仕置人、蛍
猿轡を噛み、血走った目でこちらを睨みながら、がくがくと震える獣人……ケモウドの男。
身体はロープで椅子にしっかりと縛りつけてあり、膝の上やら身体やらに、魔法媒体が括り付けてある。
その媒体にはすでに命令が刷り込まれており、ボクの左手に仕込んである装置を動かせばすぐに魔法が発動する状態だ。
一旦、部屋の中を見回す。あまり大きくない部屋には三人分の血肉が散らばっていた。そのうち一人分はすべてが緑色だ。
視線を男に戻し、極力優しく話しかける。
「いいかい? ドブに這い回るクソムシであるキミは本来であれば他のムシどもと同じく問答無用で駆除されても文句を言えないんだ」
「ぐっ……ぅくっ」
部屋中にばら撒かれたお仲間を手で指して見せると、男は引きつるようなくぐもった声を漏らす。
「でも心優しいボクは腐ったチンカス野郎を生き残らせてあげた。今からその猿轡を外すから命の恩人であるボクの質問に素直に答えること」
男の後ろに回り、猿轡を外しながら問いかける。
「キミタチの密輸したクスリ、一体誰から買ったものだい?」
「ま、魔の国の……化外の民の女だ」
「何者かな?」
「バリって名前以外は知らねえ」
「へぇ?」
「本当だ! み、見た目はただのミミナガみたいで、結構な美人だったぜ。へへ……化外の民って言われても信じられねえくらいだった。化外の民ってのは、恐ろしい化け物なんだろ?」
化外の民とは、少し厄介な相手かもしれないな。
「他には?」
「ほ、他に……? そうだ、そう、変な腕輪をつけてたぜ」
変な腕輪だけじゃ、役に立つ情報とは言えないなぁ。
男はがくがく震えながら、咳き込むような笑い声を漏らす。
「ひひ……なぁ、ちゃんと答えたんだからよ?」
「ああ、そうだね」
ボクは左手を動かし、仕掛けの一つを作動させた。
どっと空気を震わせて爆風が軽く髪を揺らす。
一拍遅れて、股間を吹っ飛ばされた男の絶叫が響いた。
「っゎぐああああああああ!?」
「おや残念、大事なムスコが無くなってしまったね?」
「あああああああくそっ! くそがッ!」
「なにか言い残すことはあるかい?」
「くたばれ売女!」
弾けた赤い飛沫が、右目に向かって飛んできた。
が、目に入る心配は無い。代わりに肉片は右の頬と眼帯にぴちゃりと張り付いた。
半分ほど欠けた身体が椅子ごと倒れるまでを見届けてから、ボクはそっと目を閉じた。
「そんな汚い言葉を使う悪い子にはお仕置きだよ……くふふ」
悪党を吹っ飛ばした爽快感で思わず熱い吐息が漏れる。
しかしあまり余韻に浸っていられない。発破魔法の音はあまり大きくないとはいえ周囲の建物にまで聞こえているはずだ。男の絶叫もかなり五月蝿かった。
部屋の中を物色して帳簿や手紙の類を見つけると、ボクは急いで血臭のこもった部屋を後にした。
海へと突き出すような港街、「水の都」瑞原は国際交易の要衝だ。
貴金属、食料、衣類や日用品、珍しい香辛料や貴重な書物、さまざまな物品が集まる。
異国の人間とケモウドとが酒を酌み交わし、少数ながらもミミナガさえ通りに店を構える。
平等に商工の権利が得られ、国や宗教による差別も少ない、まさに理想的な商人の街。
だが、甘く熟れた果実に虫がたかる様に、莫大な金の動く場所には悪辣な輩も多く現れる。
警備隊がそんな街の治安を守っている。
だが、市民の平穏をいたずらに刺激しないため、公にはその存在は認知されていないが、彼らの手には余る凶悪な集団もまた存在するのだ。
これは、一般には知られることすら無い犯罪組織を追い詰め、爆破することを使命とする少女、蛍の話である。
煙草と化粧の匂い漂う細道を歩いていると、そこかしこから歌と嬌声が響いてくる。不意に艶かしい喘ぎと求めるようなセリフも聞こえてきたが、これは演技だろう。
まだ日も落ち切っていないというのによくやるものだ。
細道を抜けて小さな水路を一つ越えると、そこからは雰囲気ががらっと変わる。
香るのは竹や糊、聞こえるのは打つ削る音。時折、誰かを叱り付けるような怒声が遠くの小屋から届く。
色街と職人街の間、水路沿いに立つ一軒の小さな茶屋に入る。
「戻ったよ」
「おう、首尾は?」
「上々だよ」
迎えてくれたのは茶屋の店主であり、ボクの仕置人としての上司でもあるマサだ。
仕置人というのは、ここ瑞原の役所が管轄している組織の通称だ。といっても、公にその存在は知られてはいないし、組織として認可されておらず、正式名称もない。
瑞原には賢人会という寡頭制議会が存在する。この賢人会が取り決めた法や指針を元に役所が動く。
一般的な犯罪や災害に対応するのは、この役所の下部組織である瑞原警備隊だ。警備隊にはさらに民間協力者からなる自警団が連なっている。
ボクたち仕置人は、同じく役所に属するが組織的犯罪や警備隊では手に余る犯罪を受け持つ執行組織だ。警備組織ではない。
ただの警備隊員じゃ、犯罪者だからっていきなり処刑するわけにはいかず、逮捕するにも段取りが要る。
さらに言えば、犯罪者にもかかわらず逮捕することが難しい輩というのもいる。異国からの大使や街有数の大商人など、社会的に重要な地位にいる人間だ。
だが、事情があるとはいえ悪人は裁かれなくてはいけない。
そこで仕置人には、直接刑罰を執行する権限が与えられている。
最低限の証拠などは無いといけないけど、この手で悪党を発破できるのだ。
なんて良い仕事だろう。
店はちょうど客がはけた時間のようで、他には誰もいない。
ボクは胸を張って仕事の成果を告げる。
「今日は四人吹っ飛ばしてきイタイ!?」
胸を張って答えたら、言い切る前に煙管が脳天に降ってきた。
「今回はヤらなくていいって言ったじゃねえか」
「悪党は吹っ飛ばすものッター!?」
「で、目的のほうは?」
「はい……」
「うお、血がべったりじゃねえか」
悪党の隠れ家から取ってきた書類を渡す。
指先でつまむようにしながら中身を確かめたマサは、ふんと一つ頷いた。
「丁寧に仕入れと稼ぎの内訳まで書いてある。随分とマメなヤツだったんだな。真面目にやってりゃ良い商人になったかもしれねえのに」
「たらればの話はいいよ。役に立つ?」
「ああ、これだけわかれば売人を一気に減らせる……だが、仕入れ先のほうはイマイチわからんな」
「化外の民らしい」
「ほう?」
「バリって名前の女らしいけど……これだけじゃなんの手がかりにもならないね」
化外の民というのは、魔の国に住む人々の蔑称だ。魔の国というのも、他国がそう呼んでいるだけで、実態はただのミミナガ種族の国に過ぎない。
瑞原にはミミナガがそれなりに多く暮らしている。他の街であれば魔の国出身者は公然と批難の対象となるが、ここではそれも穏やかなものだ。
「だから殺すなって言ってんだ、取調べりゃもう少し情報も入ったかも知れねえのに」
「えー吹っ飛ばさないなんて無理」
「反省しろぃ」
「たっ!?」
三発目を貰い蹲っていると、店に誰か入ってくる気配があった。
「こんばんは、センパイ」
やってきたのは、眼鏡をかけた鳥系のケモウドで、全体的にひょろ長い。
こいつは登、マサの同僚ということになる。マサや登は組織における幹部で、ボクのような下っ端に指示を出している。
ケモウドは普通、耳や頭髪、手足に少しだけ動物の特徴が現れるということが多い。
しかし登は鳥の特徴がほぼ全身に強く出ており、鳥のような人間というより人間に近付いた鳥、といった風貌だ。
猛禽の眼にクチバシ、手のひら以外ほぼ全身を覆う羽毛。イチモツも鳥のものだとしたらほぼ無いに等しいだろう。
どうやらここから少し遠い国の出身で、もともと動物の特徴が強い一族らしい。ちなみに登という瑞原風の名は偽名だろう。他の仕置人たちも、偽名で生活しているものが多いし、ボクも異国出身のため蛍は本名ではない。
「そのセンパイってのやめろよ」
「いいじゃないですか、減るものでもない」
「ふぅ……で、何のようだ?」
「とりあえずお茶をいただけますか。あとは……生魚を」
「菓子しかないぞ、ここには」
「お団子にする?」
「いえ、喉に詰まるので団子は……」
「丸呑みするからじゃん」
「歯が無いので仕方ないんですよ」
「知ってる」
「……」
とりあえずマサがお茶だけ淹れて持ってくる。一部のケモウド用に、水差しのような細い注ぎ口のある茶碗だ。
「それにしても血の匂いがヒドイですね」
お茶を受け取った登は、ボクの方を見て露骨に顔をしかめた。
人目に触れる前に返り血は拭いて上着も替えたんだけど、さすがにこういう仕事をしていると血の匂いには敏感になる。
「一仕事してきたとこだよ」
「また吹っ飛ばしたんですか。あなたはもう少し賢く出来ないんですかね?」
「そうだ、もっと言ってやってくれ。蛍のやつ、ちっとも反省しやがらねえ」
「センパイが甘いのも原因です。まったく……上手いこと扱えば雑魚も役に立つというのに。首輪を付けて泳がせておけばいいんですよ」
「……だそうだぞ、蛍?」
「やなこっターッ!?」
四発目は眉間に入った。本当に容赦の無い一撃にちかちかと星が飛ぶ。
「しかし、俺もあまりそういうやり方は好きじゃねえな」
「というと?」
「いくら小物といっても悪党を逃がして利用するのはな……」
「センパイは固いですねぇ。もちろん役に立たなくなったり、調子に乗り始めたら潰せばいいんです」
渋い顔をするマサに、登は肩を竦めてから一枚の紙を差し出す。
「今度の指令書です」
「わざわざお前が持ってきたのか。こんな使いっぱしりみたいなこと、誰かにやらせればいいだろうに」
「それでは少し困る内容でして」
「ふん?」
マサは指令書をさっと一読すると、灰皿に入れてキセルの灰を落とす。ぽっと音を立てて、ただの紙にはありえないような早さで燃え尽きた。
新しい葉をキセルに詰めながら、溜息を吐く。
「なんだってまた、こんなものが俺に回ってくる?」
「重要度の高い人物ですからね。信頼できる人選ということでしょう」
「俺は最近、このテの仕事はやってないんだぞ?」
「マサ、どういう仕事?」
一応、店の前にも人がいないのを確かめてから訊いてみる。
「要人警護だ」
「警護……誰を吹っ飛ばせばいいの?」
「逆だ逆。吹っ飛ばされねえように守るんだよ」
そういうのは苦手だ。赤い色の野菜と同じくらい。
ボクに限らず、今のところマサの部下は密偵、暗殺といった能力に偏った者ばかりだ。
要人警護と暗殺では、求められる能力の質も役に立つ魔法の種類も大きく異なるのは言うまでも無い。
「警護に向いてる人間がいねえ。他に回してくれよ」
「上からの指示ですから諦めてください。人手は私や他のところからも回しますから」
「アイツの命令か……」
天井に煙を吐き出し、マサは頭を掻く。
「しようがねえ。で、何かあるんだろう?」
「警護対象のコルトスは薬品類の輸入を手がける有数の大商人です」
「知ってるよ。瑞原大学や各省などの公的機関……俺たちとも取引がある」
「ええ、実質的に現在瑞原一の薬売りです。が、どうも未確認ながら問題があるかもしれません」
「なんだい、勿体つけないで話せよ」
「違法な取引を行っているのではないかという疑いがあるのです。指定機関以外との取引が禁止されている薬品を裏で販売したり……あるいは、麻薬を密売しているのではないかと」
マサは特に表情を変えることは無く、しかし数秒黙ってキセルを咥えていた。
「ちゃんとやってくださいよ?」
「どういう意味だ」
「そんな怖い顔をしないでくださいよ」
「……子供じゃねえんだ。やることはきちんとやる」
「ええ、センパイなら心配するまでもないですね」
登は口元に笑みを浮かべたようだった。クチバシだからわかりにくいが。
「もう一つ問題が」
「まだあるのかよ」
「近々、近隣諸国の大使や有力商人の集まる会食があり、それを襲撃するという情報が私のところに入ってきました。もちろん、コルトスも参加します」
「会食自体を中止にしろよ」
「出来ませんね。かなり大きな金の動く商談が多く取りまとめられる予定になっていますから」
「だろうな……襲撃してくる相手はわかっているのか?」
「それはわかっていませんが、今のところ大きな組織が動いているという情報はありません。おそらく血の気の多い新興組織でしょう」
「ねえねえ、襲ってきたやつなら吹っ飛ばしてもいいんだよね?」
「……まあ、程ほどに。それでは、明日にでも打ち合わせを」
登が茶屋を出て行くと、マサは大きな溜息を吐いた。
「マサ……」
「なんだ?」
「そのコルトスってやつ、吹っ飛ばそうか?」
「お前は何の話を聞いてたんだ! そいつを守るんだよ」
「でも、麻薬を売ってるって……」
「あくまで疑わしいってだけだろ」
また脳天にキセルが降って来る……が、今回は軽くこつんと叩かれただけだった。
「ヤるとしても証拠を掴んでからだ」
「うん、しっかり調べ上げて吹っ飛ばすよ!」
「本当にわかってるのか……?」
そろそろ店の前に人通りが増えてきた。そのうち大半が他街区から色街に向かっている。
このあたりにあるのは役所に認められた遊郭だが、瑞原には他にも認可を受けていない私娼館が存在する。むしろそういう店のほうが数としては多いだろう。
人間は人間、ケモウドはケモウドの廓に行くのが一般的で、違う種族の客を断るところもある。
だが、私娼の場合はそういうところを区別していなかったりする。他にもやたら若い娘にカラダを売らせたり、道具や薬を使ったり。
そうやって変態趣味にも応じるため、ヒリンリ的な店も出てくる。
あまりに酷い場合は私たち仕置人の出番となるのだが、いくら潰してもそういう店が無くなることはない。
カラダの欲求に抗える男は少ないということか。
と思っていたら、不意にぐるるという獣の鳴き声のようなものが私の腹から聞こえてきた。
「くくっ、奥でなにか食って来い。確か握り飯が残ってるはずだ」
抗えるニンゲンは居ないものだ。
店の奥の簾をくぐると、厨房と小部屋、そして階段がある。
小部屋の方に入ってみると、小さな卓が一つ置かれ、一人の少女が座布団に座っていた。
さらさらの黒髪は肩口で揃えられ、小さな青い玉の付いた髪留めをつけている。大きくつぶらな瞳は今は伏せられていた。
この子は藍佳、マサの一人娘であり、ボクの命の恩人だ。
俯いたままこちらに気付かない様子だったので、とりあえず声をかけてみる。
「ただいま」
「っ……あ、おかえり。蛍」
なぜか妙に驚きながら、顔をあげる藍佳。
「どうかした?」
「どうって、なにが?」
にっこりと笑顔で言われると、それ以上は追求しづらい。が、その表情の硬さからして何かを隠していることは明白だ。
「……ひょっとして、藍佳」
藍佳の横に座り、ぐっと顔を近づける。
「な、なに?」
「一人でスケベな遊びをダッ!?」
「するかー!?」
「み、見事なチョップだ……ちょっと舌噛んだよ」
マサのキセル攻撃に負けず劣らずの威力だった。
「もう、蛍ったら急に何を言い出すかと思ったら……」
「まあまあ、誰でもやることだし」
「やってた前提で話すなっ!」
「人間の三大欲求なんだから恥ずかしがらなくてもいいよ。食欲、性欲、発破欲」
「おかしいおかしい」
「食欲といえばお腹減った」
「また唐突に話を変えるね……」
藍佳は溜息を吐くと、苦笑しながら立ち上がる。
「待ってて、いまおにぎりを」
と、立ちくらみでもしたのか、藍佳が言葉の途中でふらつく。
そして、そのまま崩れるように倒れてしまった。
「藍佳!?」
慌てて抱え起こすと、藍佳の顔は真っ青になっていた。息も浅く荒い。
「マサ! マサツグ!?」
「どうした?」
店から頭を覗かせたマサは、すぐに血相を変えて駆け寄ってくる。
「藍佳! クソッ!」
マサはすぐに戸棚から注射器と薬を持ってくる。慣れた手さばきで薬液を吸い取り、それを藍佳の左腕に差す。
と、それに気付いたらしい藍佳の右腕が弱々しく動き、マサの手に重なった。
「や……」
マサは構わず薬液を押し入れる。
ほんの数秒で変化は現れた。藍佳の顔に血色が戻り、それどころか火照るように頬が赤く染まっていく。
汗もかきはじめ、息は荒いままだが深く熱い吐息になる。
「……効いたか」
藍佳の変化を確かめると、マサはすぐに部屋を出て行った。ちらっと見えた横顔は無表情だったが、強く握った拳が震えていた。
「は、ぁ……蛍?」
藍佳はとろんとした表情でボクを見上げる。
「もう、危ないところだったよ。どうして打たなかったんだ?」
「だって、こんな、クスリなん、て」
今彼女に打った薬は、病気の治療のためのものではない。
麻薬。それも非常に中毒性が強い危険なクスリだ。
藍佳に打ったものはかなり効果を薄めてある。とはいえ、どうしてそんなものを打つのかといえば、その禁断症状のためだ。
クスリが切れると、依存者は死ぬ。神経機能が麻痺して心肺が止まってしまうのだ。
一度このクスリを使用してしまうと、そのまま打ち続けて死ぬか、断って死ぬかの二択なのだ。
藍佳は以前、誘拐されたことがある。マサの仕事を恨んだ人間によって、藍佳はこのクスリを短期間に大量に打たれた。
今はなんとか別の薬で禁断症状を抑えてはいるが、完全に消し去ることは出来ていない。
そのため、定期的にこうして薄めたクスリを打たなければならないのだ。
ボクはしばらく藍佳を抱えたままじっとしていた。
数分が経ち、効果が落ち着いたようで呼吸も整ってくる。
「蛍、もう大丈夫だから」
「……藍佳」
藍佳の肩をぎゅっと抱きしめ、髪を撫でる。
「ごめん」
「……ごめんね」
藍佳の手に優しく背を撫でられながら、空腹を思い出すまでしばらくそうしていた。