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第八章 前編


 大通りのざわめきが窓越しに聞こえてくる。

 手元で鳴る剣の手入れの音さえ、かき消えてしまいそうだった。


 姿勢を変えようと身じろぎすると、足元の床がぎしりと鳴る。


「……いつまでベッドに縛り付けるつもりなのよ」


 睨むような視線がルクレアから投げられ、ロイドは顔を上げた。


 顔色は悪くない。

 倒れたあの時よりは。


「まだ駄目だ」


 ルクレアの眉間に皺が寄った。

 ベッド横の机を、指先でトントンと叩く抗議の音が聞こえてくる。


「もう平気だって言ってるでしょ」


 ロイドは一瞬黙り、顎に手を添えてルクレアを見つめる。

 眉間の皺が少し薄くなる。


「……ルクレアの平気は、俺の基準だと平気ではないから駄目だ」


 また、皺が濃くなった。














 市場は人の声で溢れている。


 焼き菓子の甘い香り。

 香ばしい肉の匂い。


 つい視線を向けてしまうが、今日の目的はそれではない。


 部屋を出る前に振り返ったルクレアの姿を思い出す。

 

 旅立ちはまだ少し先だ。

 食糧の買い出しは後日で良いだろう。


 食べ物の露店が並んでいる。

 ロイドはそれを一瞥し、奥へと進んでいった。














 市場の奥。

 日用品や旅支度に必要な品が並ぶ店の扉を開いた。


 補充するべきものは幾らでもある。

 ロイドは消耗品を幾つか手に取り、吟味しつつ、ひとつの商品に目を止めた。


「お、お兄さんお目が高いね! うちでも定番の人気の品だよ!」


 ロイドは目の前のリュックを手に取り目の高さまで持ち上げる。

 今使っているものよりも大きく、頑丈そうだ。


「うちは、革の取り扱いには自信があってねぇ。それも重いもんにも耐えられる! 濡れても大丈夫! いい品だよ!」


 このリュックならば、自分が荷物を持てる量も増えるだろう。

 それを手に取り、他の品と合わせて店主へ差し出した。


「これで会計を頼む」


「あいよ! まいどあり!」


 店主が商品を確認している間にロイドは店の品をぐるりと見渡す。

 

 品揃えが豊富な店だ。

 旅人御用達の品から日用品まで、様々な品が並んでいる。


 机の端には簡単な金属細工の腕輪なども並べられていた。

 贈り物なんかには良さそうだ。


「これだけ買ってくれたからおまけしといてやるよ」


「助かる」


 店主の示した額を渡し、商品を受けとった。

 想定外のものを購入したが、路銀にはまだ余裕がある。


「そういや、兄さん旅人さんだよな?」


「そうだ」


「なら、三日後の祭りは見ていくのかい?」


「祭り?」


 リュックの中に細々としたものを入れ、肩に担ぐ。

 店主は少し目を丸くしてロイドを見つめていた。


「なんだい……知らなくてこの街に来たのか? うちの街の収穫祭はそりゃあもう、なかなかの人気でな。余所の街や……なんなら、貴族様なんかも覗きに来るくらいなんだぞ?」


 三日後ならばルクレアの体調もかなり回復しているだろうか。

 それなら、少し見て回るのも良いかもしれない。


「来れそうなら、見に来よう」


「おお! それがいいよ」


 店主に軽く手をあげて、立ち去ろうとしたロイドの足が止まる。


「……この靴」


「ん? ああ、いいだろ? 長いこと歩いても疲れにくい! 破れにくい! いい靴だよ」


 底がしっかりしていて、内側は柔らかい生地で出来ている。


「ある程度紐で調整は出来るが……兄さんくらいの体格だともう少し大きい方が良さそうだな」


 奥から在庫を出そうとする店主にロイドは首を横に振った。


「いや。もう少し小さいサイズを見せてくれ」

















 宿の階段がギシギシと軋む。

 

 宿泊している部屋の扉を開けば籠った空気が顔を包んだ。


 買ったものをリュックから取り出し、適当にベッドに並べていく。

 細々した仕分けや片付けは後でまとめてすればいいだろう。


 ベッドの上に並べられた品から一つを手に取り、ロイドは廊下へ出る。

 隣室の手前で声をかけ、扉をノックすれば、少し間を置いてルクレアの声が返ってきた。


「入ってもいいか?」


「……いいわよ」


 ゆっくりと扉を開けば、窓から部屋に入った風がロイドの頬を撫でる。

 窓から少し離れたベッドで身体を起こしたルクレアがロイドの方を見ていた。


「あまり、身体を冷やさない方がいい」


「……あたしは重病人か何かなの?」


 呆れたような視線を向けるルクレアにロイドは首を傾げる。


「重病人でなくとも、身体は冷やしすぎない方がいい」


 ルクレアはため息を吐き、肩をすくめる。


「そういう意味じゃないんだけど、まあ、そうね」


 ロイドはルクレアの返答に生真面目な顔で頷きながら、慣れた動作でベッド横の椅子に腰を下ろす。


「ルクレア」


「……何よ?」


 手に持った包みを手渡せば、怪訝な顔をして受け取られる。

 がさがさと紙袋が開かれ、ルクレアが少し目を丸くする。


「これなら、少しは疲れもマシだろう」


「……わざわざ、買ってきたの?」


 俯き、手元を見ているルクレアの顔は良く見えない。


「買い出しの時に見つけた。今の靴は随分と草臥れていただろう?」


「まあ、そうね。王都からずっとだもの」


 ルクレアが手元の靴をそっと撫でながら、顔を上げる。

 その顔色はロイドが宿を出る時よりも、明るく思えた。
















 久しぶりの外。

 賑やかな喧騒が目の前に広がる。


 空腹をそそるような屋台の匂い。

 客寄せの声。


 


「……大丈夫か?」


 相変わらずなロイドの人助け。

 屋台から転がり落ちた商品を集めるべく駆け寄るロイドを、ルクレアは慣れたように腰に手を当てて見送った。

 



「……あんた、祭りに何しに来たの?」


 屋台の商品を拾い、迷子の親を探し、重たい荷物を運ぶ商人の手伝いから戻ってきたロイドにルクレアは呆れた目を向ける。


「……祭りを見に来た?」


「その割にはさっきから祭りそっちのけで人助けしてるじゃない。……別に、今更良いけど」


 顎に手を当てたロイドにルクレアはため息を吐く。

 祭りの会場に着き、沢山の屋台、仮設の舞台があるにも関わらず、先程からルクレアが見ていたのは度が過ぎるお人好しの善行だ。


 慣れてはいるが、このまま一日が終われば、ここに何をしに来たのか分からなくなりそうだ。


「……屋台で何か買ってこよう」


 言葉と同時に屋台に歩いていくロイドをルクレアは少し後ろから眺める。

 

 ……途中で親子連れにぶつかりかけた彼は、また何か用事を引き受けているようだ。


 何度目か分からないため息を吐きながら、ロイドが向かおうとしていた屋台を見た。

 

 果物の蜜漬けが売られている。

 林檎に杏、李に木苺。


 甘い香りがここまで漂ってくる。


「……林檎の蜜漬けか」


 幼い頃、林檎の蜜漬けを好んでいたことを思い出した。

 杏の蜜漬けは酸味のせいで苦手だったことも。















 一番高いところ。

 村を見渡せる丘が好きだった。


「ルクレア!」


 丘に一本生えてる木に凭れて、目を瞑って風に吹かれるルクレアを呼ぶ、優しい声。


「……お父さん!」


 畑の手入れを終えて、泥と汗の匂いがする父親に飛び付いた。

 後ろにふらつきながらも、父はルクレアを受け止め、抱き上げる。


「今日は何をしてたんだ?」


「今日はね! みんなと追いかけっこして、あたしが一番だったんだよ!」


 父の顔を見下ろしながら、ルクレアは身振り手振りで精一杯、自分の頑張りを伝える。


 足の裏に地面が当たり、頭に父の大きな手が乗せられる。


「ルクレアは凄いなぁ! 一番になったのか!」


 くしゃくしゃと髪を乱す暖かさにルクレアはきゃぁと喜びの声をあげた。


「今日の晩ごはんは何かなぁ?」


 父の大きな手がルクレアの小さな手をすっぽりと包み込んでいる。

 腰を曲げて歩く父はルクレアに笑顔を向けた。


「なんだろうなぁ……まあ、母さんの作るご飯なら何でも美味しいけどな」


「あたし、林檎の蜜漬け食べたーい!」


 繋いだ手をぶらぶらと振りながら言うルクレアに父は少し眉を下げる。


「……今度の街のお祭りで買おうな」


「うん! 楽しみ!!」


 橙色に染まる道。

  

 近所の家からはパンが焼ける匂いが漂っている。


「……あ!」


 ルクレアが父親の手を振り払い、駆け出した。

 

 目指した地点は少し先。

 杖を付いて歩く老人の元だ。


「トムじいちゃん大丈夫?」


 隣家のおじいちゃんに手を貸し、ルクレアは寄り添うように歩き始める。


「ああ、ルクレアか……。大丈夫だよ。ありがとうね」


 皺くちゃのトムじいちゃんの顔が更に皺くちゃになった。

 ルクレアが大好きな顔だ。


「ロビンさん……いい娘さんを持ったねぇ」


 トムじいちゃんが後ろに笑顔を向けた。

 父が嬉しそうに頷いている。


「ええ。とても優しい子なんですよ」



 






「ただいま!」


 おじいちゃんを家まで送り届けて、自分の家に駆け込んだ。

 大きな声をあげれば、母がエプロンで手を拭きながら、笑顔でルクレアを迎え入れる。


「おかえり。……今日はちょっと遅かったのね?」


「ただいま。隣のトムさんを送ってたんだよ」


「あたしが! あたしがトムじいちゃんのこと支えて歩いたんだよ!」


 ルクレアが腕をあげて母に主張すれば、先ほどの父と同じように笑顔でルクレアを抱き締めてくれる。


 世界で一番安心できる場所。


 ルクレアもぎゅうっと力一杯母の身体に腕を回す。


「いい子ねルクレア。……さあ、ご飯が出来てるから、冷めないうちに皆で食べましょう」


 野菜の入ったスープに焼きたてのパン。

 小さなボウルに入ったサラダ。


 お祭りの日のように豪華じゃない。

 けど、いつも食べてる安心の味だった。















 楽しそうな笑い声。

 村の中よりもずっと多い人。

 嗅いだこともない美味しそうな匂い。


 特別だと買って貰った大好きな林檎の蜜漬け。


 特別で楽しいお祭りの日。

 しかし、ルクレアの心は深く沈んでいた。


「……お父さん、お母さん」


 二人と繋いでいる筈だった手で自分の服の裾を握り締める。

 片手で持った林檎の蜜漬けの甘い匂いもちっとも嬉しく思えない。


 少し気になる屋台に気を取られて、人込みに流され、父と繋いでいた手を離してしまったのだ。


 俯き、立ち止まったルクレアの小さな身体が、後ろから押された。


「……邪魔だよガキ!」


「あ……!」


 瞬きする間に視界がぐらりと揺らいで、べしゃりと地面に転がってしまう。

 

 膝と手のひらがずきずきと痛む。

 蜜漬けが砂の上に転がった。


「ご、ごめんなさい……」


 顔をあげて言った時には誰もルクレアを見ていなかった。

 

 頬を涙が濡らしていく。

 ぐしぐしと顔に土を着けながら、ルクレアは食べられなくなってしまった蜜漬けを拾って、人込みから外れて膝を抱えて泣き出してしまう。


 影に隠れたルクレアに気が付く人など居ない。


 筈だった。


「……お嬢ちゃん、大丈夫?」


 優しそうな女の人がルクレアと視線を合わせて声をかけてくれた。

 不思議な形の首飾りがゆらゆら揺れている。


「だ、大丈夫……」


「そっか。……転んじゃったのかな? お父さんとかお母さんは?」


「……居なくなっちゃった」


 ルクレアの目から涙が零れる。

 女性は眉を下げて、汚れるのも構わずにハンカチでルクレアの頬を拭ってくれた。


「……じゃあ、私と一緒に探しましょう?」


 顔を上げたルクレアに太陽みたいに暖かい笑顔が降り注いだ。


「怪我も見せてくれるかな?……お姉さんが治してあげる」


 膝と手が眩しい光に包まれて、ほんの少しヒリヒリと痛くなる。

 だけど、光が消えた頃には傷も痛みも無くなっていた。


「これで、どうかな?」


「……痛くない!」


 手を握って開いてを繰り返すルクレアの頭に暖かい手が乗せられる。


「……お姉さん、ありがとう!」


「あ……どういたしまして!」


 ルクレアの言葉に何故か目を丸くしたお姉さんに、首を傾げる。


「……ルクレア!!」


 人込みの中からルクレアを呼ぶ声がした。

 振り向いたルクレアの視界に汗を流しながら駆け寄る父の姿が映った。

 

「……お父さん!!」


「心配したよ! 一人で怖かっただろう……」


 優しく抱き上げてくれた父に、ルクレアは身振り手振りしながら、懸命に話す。


「一人じゃなかったよ! お姉さんが大丈夫ってしてくれてね! 怪我もね、お姉さんが治してくれたの!!」


「怪我を……?」


 首を傾げた父は、お姉さんの顔を見て、胸元の飾りに目を見開いた。


「聖女様……? そんな、うちの子の怪我を治してくださったんですか!?」


 父が慌てているのをルクレアはポカンと口を開けて見つめていた。


「聖女様に治して貰えるなんて……あ、なにかお礼を……!」


「いえ、そんな……軽い擦り傷を治しただけですから。それに、お礼はこの子に言って貰いましたからそれで充分ですよ」


 聖女と呼ばれたお姉さんは、そのままなにも貰わずに、笑顔で歩いていってしまった。




「お父さん。聖女様ってなあに?」


「聖女様はな……ルクレアにしてくれたみたいに、誰かの怪我を治して助けてくれる人だよ」


 聖女様が歩いていった方を見ながら、父はルクレアの質問に答えてくれる。

 ルクレアは落としてしまった蜜漬けの林檎を抱え直して、父の顔をじっと見る。


「怪我を治したり、助けたり出来るの!? あたしも聖女様になれる!?」


「どうだろうなぁ。聖女様になるには、治癒魔法が使えないといけないんだよ。ルクレアがそれを使えるようになれればなれるけど……まずは、元気に大人になってからだな」


 父はぐりぐりと頭を撫で、落とした蜜漬けをルクレアの手から受け取る。


「母さんも探してたから、まずはお迎えに行こうか? その後、蜜漬けを買い直そう」


 この日食べた林檎の蜜漬けは、今までで一番キラキラしていて、美味しく思えた。






 



 



 いつもの丘の上。

 足元に本を並べて、手元の布に糸を刺していく。


「ルクレア」


「あ、父さん……もう畑の手入れは終わり?」


 汗と泥で汚れた服。

 少し増えた目元の皺。


 ルクレアの大好きな笑顔を浮かべた父が、丘を登ってくる。


「ちょうど良かった……動かないでよ?」


 大きく破れた部分に別の布で継ぎ当てをした父の服を背中に当てる。

 少し小さくなってしまったかと思ったが、上手く補修できていたようでルクレアは息を吐いた。


「……ルクレアが直してくれたのか?」


「ええ。父さん、この服を気に入ってたみたいだから……」


 父が嬉しそうに頬を緩ませ、目元をそっと拭う。


「ちょっと……シャツくらいで大袈裟よ」


「いやぁ、こうしてすぐに大きくなって、お嫁さんにでも行くのかと思ったら……嬉しいけど、寂しくて」


 針道具をしまい、ルクレアは呆れたように父の顔を見上げた。

 腰に手を当てて、ため息を吐く。


「お嫁なんて……まだ5、6年以上先のことでしょ?」


「いやいや、父さんにしてみたらすぐなんだよ。この間まで、父さんに駆け寄ってきて抱っこをせがんでたのになぁ……」


 しみじみと遠くを見るように呟く父にルクレアはもう一度ため息を吐いた。


「……ほら、もう! 母さんも待ってるだろうから帰ろ?」


 足元に並べた本と針道具入れを拾い、ルクレアは父の顔を見上げる。


「ルクレア……本が読めるようになったのか」


「まだ、全然よ。……トムおじいちゃんに教わってるけど、ほとんど絵ばっかりのやつだもん」


 ぎゅっと本を抱えたルクレアの頭を父が優しく撫でた。

 目を細めた父の顔に暖かさとむず痒さを覚えてしまう。


「もう、すっかりお姉さんだなぁ……」


「……当たり前でしょ。あたし、今年でもう13よ?」


 呆れた目をちらりと向けはするが、頭を撫でる手を振り払いはしない。


 橙色の道に影が並ぶ。

 近頃はすっかり家から出なくなったトムじいちゃんを家まで送ることはもうないのかもしれない。


 だけど、隣を歩く父の笑顔はそこにあって。

 家の扉を開けば、母が暖かく出迎えてくれる。


 ずっと変わらない幸せ。

 その中で少しずつ大人になって、なりたい自分に変わっていけるのだと。


 そう思っていた。



 








 暗い。

 身体が痛い。


 ルクレアの身体を抱えるように抱き締める母の体温が、冷たくなっていく。


 怖い。

 苦しい。


 何かを拒絶するように目を瞑ったルクレアの視界が突然、真っ白に染まった。

 驚く間もなく、身体が先程よりも酷い痛みを訴える。


 骨が軋み、傷口が抉られるような感覚。

 思わず漏れたルクレアの声を聞くものは居ない。


 光が収まる頃には、ルクレアの身体から痛みも傷も消え失せていた。


「……な、なに?」


 赤に染まったままの自分の身体を見下ろし、ルクレアは震えた声で呟く。

 それと同時に、自分を抱き締めている腕を見て、後ろを振り返った。


「母さん……!」


 狭い、ひしゃげた馬車の中で、ルクレアは何とか体勢を変える。

 頭から血を流し、動かない母の頬に手を当てて、ルクレアは必死に願った。


 奇跡なのか何なのかは分からない。

 けれど、自分と同じように母のことを。


 助けたい。

 治したい。


 ルクレアの強い願いに呼応するように再び手元が明るく光った。


 だが、母の瞳は開かない。

 暖かい腕がルクレアの身体を抱き締めてくれることもない。

 

 息が切れる。

 瞼がどんどんと重たくなってきた。


「なんで……」


 狭い視界で自分の手を呆然と見つめ、それでも祈り続けるルクレアの視界が上から照らされる。

 ひしゃげた馬車の扉が開き、ルクレアに向けて手が伸ばされた。


「……生存者が居たぞー!!」


「あ……」


 ルクレアの汚れた身体が抱き上げられた。

 母の手が離れてしまう。


「おかあさんが、まだいるの……」


 弱々しいルクレアの言葉に、抱き上げてくれた男性が馬車の中を見る。

 一瞬、眉をひそめて、唇を噛んだ後、腕の中のルクレアを強く抱き締めた。


「おかあさんも、すぐに出してあげるからな。大丈夫だ」


 何故か酷く悲しげに聞こえたその言葉に、ルクレアの力が抜けていく。


 重たい瞼を持ち上げられなくなって、そのまま何も聞こえなくなった。











 目を覚ましたルクレアの世界は変わっていた。


 冷たいシーツと消毒液の匂い。

 知らない大人が沢山いる。

 

 目の前のおじさんがルクレアの目線に合わせて屈んでくれた。


「君がルクレアだね。……何があったか覚えているかな?」


「馬車で、お祭りに向かう途中だったの……父さんと、母さんと」


 何かを探すようにルクレアは周囲を見渡した。

 その様子に、周囲の大人が目を伏せる。


「父さんと、母さんは……!」


 ルクレアの目の端が熱くなる。

 必死に堪えるように唇を噛んで、傍のおじさんを見つめる。


「……二人とも、助からなかったよ」


「っ……!」


 シーツを握り締め、下を向いて目を瞑るが、堪えきれずに頬を涙が伝っていく。


「君は、自分が怪我をしたのは覚えてるかな?」


「……して、ました」


 一番強い衝撃の瞬間、ルクレアは母の胸に抱き締められていた。

 それでも、揺れて転倒した馬車の中で無事では居られない。


 しかし、今のルクレアには擦り傷ひとつ見当たらない。


「君も事故の時には大ケガをしていた筈だ」


「痛かった、けど目の前が光って……一回だけ、凄い痛くなって、その後は痛くなくなったの」


 ルクレアの言葉に、周囲がひそひそと囁き合っている。


「……君には、治癒魔法の才能がある」


 ルクレアに胸が高鳴った。

 あの時、願ったように誰かを救うことが出来る。


 しかし、同時に涙が溢れてきた。


「なら、なんで……! 母さんのことは治せなかったの!?」


 手が震える。

 胸が苦しくて、呼吸が上手く出来ない。


 自分の言葉で、家族がもう居ないのだと、一人なのだと思い知らされた。


「治癒魔法も万能ではないんだ。……お母さんは必死に君を守ったんだよ」


 顔を伏せてシーツを濡らすルクレアの肩に大きな手が乗せられた。

 求めていた温もりはもう二度と、手に入らないのだと、優しさが何よりも苦しかった。












 大好きな丘の上。

 見慣れたのどかな景色。


 身寄りを失くしたルクレアは教会で暮らすことになるそうだ。


 この村に戻ってこられる最後の機会かもしれない。

 

 荷物はほとんど持っていくことはできない。

 そもそも持っていけるような荷物など、ほとんど無いが。


 丘の上でどれだけ待とうと、父が迎えに来てくれることはない。

 家に帰ってもルクレアを出迎える暖かい腕は何処にもない。


 風がルクレアの髪を揺らす。

 指先が冷たくなる。


「……ルクレア!」


 名前が呼ばれて、ルクレアは村の方を見下ろした。

 そこには、杖をつき、今にも倒れてしまいそうな老人、トムじいちゃんが居た。


「……トムじいちゃん」


 足をもつれさせながら、ルクレアはトムじいちゃんの元まで駆けていく。

 彼はその場でルクレアをじっと見つめていた。


「……じいちゃん、どうしたの?」


「……ルクレア」


 ルクレアの手が、皺くちゃな、小さな手で握り締められる。

 思わず、息を飲んでトムじいちゃんの顔を見つめた。


「大変だったなぁ……力になってあげられなくて、すまんなぁ」


 皺くちゃな顔を涙が伝っていく。

 ルクレアは無理矢理に口角をあげて見せるが、鼻の奥がツンと痛みを訴えた。


「なんで、トムじいちゃんが謝るのよ。あたし平気よ?」


 トムじいちゃんに引き取られても、ルクレアはまたすぐに一人になってしまう。

 

 だから、これは仕方のないことなのだと。

 分かっている。


「そうだ。じいちゃんに借りてた本、返さないと。……持ってくるね」


 このままだと涙が抑えきれなくなりそうで、ルクレアは足を動かそうとした。

 だが、じいちゃんに握られた手は離して貰えない。


「……じいちゃん?」


「良いんだよ、そんなのは……。ルクレア、儂はお前のことを本当の孫のように思っているんだ」


 トムじいちゃんが優しい笑顔を向けた。

 ルクレアは唇をぎゅっと噛み締める。


「……お前は優しい子だ。教会に行ってもちゃんとやっていけるだろう」


「うん! それは……勿論」


 声が震えそうになる。

 目の端が熱くなるのを抑えて明るい声を返した。


「でもな、上手くなんて、優しくなんて、出来なくても良いんだよ。お前がちゃんと幸せに、笑っていてくれるなら、じいちゃんも、お前の父さんや母さんもそれでいいんだ」


 ルクレアの大好きな皺くちゃな笑顔。

 頬を熱いものが流れていく。


「……うん」


 風が吹く。

 ルクレアの背中が冷えていく。


 けれど、握り締められた手だけは暖かいままだった。

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