三つ目はよくありますが、四つ目になってしまいました。それを活かして探偵始めてみました。
朝起きたら、目が四つになっていた。
正確には、額に生えた三つ目の隣に、もう一つ目が増えていた。
「……増えるなよ」
鏡の前で、俺は思わずつぶやいた。
昨日まで三つ目だったのだ。三つ目なら、まあ、まだいい。いや、よくはないが、千里眼が使えるという特殊能力の持ち主だと思えば、なんとか自分を納得させられた。
しかし、四つ目はどうだ。
額に目が二つ。
どう考えても、納得する前に病院へ行くべき姿である。
もっとも、病院で何と説明すればいいのかは分からない。
「先生、目が生えました」
そんなことを言ったところで、まず精神科を紹介される気がする。
俺は深いため息つき、増えたばかりの目をそっと指で触った。
すると、頭の中に知らない光景が流れ込んできた。
古びた喫茶店。窓際の席。白いカップを持つ老人。
……あのじいさんだ。
俺に千里眼を授けた、駅前で出会った謎の老人。
老人はカップを置き、こちらを見た。
『おや。もう気づいたか』
「気づくに決まってるだろ! 何だよこれ!」
『四つ目だな』
「見れば分かる!」
『よかったじゃないか。新しい力だ』
「よくない! 目は増設するものじゃないんだよ!」
叫んでみたが、老人は涼しい顔でコーヒーを飲んでいる。
『その目は過去を見る』
「……過去?」
『そうだ。見たいものを思い浮かべてごらん』
そこで映像が途切れた。
「説明が雑すぎるだろ……」
俺は鏡をにらんだ。
四つ目の目は、普通の目と同じように開いたり閉じたりしている。気味が悪いことに、まばたきまで自然だった。
だが、能力が増えたのなら、試してみない手はない。
俺は机の上に置いた腕時計を見つめた。
昨日、帰宅してから外したものだ。
昨日の腕時計。
昨日の腕時計を見た瞬間、四つ目が熱を帯びた。
視界が揺れる。
次の瞬間、俺は昨日の自分を見ていた。
帰宅した俺が、腕時計を外して机に置いている。時計は机の端に転がり、今にも落ちそうになった。
俺は慌てて手を伸ばした。
だが、それは過去の映像だ。手は何もつかめない。
過去の俺は、時計を置き直して、そのまま部屋を出ていった。
映像が消えた。
「本当に過去が見えるのか……」
千里眼は遠くの場所を見る力。
新しい目は、過ぎ去った時間を見る力。
……待てよ。過去が見えるなら、昨日の『アレ』も確認できるんじゃないか?
俺の脳裏に浮かんだのは、昨日、千里眼でうっかり覗いてしまった会社の社長室だった。
社長が焦った様子で引き出しに隠した、見覚えのない勘定科目が並ぶ分厚いファイル。
俺は前髪をあげ、二つの額の目に意識を集中させた。
遠くの会社へ。そして、昨日の社長室へ。
視界が歪み、社長室の映像が映し出される。昨日見た光景の『少し前』の過去だ。
そこには、社長と専務が暗い顔で机を挟んで向き合っていた。
『……これで帳簿の数字はごまかせるな?』
『ええ。ですが、次の監査で見つかれば終わりですよ』
『絶対にバレるな。すべて裏の口座へ流せ』
二人のやり取りと、開かれた裏帳簿のページ。日付、金額、口座番号まで、過去を見る目(追憶眼)のおかげではっきりと読み取ることができた。
……見てしまった。
見たくもない、会社の致命的な裏金工作の不正を。
翌日、俺は前髪を深く下ろして出社した。
何事もなかったかのように仕事をこなすつもりだったが、一度知ってしまった不正の事実と、社内に漂う白々しい空気に耐えられなくなった。
このまま知らぬ顔で給料をもらい続けることは、俺にはできなかった。
俺は匿名で監査部門と外部の通報窓口へ、あの日見えた裏帳簿の正確な情報を書いた文書を送った。
数日後、会社は大騒ぎになった。監査が入り、社長と専務は連行され、会社は事実上の解体状態に追い込まれた。
誰も俺が通報したとは知らなかったが、巻き込まれる形で俺たちの部署も整理されることになり――俺はあっさりと会社を辞めた。
後悔はしていない。だが、無職になったのは事実だ。
千里眼があれば現場を探せるし、過去が見えれば何が起きたかも分かる。
この二つの目を生かして生きていくなら、答えは一つしかなかった。
探偵だ。
他人の秘密をのぞき放題というのは問題だが、依頼を受けた範囲だけを見るなら、これ以上の適職はないはずだ。
こうして俺は、サラリーマンを辞めて探偵を始めることにした。
*
事務所を構える金はなかった。
仕方なく、駅から少し離れた古い雑居ビルの一室を借りた。机と椅子と中古のパソコン。それから、手書きの看板。
『探偵事務所 遠見』
名前は、千里眼にちなんでつけた。
まず準備したのは、深めにかぶれるハンチング帽子だった。
探偵としての形から入るため……ではない。額に増えた二つの目を隠すためだ。目深にかぶって重めの前髪を垂らせば、外からはただのおしゃれな探偵に見える。
この『見た目』と『観察するフリ』さえ徹底すれば、依頼人に怪しまれることなく、額の目をフル活用できるはずだ。
看板を掲げた初日、依頼人は一人も来なかった。
二日目も来なかった。
三日目には、大家から「本当に営業しているのか」と確認された。
四日目の午後、ようやくドアが開いた。求人サイトを見ようとしていたところだった。
「ここが探偵事務所ですか?」
訪ねてきたのは、三十歳くらいの男性だった。
疲れた顔をしており、何度も周囲を気にしている。
「こちらは探偵事務所で間違いありませんか」
「はい。ご依頼でしょうか」
男性は椅子に座ると、しばらく迷ってから口を開いた。
「明日の自分を探してほしいんです」
「……はい?」
初依頼が、いきなり意味不明だった。
「すみません。もう少し詳しく説明していただけますか」
男性は両手を握りしめた。
「ここ数日、同じ夢を見るんです。自分の手が血で汚れていて、目の前に誰かが倒れている。周囲には人が集まっているのに、誰も助けようとしない。そこで目が覚めます」
「夢、ですか」
「はい。最初は気にしていませんでした。でも、夢の中で聞こえる音や、見える景色が妙に現実的なんです。それに、夢の最後にはいつも時計が映ります」
男性はスマートフォンを取り出した。
画面には、時刻が表示されていた。
午後三時。
「明日の午後三時、夢と同じことが起きる気がするんです。自分が誰かを傷つけてしまうんじゃないかと……」
俺は男性の顔を見つめた。
「何か、心当たりはありますか?」
「ありません。誰かと揉めているわけでもないし、恨みを買うようなこともしていません」
「夢に出てくる場所は?」
「古い歩道橋です。近くに花屋があって、道路を大きな車が走っています」
俺はメモを取った。
夢が未来を予知しているとは限らない。
ただ、男性がそこまで怯えているのなら、調べてみる価値はある。
「分かりました。まずは、その場所を探しましょう」
*
男性から聞いた特徴を頼りに、俺は千里眼を使った。
視界が遠くへ伸びていく。
街並みを上空から眺めるように、道路や建物を次々と確かめていく。
やがて、古びた歩道橋が見つかった。
その近くには、小さな花屋がある。
「ここですね」
男性に場所を確認してもらい、俺たちは現地へ向かった。
歩道橋の下は、交通量の多い道路だった。すぐそばには横断歩道があり、花屋の店先には色とりどりの花が並んでいる。
男性は周囲を見回し、顔をこわばらせた。
「……間違いありません。夢に出てくる場所です」
「いつから、この夢を見るようになったんですか?」
「一週間ほど前からです」
「この場所に来たことは?」
「分かりません。通勤経路からは外れていますし、普段は来ない場所です」
俺は歩道橋を見上げた。
確かに、夢の舞台としては妙に具体的だ。
だが、ここを見つけただけでは何も分からない。
俺は四つ目を開いた。
男性が夢を見始める前の記憶をたどる。何か、この場所につながる出来事があるかもしれない。
映像が浮かび上がった。
男性は自宅で眠っている。別の日には会社で仕事をしている。特に変わった様子はない。
さらに過去へさかのぼる。
数年前。
映像の中の男性は、この歩道橋の近くに立っていた。
突然、幼い女の子が道路へ飛び出す。
車が迫っていた。
男性は迷わず走り出し、女の子の身体を歩道へ押し戻した。
次の瞬間、車が男性をはねた。
男性は道路に倒れ込む。
周囲から悲鳴が上がった。
女の子は泣きながら男性のそばに駆け寄ろうとしたが、近くにいた大人に抱き止められていた。
そのとき、女の子が叫んだ。
「おじさん! おじさん!」
男性はかすかに顔を動かした。
女の子の声を聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。
そこで映像は途切れた。
「……そういうことか」
俺は思わずつぶやいた。
男性が見ていた夢は、未来の出来事ではなかった。
過去の記憶だったのだ。
*
「数年前、この場所で事故に遭ったことはありませんか?」
俺が尋ねると、男性は驚いたように目を見開いた。
「心当たりがあるんですね?」
男性はゆっくりとうなずいた。
「はい。確かに、数年前に交通事故に遭いました。でも、詳しいことは覚えていないんです。目を覚ましたときには病院のベッドにいて、事故の前後の記憶が曖昧でした。なのでこの場所かどうかも……」
「その事故で、誰かを助けた可能性があります」
「誰かを……?」
「幼い女の子です。道路に飛び出した子を助けて、あなたは車にはねられた」
男性は呆然と俺を見た。
「そんなこと、覚えていません……」
「だからこそ、夢になって現れたのかもしれません」
もちろん、夢の仕組みまで俺に分かるわけではない。
ただ、過去の映像と男性の夢には、いくつかの共通点があった。
血で汚れた手。
倒れた人影。
周囲に集まる人々。
そして、午後三時を示す時計。
男性は、事故の記憶を失っていた。
それなのに、何かのきっかけで断片的な記憶が夢となって現れたのだろう。
だが、俺にはまだ気になることがあった。
「事故に遭ったあと、何か聞きましたか?」
「いいえ。目が覚めてから、事故のことを詳しく聞くのが怖くて……。自分が何をしたのか、知りたくなかったんです」
男性は苦しそうに顔を伏せた。
「もし、誰かを傷つけていたらと思うと……だから記憶がないのがむしろ救いというか……」
「少なくとも、俺が見た限りでは、あなたは女の子を助けています」
男性は顔を上げた。
その目には、戸惑いと安堵が入り混じっていた。
「本当に……?」
「ええ。ただ、確かめたいことが一つあります」
俺は花屋に目を向けた。
事故当時、あの女の子がその後どうなったのか。
そして、なぜ今になって男性の夢に現れたのか。
それを知るには、もう少し調べる必要があった。
*
花屋の店主は、事故の話を聞くと、すぐに表情を変えた。
「ああ、あの事故ですね。よく覚えていますよ」
「ご存じなんですか?」
「ええ。あの日、店の前で大きな事故があったんです。小さな女の子が道路に飛び出して、通りかかった男性が助けたんですよ。私も女の子の介抱しましたから」
店主は店の奥から、古いアルバムを持ってきた。
「その女の子のお母さんが、後日お礼に来てくれたんです。そのとき、写真を一枚いただいて」
ページの中に、一枚の写真が挟まっていた。
花屋の前で、母親と幼い女の子が並んでいる。
女の子は少し緊張した顔で、手に小さな花束を持っていた。
「この子は、今どうしているんですか?」
「もう大人になっているでしょうね。お母さんは、助けてくれた男性をずっと探していたそうです。でも、男性の名前も分からなかったし、事故のあと、すぐに救急車で運ばれてしまったから」
店主は写真を見つめた。
「いつかお礼を伝えたいと、話していましたよ」
俺は写真の裏を確認した。
そこには、短い文字が書かれていた。
『命の恩人へ、いつかありがとうを伝えられますように』
男性は、その言葉をじっと見つめていた。
「……僕は、誰かを助けていたんですね」
「そうみたいですね」
男性は小さく笑った。
「夢のせいで、明日が怖かったんです。でも、本当は過去のことだったんですね」
俺はうなずいた。
「ただし、まだ一つだけ分からないことがあります」
「何でしょう?」
「なぜ、今になって夢を見るようになったのかです」
男性は考え込んだ。
そして、しばらくしてから口を開いた。
「……そういえば、一週間前に実家の荷物を整理したんです。そのとき、事故のあとに病院から返された持ち物が出てきました」
「持ち物?」
「血のついた腕時計です。壊れていたので、そのまま箱にしまっていたんですが……」
俺は思わず男性を見た。
「その時計、まだありますか?」
「はい。自宅に」
俺たちはすぐに男性の家へ向かった。
*
男性が持ってきた箱の中には、古い腕時計が入っていた。
ガラスにはひびが入り、針は午後三時で止まっている。
俺は時計を手に取り、四つ目を開いた。
事故当日の光景が、再び映し出される。
男性が女の子を助ける。
車にはねられる。
地面に倒れた男性の手から、腕時計が転がり落ちる。
時計は道路にぶつかり、針が止まった。
午後三時。
夢に出てきた時刻と同じだった。
「これだったんだ……」
男性は時計を見つめた。
夢の中で見ていた血のついた手も、倒れた人影も、すべて事故の記憶につながっていた。
そして、時計が止まった時刻が、夢の中で繰り返されていたのだ。
男性の心に残っていた過去の断片が、夢となって現れていただけだった。
俺は時計を箱に戻した。
「やはり明日、何かが起こるわけではありません。少なくとも、あなたが見た夢は、未来の出来事ではなかったんです」
男性は、長い間黙っていた。
やがて、深く息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「いえ。俺は、見えたものを調べただけですから」
そう答えたあと、俺は少しだけ言い直した。
「正確には、見えたものを手がかりにしただけです。何が起きたのかを理解するには、あなたの話も必要でした」
男性はうなずいた。
「事故のことを、もう一度ちゃんと調べてみます。そして、あの女の子が今どうしているのかも」
「そうしてください」
男性が帰ったあと、俺は事務所の椅子に深く腰を下ろした。
初めての本格的な依頼だった。
未来を知りたいという依頼だったのに、結局、見つけたのは過去だった。
それでも、依頼人の不安を取り除くことはできた。
探偵として、悪くない仕事だったと思う。
*
その日の夜。
俺は依頼記録に一行を書き加えた。
『依頼内容:明日の自分を探すこと』
『結果:過去の自分を見つけた』
我ながら、なかなかいい記録だ。
満足してペンを置いたところで、俺はふと己の額に触れた。
能力はもう十分満足していてる。
「……現在も過去も見通せるなんて、探偵としては破格のスペックだ。顔面の賑やかさも、目四つ……まあもうこれ以上の異形化は勘弁してほしいな」
そうつぶやいた直後、額の目が一つ、ぱちりと開いた。
今度は、未来を見る目だった。
「いや、増えるなってば!」
古い雑居ビルに、俺の叫び声が響き渡った。




