大商人護衛作戦
「おーうーあー……」
「……なんて声出してるのさ」
ボクと一緒に屋根の上に伏せたケモウドの男、陸が苦笑する。
ケモウドといってもこいつの場合は犬のような耳と尾があるだけで、顔立ちも肌もほとんど人間のそれと変わらない。
ボクより一回りくらい年上で、見た目の年齢もそれ相応だ。
「つまんないー動きたいー発破したいー」
「まだ監視を始めて一刻も経ってないよ。少しは辛抱しな」
ボクの駄々をあっさりあしらい、再び監視に戻る陸。
陸も仕置人であり、マサの部下だ。しかし体つきは細く、とても荒事には向かないことが一目で見て取れる。こいつの主な仕事は諜報だ。
今、ボクらはコルトスの屋敷近くから、周囲の状況を観察していた。護衛任務遂行に必要な情報を集めるための諜報活動というやつだ。
コルトスを狙うのが誰なのか、現段階ではまったくわかっていないため、彼の周囲で不審な動きをするものが居ないかと探っているのだ。
正直、こんな場当たり的な仕事で有益な調査が出来るか、甚だ疑問ではある。
コルトス邸の入り口は、まず異国風の重厚な鉄門が守っている。門の奥には小さいながら噴水があり、その周りには馬車乗り場、それからよく手入れされた花壇が広がっている。
そして石造り三階建ての大きな白い家。瑞原でも五本の指に入る大きさだ。
その大きさもさることながら、瑞原の標準的な家屋である木造建築が並ぶ中、石造りの建物が紛れ込んでいるという時点でかなり浮いている。
「あの屋敷、吹っ飛ばそうと思ったら魔法媒体がかなり必要だよね。何十両かかるか……」
「そういう勘定は今しなくていいからね」
「へいへい……」
調べる必要がある事柄は、誰にどんな動機で狙われているのかということだ。
どんな悪事に手を染めているかは調べていない。残念ながら。
この護衛任務が終わってからゆっくりやればいいか。
コルトスは大商人であり、つまり金持ちだ。だからといって、盗賊に狙われているという可能性は低い。
普通、盗賊が狙うのはあくまで金品。だから襲撃すべきは金や商品が置かれている店や屋敷のほうだ。
今回は会食の時に襲撃があるという情報が事前に入っているらしい。相手はわからないのに狙いはわかっているというのは、どうにも奇妙な話ではあるが。
それはさておき、有力な商人らが集まる場で、身そのものを襲うという場合、狙いは別にあると考えたほうが良い。
仮に薬品関係において街一番の大商人が死んだとすると、街ではある程度の混乱が発生するだろう。
混乱とはつまり変化であり、瑞原経済に波紋を生み、そのとき一部の商人たちにはなんらかの利益か損失が出る。この発生するであろう利益が狙いなのではないだろうか。
仕置人は街の治安を守るための超法規的活動を旨としている。
いくら大物とはいえただの一商人であるコルトスを護衛するというのは、仕置人の仕事とはいえない。
だが、街全体を巻き込む規模の問題が起こりうると考え、今回のような護衛任務になったのだろう。
「……あれ?」
「なにか見つけたかい?」
「いや……」
そうすると、コルトスがたとえ法を犯している証拠をボクが掴んだとしても、暗殺の許可が下りない可能性があるのではないだろうか。混乱を避けるために。
ダメだ。やる気がなくなってきた。
わざと任務を失敗してコルトスを殺させてやるわけにはいかないかな……。
「……蛍、あれ」
「んー?」
陸に言われて思考を中断し、屋敷のほうに注意を向ける。
ちょうど裏口のほうからメイドが一人出てきたところだった。
大きな屋敷だけあってメイドは数十人から働いている。何かの用事で外に出ることくらい、別におかしなことではないだろう。
そのメイドが向かった先、裏門のあたりに一人の女が立っていた。こちらもこれといって怪しいところはない。
女はメイドから風呂敷包みを受け取ると、軽く挨拶をするように手を挙げた。そのとき、きらっと何かが光る。なにかの装飾だろうか。
そのまま去っていく後姿を一応、用心して見ながら、
「陸、あれがどうかした?」
「かなりの美人じゃないかおごっ!?」
背中に肘打ちをかました。
「マジメにやれ」
「蛍だって全然……あ、いやなんでもないですごめんなさい」
「このエロ犬め」
結局その後も有益そうな情報は手に入らず、誰がどんな目的で襲撃するつもりなのか、具体的なことは何もわからないまま、会食の日を迎えた。
護衛任務の当日。
会食というのは、料亭をまるごと貸し切って行われる大宴会だった。芸者も多く呼ばれ、呑めや歌えの大騒ぎだ。
ただじっくり眺めていると、そうやって騒いでいる中でも商談は確かに行われているようだった。
ある大使は笑顔で酌を受けながら、すぐ傍の商人と目も合わせずに取引の話をしているし、他の商人たちは酒を酌み交わしながら談笑していると見せて、穀物の相場について語り合っている。
奥部屋は静かな戦場という感じだ。酔いを醒ますような体で出て行った何人かが、こそこそと話をしたかと思うと、何かを渡しあって酒席に戻っていく。
詳しく調べてみたら吹っ飛ばせそうな悪党の一人や二人いるかもしれない。そう思うとどいつもこいつも吹っ飛ばしがいのありそうな悪人面に見えてくる。
うずうずする太ももをつねって落ち着く。今はコルトスの警護のために居るのだ。
ちなみに眼帯つけた美少女なんて宴席では目立つため、ボクの現在地は床下だ。要所要所に覗き穴も開いているし、声はそれなりに聞こえる。
コルトス以外にも重要人物の多い会食のためか、他にも露骨に怪しい連中が床下に七人ばかり揃っている。お互いがお互いを微妙な表情で牽制しあっているところを見ると、みんな誰かの護衛なのだろう。
中でも数人からやけに熱い視線を浴びている気もするが、性的な目で見られているのだろうか。
護衛はおそらく天井裏や料亭の外にもいるだろう。
中は大宴会、周りはお見合い。まったく不思議な状況だ。
誰が誰を守っているのか……なんてことは関係なく、この場が襲撃されたら犯人は一斉に集中攻撃を浴びることになるだろう。
そんなことをしでかすのは、ヤク漬けでモロモロ緩みっぱなしのクズか脳まで性病が回った大ボケ野郎ぐらいだ。
「ふぁ……んにゅ……」
あくびを噛み殺しつつ、宴会がお開きになるのを待つ。
危険があるとすればこの後、帰りの道中だ。
夜も更けて、商談がすべてまとまったのか、一人一人と料亭を出て帰路につく。
コルトスも最後に異国の大使と笑顔で握手を交わすと帰り支度を始めた。彼の足の下についていきながら、周囲を警戒する。
コルトスはもちろんボクらが護衛についていることを知っている。そして今日のために、マサがより安全に帰るための作戦を考えていた。
建物を出ると、壁に囲まれた車乗り場がある。
そこには三台の馬車が止まっており、それぞれに黒いシンプルな外套を纏っている。そして、その手前にはマサが立っていた。
この馬車は三台ともがコルトスのために用意したものだ。どれに乗り込んだかわからないようにしてしまえば、襲撃の危険を大きく減らすことが出来る。
しかし、すぐ目に付く場所に人影は見当たらないが、外の通りには人の気配があった。
ただの通りすがりなのか、それとも襲撃者なのか、そこまではわからない。わからないが、何者かに見られてしまったら、この撹乱作戦の意味が激減してしまう。
コルトスがマサの目の前まで行き、声をかける。と、マサが巻物と共に魔法媒体を取り出し、何事かを小さく呟いた。
直後、乗り場は完全な真っ暗闇になった。光を遮る魔法……いや、足音や声なども一切聞こえなくなっている。光だけでなく、音なども遮る隠密の魔法だ。
魔法の効果が終わり行灯の光が行き渡ると、マサは元の場所に立ったまま、コルトスの姿はなくなっていた。すでに馬車に乗っているのだ。
もちろん、馬車の窓には仕切りが下ろされており、どれに本物のコルトスが乗っているかはまったくわからない。
わかっているのはコルトス本人とマサ、同乗している二人の護衛だけで、事前に他の者には一切知らされていない。もちろん私もどれに乗っているかは知らない。
馬車は三台ともがすぐに走り出し、料亭を離れるとそれぞれ別の道へと別れて行った。
尾行しようにもこれでは追っ手も三方に別れなくてはいけない。
襲撃者の数は、どんなに多くとも数十もいるはずがないだろうから、分散した戦力なら馬車に同乗しているわずかな護衛だけでも守りきれるだろう。
逆にあてずっぽうで一台の馬車を全員で襲っても、当たる確立は三分の一。外せば再度別の馬車を襲う前にコルトス本人は無事に屋敷へとたどり着いてしまう。
襲撃者としてはどのように選択するか悩むところだろう。
馬車の速さならコルトスの屋敷まではほんの十分程度。その間に決断し襲撃を成功させるのは難しい。
もちろん屋敷には別途、大勢の護衛が詰めているから、そこまで逃げ切ればこちらのものだ。
万一本命を全力で襲撃された場合は……援護が間に合うように頑張ろう。通信用の魔法は用意してある。
床下から這い出ると、いつのまにか目の前にやってきていたマサに頭を撫でられる。
「御苦労さん」
「すごく苦労したよ。明らかに不正な取引してるのが聞こえちゃって、吹っ飛ばすのを我慢するのに」
「おお、蛍も成長したなぁ……」
本気で感慨深そうなのがちょっと気になるけれど、ちゃんと発破手帳にはメモってあるので明日にでも任務申請しておこう。
「さて、俺たちも屋敷に向かうか」
「承知」
ボクらがコルトスの屋敷まで走って行く間に、緊急の連絡が入った。
「なっどういうこった!?」
魔法による通信を受けたマサが不意に立ち止まって叫ぶ。
何が起きたのか聞くよりも、ボクは屋敷へと急いだ。
数分も走ると、屋敷が見えてきた。
馬車が襲撃されたのかと思ったけど……屋敷の入り口には無事な様子の三台の馬車があった。どれも見たところは襲撃を受けたとは思えない。
さっきの連絡は一体なんだったのか、と思っていると。
近付くうちにだんだんと漂ってくる、血の匂い。
馬車の傍には何人もヒトが集まっており、その中には登や他の仲間も居た。
ボクは足を速め、人だかりの傍の塀に飛び上がり、馬車の中を覗きこんだ。
馬車の中では、三人の男が血の池風呂に浸かっていた。
コルトスは切られた喉を両手で押さえ、凄まじい形相で天井を睨みつけたまま事切れている。
二人の護衛も胸や喉などの急所を鋭利な刃物で切り裂かれていた。
馬車にはまったく破損したところはない。つまり、襲撃者は強引な手段など使ったわけではなく、普通に扉を開けて中に入り、ほとんど争うことなく三人を瞬く間に殺したということだ。
他の二台には、今は誰も乗っていない。血もまったくついていないし、襲撃を受けたようには見えない。
「センパイ」
登の声で、マサが到着したことに気付く。
マサは状況を確かめると、キセルの先で自分の眉間を突いた。
「……とりあえず検分だ。魔法媒体の痕跡と、馬車に異常が無いか調べろ。それから馬車の経路を捜索だ。四人組で編成は……あー登、任せた」
「はい」
登が素早く他の仲間たちに指示を出していくのを、マサは黙って見ている。この場にいる大半は登か他の幹部の管理している仕置人だ。
確か馬車に乗っていた二人の護衛と御者も。
集まっていた仕置人たちがそれぞれの仕事のために散っていく。
だが、ボクらのほかにもう一人、この場に残っている仕置人がいた。
コルトスの馬車の昇降口の前に、女が一人蹲って震えていた。マサもそれに気付いたようで、苦い表情になる。
「登、彼女は?」
「コルトスの乗っていた馬車の御者です」
いわれて見れば、御者が纏っていた外套と同じものを着けている。
ということは、彼女はコルトスが死んだときにはもっとも近くにいたはずで、何が起きたのか一番わかっている人物のはずだ。
「彼女に事情を聞けばいいんじゃないのか?」
「それが……一切、異常には気付かなかったそうです」
「……気付かなかった? まったくなんにも?」
「そうらしいです。一応、このあと事情聴取は行います。……さて、そろそろ私も行きます」
登が他の仕置人たちと同じように捜索を行うため、走り出した。
「……やられたな」
マサは静かに呟き、キセルに火をつける。
「ん?」
「どうしたの?」
「……これは血だよな?」
言われてよく見てみると、馬車から屋敷の入り口に向かって、ぽつぽつと小さな血の跡があった。
「誰かがうっかり踏んで、そのまま歩いていったんじゃない?」
「……そうだな」
それ以上は何も言わず、マサはただ黙って煙を吹かし続けた。
二日後、マサは本部へと召集され、そのまま茶屋には戻ってこなかった。