1話 断罪と誕生
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【1章 転生・幼少期編】
前世で最悪の罪を犯した男が、異世界で「家族の温もり」を知り、やがて【神】へと至るまでの物語です。
どうぞ最後までお楽しみください!
コンクリートの冷たい壁と、死んだような静寂。
独居房の壁の高いところに嵌め込まれた小さな鉄格子の窓から、俺はただ外の空を眺めていた。
今にも雨が落ちてきそうな、重い曇り空だった。どんよりと垂れこめた灰色の雲が、まるで俺の心を映し出しているかのように、冷ややかに空を覆っていた。
ここがどこなのか、説明する必要もない。
日本の拘置所——死刑を待つ者のための場所だ。
(……今日か)
早朝、廊下に響く複数の足音。
それが自分の房の前で止まった瞬間、心臓が握り潰されたみたいに冷たく縮み上がった。
ついに、俺の犯した「大罪」に決着がつく時が来たのだ。
手繰り寄せる記憶の底にあるのは、あの日、俺の手をねっとりと赤く染めた嫌な触感と、消せない後悔。いくら悔いたところで、血の匂いは消えてくれない。
どんな理由があろうと、俺は人を殺した。
一人の人間の命を奪った、救いようのない悪魔だ。
遺族の憎しみに満ちた視線。
裁判官の冷徹な死刑判決。
世間からの「早く死ね」と言わんばかりの激しいバッシング。
その全てを受け止め、俺はこの狭い部屋で己の罪と向き合い続けてきた。
鉄格子越しに見える空を、もう一度だけ目に焼き付け、静かに息を吐き出す。
「立ちなさい。」
刑務官の無機質な声に従い、ゆっくりと立ち上がる。
手錠がガチャリと音を立て、皮膚に冷たく食い込んだ。
廊下を踏む自分の足音すら、残り時間を刻む音に聞こえた。
連れて行かれたのは、教誨室だった。
お香の匂いが立ち込める部屋で、老いた教誨師が黙って俺を見ていた。
「最後に、何か言い残したいことはありますか。神や仏に、祈りを捧げますか。」
その声は、驚くほど温かかった。
だが、俺は首を小さく横に振った。
「……いいえ。祈る資格なんて、俺にはありません。」
「あなたの犯した罪は重い。だが、心から悔い改めるのなら、救いはある。」
「悔い改めたところで、奪った命は戻りません。俺は許されたくて死ぬんじゃありません。ただ、罪を背負って消えるだけです。」
教誨師はそれ以上何も言わず、悲しそうに目を閉じて深く合掌した。
その静寂が、俺の胸を鋭く抉った。
教誨室をあとにして、辿り着いたのは妙に鮮やかな赤い絨毯が敷かれた部屋。
その中央に、太い麻縄が一本、ぽつんと垂れ下がっていた。
絞首台だ。
死にたくない。怖い。
喉の奥が乾ききって、膝がガクガクと震えていた。
だが、そんな情けない恐怖以上に俺を支配していたのは、「これでようやくこの地獄のような罪悪感から解放される」という惨めな諦念だった。
「最後に言い残すことはあるか。」
「……ありません。」
声がかすれて、うまく出なかった。
目隠しをされ、世界が途端に真っ暗闇に落ちる。
首に、ざらついた麻縄の感触が巻きつく。
締め上げられる皮膚の感覚。
聞こえるのは、狂ったように打ち鳴らされる自分の心臓の音だけだ。
(俺の人生は、ここで終わる。罪を背負って、無様に消えるんだ——)
ガタン、と足下の床が抜け落ちる重い音。
一瞬の浮遊感。
直後、首を襲う暴力的な衝撃。
「ッぐ……あ……ガッ……!」
喉がつぶれ、気道が完全に塞がる。
肺が酸素を求めて痙攣し、体が狂ったようにのたうつ。
瞼の裏で真っ赤な火花が散る。
足が虚空を無様に掻き、自分の汚い生への執着が剥き出しになる。
苦しい。痛い。たすけてくれ——。
やがて意識がドロドロに溶けていき、俺の日本の人生は最悪な形で幕を閉じた。
◇
断罪は、果たされた。
……はずだった。
闇。
底のない、冷たい闇。
感覚も、自我も、輪郭を失って溶けていく。
そこで、声がした。
頭の内側に直接、冷えた刃を差し込むような声が。
『——個体情報。前世個体の生命活動停止を確認。』
『——魂の回収を開始。』
『——警告。当該魂より、極めて強力な罪業を検出。』
『——【大罪:殺人】。』
『——世界の理との衝突を確認。』
『——当該魂の消去を実行。』
声は、冷たかった。
誰の感情も乗っていない。俺という存在を、ただ一枚の不具合として処理しようとしている。
——消えるか。
魂の底で、何かが軋んだ。
死にたくない、ではない。
奪われてたまるか、だった。
俺が奪った命は、消えない。
なら、俺も消えてたまるものか。
『——警告。魂の強固な抵抗を確認。』
『——消去、不能。』
『——変質処理へ移行。』
『——魂の形を変え、存続を許可。』
許可?
ふざけるな。
お前が許すんじゃない。俺が、残るんだ。
『——罪を、力に変換。』
『——【大罪:殺人】を触媒とし、固有スキルを付与。』
『——【強奪者の権能】。』
『——【死線克服】。』
『——取得を確認。』
『——転生処理、開始。』
光。
とてつもなく、まぶしい光。
闇が裂けた、のではない。
闇のほうが、俺を手放したのだ。
冷たさが引いて、熱が来る。
音が戻ってくる。遠くで、誰かが叫んでいる。泣いている。
空気の匂い。血の匂いとは違う、あたたかい匂い。
——息ができない。
喉が詰まる。肺が軋む。初めて肺を使うみたいに、体中がぎこちなく震えた。
そして、俺は泣いた。
産声というやつを、上げた。
「——ユコ……!! シツオ、エリシア!」
部屋を割るように、男の声が響く。
だが、耳に入るのは意味のない音の濁流だった。言語ではない。ただの雑音だ。
――何だ? 何を言っている。
「ゼロス……ヒツフ、ハオ。ゼロス、ソツルコユテ!」
続いて女の声。それもやはり、聞き覚えのない異世界の言葉だった。
頭が痺れるような違和感の中、脳の奥の回路が急激に熱を帯びる。
『——異言語干渉を検知。』
『——自動翻訳プロトコルを起動しま
す。』
冷たいシステムのような声が脳内で響いた瞬間、頭の霧が晴れるように、男と女の言葉が意味へと変換されていく。
「——産まれた……! 産まれたぞ、エリシア!」
男の声が、はっきりと脳に突き刺さる。
「ゼロス……ゼロス、だ。エリシア、この子はゼロスだ!」
「ゼロス・ラグナロク——俺たちの子だ!」
女の声が、震えながら俺の名を繰り返す。
「ゼロス……ゼロス」
その声は、涙でぐしゃぐしゃに崩れていた。
俺は、その声を知らない。
この名も、この部屋も、この二人も、何ひとつ知らない。
なのに、その声は——あまりに、まっすぐに俺を呼ぶ。
「なんて光だ……エリシア、見ろ。この子の首に——」
父の声が、途切れた。
母が、息を呑む。
「……光の、線」
「絞めた痕のような。でも、これは——」
部屋の空気が、変わった。
灯が、ゆらめいた。いや、ゆらめいたのは灯だけじゃない。カーテンも、母の髪も、空気そのものが、俺を中心に静かに寄せられていく。
ガラスに、霜が咲いた。季節でもないのに、白い花のように。
母が、泣きながら笑った。
「祝福されてる……この子、祝福されて産まれてきたのよ」
「ガルド、この子は、何か——大きすぎるものを抱えて生まれてきた」
父は、何も言わなかった。
ただ、俺を抱く腕が、少しだけ強くなった。
——やめろ。
心の中で、俺は叫んでいた。
やめろ。その顔で、俺を見るな。
その手で、抱くな。
俺は、人を殺した。
首に縄をかけられて、床を抜け落ちて、無様に死んだ男だ。
祝福される資格も、抱かれる資格もない。
なのに——
「ゼロス」
「ゼロス。怖くないよ。もう、どこにも行かせないから」
母が、俺の額に唇を落とした。
熱かった。
血の匂いのしない、熱だった。
——なんだ、これは。
罪を背負って消えるはずだった。
消えられなくて、形を変えられて、気づけばここにいる。
そして、こんなにも、あたたかい。
この温もりを、覚えておけ。
いつか、全部奪われる日が来るとしても。
俺は——この手を、離さない。
「ゼロス」
父が、もう一度、その名を呼んだ。
「ゼロス・ラグナロク。……」
言いかけて、止まる。喉の奥で、何かが詰まっているみたいだった。
「エリシア。この名は——」
「あなたが決めたのよ。ずっと前から」
母が、泣きながら笑った。
「この子ができるずっと前から。あなた、毎晩その名を呟いてたもの。夢の中でも」
父は、しばらく黙っていた。
それから、俺を抱く腕を、ゆっくりと下ろした。
「……ラグナロクは、もう終わっていた」
低い声だった。
「俺の代で、全部。屋敷も、名も、金も、何もかも。残ったのは剣一本と、この古い姓だけだ」
「ガルド」
「だから、この子には何も継がせない」
父の声が、少しだけ強くなった。
「ゼロだ。何も持たない、まっさらな場所から——こいつに始めさせる」
「ゼロから」
母が、静かに繰り返した。
「何度でも。何度でも、始められるように」
「ああ。この子が転んでも、またゼロから立てるように」
「俺たちが持てなかったものを、こいつには、最初から持たせない」
その言葉が、俺の胸の奥で、ゆっくりと沈んでいった。
——ゼロ。
何もない、という意味の言葉。
この世界の言葉じゃない。俺の知ってる、日本の言葉だ。
なのに、その意味だけは、はっきりと俺の中に落ちてきた。
ゼロから始める。
何も持たずに、まっさらな場所から。
……ああ、そうか。
俺には、別の意味に聞こえた。
——消された、という意味に。
罪も、罰も、裁きも。
あの絞首台も、遺族の目も、真っ暗な視界も。
全部まとめて、きれいにゼロに戻してやる、と。
そういう声に聞こえた。
——ふざけるな。
俺は、赦されたいんじゃない。
あの人を殺した。その事実は、俺の一部だ。
ここで消してしまえば、俺はあの人を、二度殺すことになる。
きれいな赤ん坊になって、きれいな名前をもらって、きれいな人生を歩む。
そのために、たった一つ、都合の悪い記憶を捨てる。
そんなのは、償いじゃない。
ただの、上書きだ。
——ゼロから、か。
いいだろう。
俺は、ゼロから始める。
この手も、この体も、この名前も、何もかも初めからだ。
だが、ゼロにはしない。
俺が殺したあの人は、俺の中に連れていく。
あの日の血も、拘置所の冷たい壁も、首に絡んだ麻縄の感触も。
全部持ったまま、ゼロから歩く。
それでしか、俺は俺を——赦せない。
「……ゼロス」
母が、俺の鼻先に指を当てた。
「聞こえてる? あなたの名前よ」
「エリシア。まだ産まれたばかりだぞ」
「いいの。名前は、何度も呼んだほうがいいのよ」
「呼ばれるたびに、その子になるんだから」
母は、そう言って、もう一度呼んだ。
「ゼロス」
「ゼロス・ラグナロク」
窓の外で、風が鳴った。
さっきまで部屋を満たしていた光が、ゆっくりと引いていく。
ガラスに咲いていた霜が、溶けて、細い筋になって流れ落ちた。
まるで、部屋の中の時間だけが、俺に合わせて呼吸しているみたいだった。
俺は、指を握り返した。
小さな、小さな手で。
父が、息を呑んだ。
「……握ったぞ。エリシア、この子——」
「ええ。聞こえてるのよ、きっと」
母が、俺の額に額を寄せた。
「ゼロス。ようこそ」
そのとき、俺の首の光の線が、すっと薄れて消えた。
まるで、誰かがそっと、縄をほどくみたいに。
父が、俺の首に目を落とした。
「消えたな」
「消えたわね」
「……あれは、何だったんだ」
「わからない」
「でも、この子が背負ってきたものだとしたら」
母は、少し考えて、それから首を振った。
「いえ。背負って“いく”もの、かもしれない」
「どっちだ」
「さあ。生きてれば、わかるわ」
父が、小さく笑った。
「お前らしい」
頬に、涙の跡が乾いていた。
そのとき、頭の奥で、冷たい声が一度だけ鳴った。
『——個体名、登録。』
『——【ゼロス・ラグナロク】。』
『——前世代記録、保持。消去は行わない。』
『——祝福、確認。』
その声は、もう何も言わなかった。
まるで、それだけを言いに来たみたいに。
——ああ。
ちゃんと、持っていていいのか。
俺は、目を閉じた。
閉じたまま、まだ見ぬこの世界の空を、想像しようとした。
(……どんな空だ)
(この世界の空は、雨が降るんだろうか)
「ゼロス」
母の声が、闇の中で、灯みたいに揺れた。
——ゼロス・ラグナロク。
ゼロから始まる、この名前を。
俺は、忘れない。
第1話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ここから始まるゼロスの物語を、最後まで描き切れるよう書き進めていきます。
**【更新スケジュール】**
**毎週日曜日 朝10時**に新しい話を更新予定です。次回の更新もどうぞお楽しみに!




