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少女  作者: 植田真美
第一章
2/5

二、少女は賢かった

 彩夏は頭脳明晰であった。ゆえに考えが周りのものより深く先に行ってしまっていた。彼女は人の考えを読むのが苦手であったので、人を表面でしか判断することができなかった。そんな彼女は人が恐ろしくて仕方がなかった。

 それなのにも関わらず、彼女は人と触れ合おうとするものだから、どんどんと考えがおかしくなっていってしまった。周りの者は気がついたが、彼女自身はそれに気がつかなかった。そんな彼女に周りの者は一切手を差し伸べなかった。

 彼女はかなりの奇人であった。それは彼女が一番理解していた。当然、それを周りも理解していた。彼女は唐突に奇行を繰り出す。それは、いつ起こるかは誰にもわからない。彼女ですら自らの奇行を止めることができない。そのような彼女の性質ができてしまった故、より彼女への偏見が深まった。より一層彼女の恐怖は深まった。

 彼女の両親は頭がよかった。彼女は絶対的な教育を受けさせられてきた。それゆえに彼女も規則、法にはかなりうるさかった。そんな経緯で彼女のこの性格はできている。彼女の前でふざけようものなら、徹底的に指摘される。彼女は良かれと思ってやっていることなのだが、周りからの批判は多い。人気なんて気にしない人であったから、彼女はこれを続けた。彼女はまだ幼かった故、知らなかった。


    ※


 その日、私はいつもの通り学校に登校した。

「おはよう、彩夏(さやか)

そう元気に挨拶してきたのは私の昔からの親友の「元霧有理沙(もとぎりありさ)」。彼女とは昔から話があった。家はあんまり近くないもので一緒に学校に登校はできないけれども、いつもこうして元気な挨拶(あいさつ)をしてくれる。

「おはよう、有理沙」

もちろん私もそんな親友に挨拶を返す。

 今日は月曜日と言う週の始まりなわけで、何やら皆気分が乗っていないように見える。私としては月曜日と言う曜日は好きだ。と言うのは、週の始まりというものはまた新たな自分を発見できる、といった楽しみがあるからである。

「月曜日は気分乗らないよね」

どうやら私の親友はそうではないみたいであった。

「そうかもね」

私は一応肯定をしておく。あまり面倒事にはしたくはないので、適当な返事をしてしまうのだ。いつも。

 とはいっても私にだって気分の乗らないことが全くないわけではない。月曜日の一時間目は体育なのだ。私はあまり体育が好きではない。体を動かすことが嫌いなわけではない。ただ単に、無駄な体力を浪費したくないという理由があるのだ。だが、授業は授業。受けない訳にはいかない。

「一時間目から体育なんていやだよね」

「そう。私はそうでもないよ」

徹底的に親友と好き嫌いが分かれる私たちだが、私たちに共通点が全くないわけではない。

私たちに共通するもの。それこそが誠実な心である。

 有理沙は昔から戦隊ヒーローが好きらしく、その影響を多大に受けたらしい。私としては、自身の同志がいるというのはとても喜ばしいことである。この学校の生徒の中に誠実な人が少ないというのも、私の気持ちに拍車をかけているのかもしれない。


 私たちは現在中学二年生である。「中学生」これは義務教育最後の課程である。私たちにはまだ一年あるが、来年は進路選択と言うとても重要な選択肢があるのだ。もちろん私は高等学校に進学するのだが、親友はどうなのだろうか。そんなことはいままでいちどもきいたことはなかった。私としては一緒の学校に進学したいのだが、各々の進路である。とやかく口出しはできない。今度一度聞いてみようか、そう思った矢先、

「ねえ、彩夏。進路はもう決めているの」

彼女の方から聞いてきた。

「私は高校に行くけれど、有理沙はどうするの」

「私はまだ分からない。自分の人生を決めるものだし、しっかり考えていきたいと思っているよ。でも、高校か。私も彩夏と一緒の学校に行きたいな。でも、私頭悪いし」

「そんなことないよ。有理沙だって十分いけるよ、きっと」

そう励ましてあげる。

「でも無理してまで私と一緒の所に行こうとしなくていいよ。自分の進路だし、自分の意思で決めていかないと後で後悔するかもしれないよ」

私にはここまでしか助言することができない。これ以上は彼女を傷つけてしまうかもしれないから。きっとそんな風に思っているから私はいつまでたっても人とうまくしゃべることができないのだと思う。

 

 私としては授業中にふざける人は許せない。きっとわが同志(ありさ)もそう思っていることであろう。というのは、体育と言う授業は体を動かすということもあって少々気分が高揚してしまう。そういうことなので私も少しは許容をしている。だが、どうにも許せないこともある。それは、集団としての規律を乱すもの。もっと単純に言うのならば、授業の雰囲気を乱す者のことである。私はこれに関しては何も言わない。言わなくなった。

 「おーい、真面目に授業受けようよ」

 わが同志(ありさ)は今も訴えている。そんなことをしても無駄だというのに。親友がこのようなことを訴えているので容易に現状を想像できるであろう。そう、今はまともに授業を受けることのできる状態ではないのだ。先ほど私は体育が嫌いだ、といった。だがしかし、私は授業自体は好きなのだ。何といっても先生がかっこいいのだ。若くてイケメンなんてとても良いではないか。少し話がそれてしまったが、私のように授業を受けたい人がいるかもしれない。そんな人たちを思うと、授業がまともに受けられる状態でないというと、とてもじゃないが許すことができない。

 「授業しっかり受けようよ」

 なので、わが同志が呼びかけたらそれに便乗するようにしている。

 「うるさいな〜」

 当然批判を買う。今の時代仕方がない。

 「授業は真面目に受けないとダメでしょ」

 だが、わが同志(ありさ)はそれを全く気にせず訴え続ける。私はそんな親友を心から尊敬する。そうなると私は未熟なのかもしれない。

 

 私と親友は昔、この世の中を変えようと言い合っていた仲だ。それはまだ幼い時の話であった。当時、私たちは何も知らなかった。

 この世は残酷である。そう悟ったのはいつの日であっただろうか。それに気がついたのは私一人だけであった。親友はそれに気がつかなかった。いや、気が付けなかったのかもしれない。

 私も彼女も厳しい性格をしているものだから友達は少なかった。だが、私と彼女とでは明らかな違いがあった。それは、考え方であった。私も彼女もルールには厳しかった。だが私はそれを訴えても周りの反応が薄いことからすっかり諦めてしまった。一方彼女は、周りがどんな反応をしようとも気にせず言い続けた。その結果生み出したものは実に残酷であった。それでも親友は悲しまなかった。それは私がいたからかもしれないし他の理由があたからかもしれない。

 違いはもう一つあるのかもしれない。こう言うのもなんだが、知識の多さは私の方が圧倒的であった。私は深く考えすぎてしまう。なので、余計なことまで考えてしまい結局人にものを伝えられなくなってしまうのである。それに比べて親友は知識は乏しいが、人より一層正義感が強いので常にはっきりとものを言う。このような対照的な二人が一つとなれば、世の中を変えることはたやすいことであろう。そんな風に思っていた。

 しかし、現実はそんなにあまくはなかった。私たち二人で必死に呼びかけ続けているうちにほとんどの者が私たちの声に耳を傾けなくなったしまった。私は泣きそうだった。人に自らの声を聞いてもらえないというのはこれほどまでにも悲しいことだと幼き頃の私は知らなかったのだ。つらかった。諦めそうにもなった。

 だがそんな時に同志(ありさ)の顔を見ると、とても凛々しかった。私は同志のその顔を見るたびに力を取り戻し、再び訴えることができた。同志(ありさ)は決して諦めなかった。私はそんな彼女に憧れた。

 ある時、私たちは校内で同志を(つの)ってみた。私たちはわかっていた。現代でこのような活動をしようなど、ばかばかしいことであることを。結果は目に見えていた。当然私たちの予想の通り、誰一人として私のもとへと来てはくれなかった。だれもが私たちを蔑んだ目で見た。これは私にとっては苦痛でしかなかった。

 そんな者たちを圧倒するため私は死に物狂いで勉学に励んだ。法、哲学、その他にもこの世界を変えるために必要であると感じたあらゆることを学び、吸収した。

 私の多くの知識は私の強力な武器となった。自分自身で何が正しく何が間違っているのかよく理解できた。そして、それは世の中のあるべき本当の姿がどのようなものなのか私自身で考える力となった。楽しかった。ただただ楽しかった。同志(ありさ)と訴えることがこんなにも楽しかったことはなかった。わが同志(ありさ)もそんな私を見て笑ってくれていた。きっとその時の私の表情は今までにないくらい輝いていたのだろう。


 それはまだ私たちが小学生の頃であった。思えば私はその当時からおかしくなってしまったのかもしれない。というのは、あらゆることを勉強した結果小学生としてはあり得ない知識の量になってしまっていた。そうなる前まではわずかながら友達もいたし、その子たちとも遊んでいた。だが、そうなってしまってからは全くと言っていいほど「遊び」というものに興味がなくなってしまった。というよりはばかばかしくなった、というのが正しいのだろうか。しかし、私は童心を忘れたわけではない。甘いものは大好きだし、かわいいものにも目はない。そんな部分も私にはあるのだ


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