナァ」
やれやれと肩をすくめる。
踏み込んだねえちゃんは寝間着代わりの短パンTシャツ姿だった。その後ろで、エプロンをしたかあさんが部屋を覗きこんでいる。
ねえちゃんがにやにやしながら部屋を見回し、おれの背後で視線を止めて、笑みを半分だけ残して固まった後、完全に表情を消した。
振り向けば、まるで水揚げされた魚のように。
赤髪ちゃんの素足が一本。ふすまの隙間から飛び出して、活き活きと上下していた。
◆
部屋には赤髪ちゃんのすすり泣く声が静かに響いていた。
赤髪ちゃんはネグリジェの前をはだけたままで、女の子座りをしながら両手で顔を覆っている。まるでひどい乱暴をされたかのように……。
おそらく嘘泣きだろう。確かに、押しこむ時にちょっとばかし乱暴だったのは認めるが、別に怪我させたわけでもないし。仮に本気で泣いていたとしても、そこまで気にすることではない気がする。彼女はしょっちゅう泣くが、そのメンタルの強靭さ、図々しさ、再生能力は出会ってから今日まででいやというほど知らされている。
それにしても、彼女にはそろそろ本気で凹んでいただきたいものなのだ。人をこんな状況に追い込んでいるのだから。
かあさんが、泣いている赤髪ちゃんの肩に手をおいて「あなた、なんでうちの押入れに?」と強張った声音で尋ねた。
どうして尋ねる対象が息子のおれではないのだろうか。少し考えてみたが、それはきっと、親子で長年築き上げてきた『大切な何か』が大きく揺らいでいるからなのかもしれない。
「……ひぐっ……そ、そちらの方に無理やり……」
という、赤髪ちゃんの台詞で揺らいでいた『大切な何か』がぱたりと倒れた気がした。
「無理やり……?」
確認したのはねえちゃんだった。普段ならおれの窮地なんぞ格好のネタとして笑い飛ばすはずのねえちゃんが、全く笑っていない。おれはねえちゃんの表情を見て、改めて自分にかけられている嫌疑のヤバさを感じた。
「『騒ぐとコロス』って……お、押し込まれて……」
倒れた『大切な何か』がピシリとヒビ割れる音が聞こえた気がした。
「待て、違う! 誤解だ」
たまらず、慌てて口を挟んだ。このまま赤髪ちゃんの嘘泣きに合わせていたらマジでヤバい。
「そ、そうよね……そんなこと、言わないわよね」
ほほ……と、母さんが引き攣りながら笑った。
「言ってない……よな?」
ねえちゃんは真顔でおれに確認してきた。
「…………………………………………い、言ってますん」
超小声で返事をしたら、家族の『大切な何か』が砕け散った。言ったかどうかと言われれば言ったのだが! 言ったのだが……!
「……言ったんだね」
ため息を吐きながらねえちゃん。
「もう何を信じればいいのか……」
かあさんは崩れ落ちて、赤髪ちゃんの横で仲良く顔を覆ってしまった。不味すぎる展開だった。多少強引にでも信頼を取り戻さねばならん。
おれは心の中で『どうせ冤罪なんだから、いずれ潔白が証明されるだろう』なんて悠長に構えていたもう一人の自分をぶっ飛ばした。
「待ってくれ! 2人ともコイツに担がれてるんだ! おれの目を見て」
かあさんの両肩を掴んで、無理やりこちらを向かせる。だが
「……素直で可愛い子だったの……本当に、素直で……。小学生の時だったかしら……母の日に、カーネーションをね……」
うつろなかあさんの目は、もはや現世を写してはいなかった。
「やめてっ! 純粋な目をしたボクを思い出の中でだけ探さないで!?」
おれは幼児退行しながら訴えるが、かあさんの瞳は檻が沈んだように光を失っていくばかりだ。赤髪ちゃんのしゃくり上げる泣き声が、部屋の空気をどんどん重くしていった。
「れ、冷静になってくれ! コイツがおれにつきまとってたって知ってるでしょ? 知ってるよねえ!?」
ひとまず、まだ現世に留まってくれているねえちゃんに訴える。逆の立場ならまだしも、付きまとわれていたはずのおれがこんなことするわけがないのだ。
だが悲しいことに、ねーちゃんはふるふると小さく首を振った。
「顔見てないからこの子かどうか……それに、やっぱりあんたに女の子がなびいてたって、相当不自然……不穏……ありえない」
「なんじゃそら!」
――完全に冤罪なのに、どうしてこうなるんだ!?
何か決定的な証拠で疑いを晴らさなければならない、簡単に覆ることのない物的証拠。
部屋を見回す。
半分に閉じた目で静かに立ち尽くすねえちゃん。
かあさんの震える唇はビブラート気味に思い出を紡いでいる。
「ひぐっ、ひぐっ」と泣き真似続行中の赤髪ちゃん。……この野郎。
そうだ、どうして赤髪ちゃんがここにいるか。それを証明できればいいだけじゃないか。
気付いてしまえば簡単なことだった。
「わかった! この窓を見てくれっ! 窓に開いたこの穴が、コイツが忍び込んできたという動かぬ証拠だ!」
言いながら窓に駆け寄り、先ほどまで穴があった場所に指を通そうとするが、ガチっと人差し指を突き指して終わった。いてえ。
「なに直してんだよ!」
『さっき直せって言ってたしー。やっぱり私としても壊したままだと良心が痛むっていうか……』
怒鳴りつけると、顔を覆ったまま、テレパシーで返信があった。本当に良心があるならこの状況をどうにかしてほしい。っつーか、魔法使いたくないって言ってたわりにゃ、このテレパシーとかどうなんだよ。直して一回、テレパシーで二回とすれば、もう130歳超えてるよなコイツ。
「老衰でくたばりやがれクソババア!」
びくっ……!
と反応したのは、赤髪ちゃんでなくて横で泣いていたかあちゃんだった。
「あ……いや、ちげーから! そこの女に言ったんだから!」
慌ててフォローするが、聞こえていないのだろうか。返事の代わりに、宙を見つめる瞳からポロポロ涙がこぼれていた。
「だから……かあちゃんに言ったんじゃなくて」と言いかけて気づく。
それにしたって、テレパシーが聞こえていないかあちゃんからすれば、すすり泣いてるだけの女の子に、息子が突然『くたばりやがれクソババア!』と言ってるように聞こえているわけで……。
「いやいや、と、とにかくごめん、かあさん! いや、ごめんって言っても基本的にはいろいろ冤罪だけどっ!?」
「……残念だけど、あたしの弟は、どうやら、ほんとうに、ただの犯罪者、みたいだね」
恐ろしいほどに抑揚を欠いたねえちゃんの優しい声が静かに聞こえた。
そして、ねえちゃんは慈母のように微笑む。初めてみる表情だった。
「ああ、そうだ。あんたの朝ごはん冷めちゃったから、作りなおさなきゃね……この間お中元でもらった高いお肉焼いてあげるから。あたし、ちょっとは料理上手くなったんだよ」
「なんなんだその優しさはーッ!?」
常々、もっと優しい姉ちゃんだったらなあ、とは思っていたが、この優しさは怖すぎる。まるでしばらくシャバに戻れないかのようじゃないか。
「あ、あと……ご飯食べたら……行かなきゃね、その子と一緒に、警察……あんたの為なんだから、わかってね……?」
マジか、もうどうしようもないのか……。
だが、警察と聞いてびくりとすくんだ赤髪ちゃんが、顔を覆ったままで機敏に立ち上がった。
「う……お姉さん。いいんです……私が……悪いんですから……」
おおっ! おまわりさんに会うことを察してビビったか。いいぞ、そのままネタばらしして俺の誤解を解きやがれ。そうすりゃゲンコツだけで勘弁して……。
「いいんです、ほんとうに。私が我慢すれば、それで……」
そう言いながら、ふらふらと部屋の出口へと。
「ね、待って。警察にちゃんと話すれば大丈夫だから……ね?」
ねえちゃんがそう言って赤髪ちゃんの肩を持つが、彼女は若干強引にそれを払った。
「全くだ、待て! このまま帰ったらおれの誤解はどうなるんだ!」
そう叫ぶおれだけに見えた。部屋から出て階段に向かおうと、わずかに顔の向きを変えた赤髪ちゃん。
両手で覆った口元は、暗黒に浮かぶ三日月のようにいびつに歪んでいた。
赤髪ちゃんを呼び止めようと、ねえちゃんはそのまま部屋から出て行った。
残った部屋には、おれと……。
「運動会の時だったかしら……『ママの為に一番とったよ』って……すごく嬉しそうで……ええ、卵焼きが大好きだったわ……」
かあさん、おれ死んでねーから。
◆
その日の夕食のおかずはマグロの刺し身だったのだか、なぜかおれの皿だけは3匹の煮干しが乗っているだけだった。
煮干しを咀嚼しながら、おれは悟った。
赤髪ちゃんのハニートラップは、なんの問題もなく成功していたことを。
なぜかといえば、どうにかして避けようとしていた彼女に、おれは今猛烈に会いたくなっているからだ。
とっちめて、反省させて、謝らせて、かあさんの前で全ての真実を語ってもらう必要があるのだ。
壊れてしまった家族の絆を、再び取り戻すために。
つづく
読んでいただきありがとうございました。
もう一つぐらいつけて、第一部完にしてラ研に投稿しようかなーとか考えてます。
なので、次の話ではある程度まとめないと行けないのですけど、まだほどんど何にも考えてません。
一応、今回は以前よりもストーリー的な面白さというか、話の整合性を考えながら書きました。その場限りの勢いだけでなくて、徐々に膨らませるような構成を意識してはみたのですが、どうでしょう……。
感想いただけると嬉しいです。