前編
昔々、あるところにKという名前の女性が住んでいました。
彼女は周りの人たちからずっと、『美人』であると持て囃されてきました。平均的な女性よりも大きな胸に整ったスタイル、そして美しい顔。女性から尊敬の念を受け続け、自らもその美貌に絶対の自信を持っていた彼女ですが、その心にいくつかの悩みを抱えていました。誰が見ても美しいと思われているはずの自分なのに、どうしてそれが世の美貌の男性に認められないのか、そしてどうしてそこから大金持ちになれないのか、と。
確かにKは様々な男性からも憧れの視線を浴び、何度も愛の告白をされました。ですが、彼女は誰からの誘いも一切受け入れる事はありませんでした。今までに出会った男は、誰ひとりとして彼女の理想に届く者がいなかったからです。誰よりも美形の存在を求めていたのです。そして、願わくは自分を金持ちにしてくれる人も。
そして、Kはいつもテレビを見ては、そこに映るセレブたちに嫉妬していました。宝石も贅沢な料理も豪邸も多数持っている大金持ちと言うのは大概この自分よりも劣っている存在ばかりなのに、どうして持て囃されるのか、と言う感情が彼女を包み込んでいました。
その心に傲慢と言う二文字が宿っている事に、本人は気付いていませんでした。
そんなある日の事。
仕事からの帰り道に寄り道したKが細い道を歩いていたとき、ゴミ捨て場に見慣れない形の壺が落ちてあるのを見つけました。両手に乗るほどの小さなもので、表面にはいくつもの模様が浮き出ています。不思議さに惹かれた彼女がふと傍に近づいてみると、壺の下にこんなことが書いてある紙が落ちてありました。
『この壺を拾った人へ。
きっとこの壺は、貴方の抱えるあらゆる願いをかなえてくれるでしょう』
彼女でなくとも、あまりにも馬鹿馬鹿しくて普通は誰も気にとめなさそうな謳い文句でしたが、今回の彼女は違いました。そこにある紙には、「恋人も出来るし、大金持ちにもなれる!」と追記されていたのです。物は試し、と言う思いで、彼女は近くにある家までこの不思議な壺を持って帰りました。そしてついでに、先程の紙も。
帰宅したKは早速この不思議な壺を飾ろうとしましたが、ふと外側の模様に触った時、まるで金庫のダイヤルのようにダイヤルの栓を思わせる模様が動いた事に気が付きました。どうなっているんだろう、と壺と一緒に拾ってきた紙を見ると、そこにはこんな事が書いてありました。
『壺に願いを叶わせるには、模様をぐるりと回してください』
この丸いダイヤルを捻ると壺の中から欲しいと思ったものが出てきて、元の位置に戻すと止まる、と記されていたのです。
そんな馬鹿な、とKが呆れかえりそうになったのは当然でしょう。そもそも、こんな解説書が付いてる時点で違和感がありありだったのですが、縁起担ぎに一度説明書通りに試してみる事にしました。とても大きなダイヤモンドが欲しい、と声に出しながら彼女はダイヤルを捻ってみました。
……なんという事でしょう、あっという間に壺の中からダイヤモンドが出て来たのです。しかも一つや二つではありません、慌てた彼女の手から離れた壺からは、延々とダイヤモンドが泉のように湧き出続けていました。何とか『ダイヤル』を閉めた時、部屋の中には何十個ものダイヤモンドが溢れていました。
さすがにこんなに大量に出ると怪しすぎると考えたKは、町にいる鑑定士の人に一つだけ宝石を持ち込んでみました。しかし、その結果は間違いなく本物のダイヤモンド、しかも貴重な色つきのものであるという結果が出ました。別の鑑定士に別の宝石を見せても、全く同じ答えと、驚きと尊敬の目線が返ってきました。
間違いありません、この不思議な壺は、正真正銘の『願いをかなえる壺』だったのです!
それからというもの、Kはこの壺の力を利用して次々と自らの欲しい物を出していきました。豪華な食事、高級な食器、そして高価な服は勿論、様々な物を買うための本物のお金も、大量に壺の中から出していったのです。豪邸のような巨大なものを願った時も、壺の中からまるでスライムのように飛び出し、彼女の前に姿を現れました。もし車を何台も出してスペースが無くなった時も大丈夫、その分のガレージや庭を壺の中から出せばよいのです。
そして気がついた時には、彼女はあっという間にセレブの一員になっていました。いくらでも資産を持ち、いくらでも贅沢ができる、そんな夢のような暮らしを彼女は手に入れたのです。毎日お金は使いたい放題、自由気ままな日々を彼女は過ごしていました。
そして、贅沢な日々を過ごす中で、彼女は壺についているダイヤルについてある発見をしました。一度回しただけでも大量の金銀財宝や贅沢品が湧き出るのですが、このダイヤルを何度も回せば、欲しいと願った物がよりたくさん出てくるのです。これを利用して、Kは際限なくお金や宝石を出し続け、ますますセレブとしてのランクをアップさせていました。
ですが、彼女は知りませんでした。
とっくの昔にゴミ箱の中に消えてしまった「説明書」に、この方法をやり過ぎるとダイヤルのネジが壊れてしまい、取り返しのつかない事態になるかもしれない、と書かれていた事を。
もはやどんな願い事でも壺の力で自由自在に叶えられ、まさに天下無敵の存在になったはずのKですが、たった一つ、未だに叶えていない願いがありました。いくら金が入って来ても、いくら社会的な地位を高めても、彼女に振り向いてくれる美形の『恋人』は現れなかったのです。例えどんなに金持ちになったとしても、もう一つの大きな目標である『恋人』がいなければ、彼女は完全に満足する事は出来ませんでした。
そして、彼女はある決心を固めました。誰も自分の元に来ないのなら、壺の力を使って自分自身の手で恋人を創り出してしまおう、と。
思い立ったが吉日、早速彼女は壺についている『ダイヤル』を回しながら、理想の恋人の姿を頭に思い描きました。その瞬間、壺の中から捻りだされるかのように、一人の男性が姿を現したのです。
笑顔でKを見つめる男は、まさに美形と言う言葉が似合う存在でした。ふんわりとした金髪の髪に整った顔つき、着こなす燕尾服は美しい胸元を見せつけるセクシーな格好です。そして、そのまま男は彼女の耳元に近づき、爽やかで美しい笑みを見せながら、口から甘い美声で囁きました。
「愛してるぜ」
まさにKは、空に舞い上がった気分でした。今までずっと聞きたかった言葉を、とうとう理想の彼の口から得る事が出来たのです。
そして興奮を抑えながら、壺の中から現れた『恋人』と一緒に、彼女は豪邸にある自分の部屋へと移動していきました。ですが、この時ダイヤルの様子がおかしくなっていた事に、彼女は一切気付いていませんでした。ネジ回りが壊れ、奥までしっかりと入らないまま放置された不思議な壺の中から、再び何かが現れた事にも。
豪邸の中の別室で、早速恋人との時間を過ごそうとするK。爽やかな笑顔を崩さずにこちらを見つめ続ける彼に心を奪われている彼女は、照れの感情からどう声をかけて良いのか戸惑っていました。そんな彼女を見て、『彼氏』は一言呟きました。
「愛してるぜ」
もう一度その言葉を耳元で聞きたい、と思った彼女は、そのまま彼を自分の元に近づけ、もう一度囁いてもらおうとしました。ですが、彼女の耳に入った音は強烈な違和感となってKを包み込みました。
「愛してるぜ」「愛してるぜ」
……彼には左の耳にささやいてもらったはずなのに、右の耳からも全く同じ声が聞こえて来ました。一体どういう事なのかと左右を振りむいた時、彼女は声を上げて驚きました。左側にいるはずの彼が、右側にも現れていたのです!