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 長い人生だ。

 生きていれば怪我や病気は誰にだってある話で。その中で入院することだってきっと珍しいものじゃない、と思う。

 ただ、僕――川瀬春馬は自分の情けなさを嘆いていた。

 大学三年の春。

 大学生活にも慣れ、新しい季節に一喜一憂する年齢でもなくなり、今まで続いてきて、これからも続いていくであろう、そんな連続した日々の中で怪我をした。具体的には足を滑らせて階段から落ちた。

 運動音痴の僕だ。満足な受け身も取れず、そのまま転がり落ちて右足を強くぶつけた結果、ぽっきりと折ってしまったのだ。

 痛いし、動けないし、初めて救急車に乗る羽目になった。

 幸いなことなのか、運び込まれたのは近所の病院自宅から徒歩圏内にある場所だったことくらい。両親からは命の別状も後遺症の心配もないと知ると、心配もそこそこ馬鹿にしてくる始末で散々な目に遭ってしまったものだ。

 やれやれ。

ギブスをつけられた自分の足を見ていると溜息しか出てこない。

「はあぁぁ」

 そして何度目かの大きく溜息を零したと同時だった。

「なーにを辛気くさい声出してるのかね!」

 そんな声が病室の入り口から聞こえてきて、ビクッと驚く。

「え、な、なんですか、てか、だれ」

 病院――ましてや入院中の大部屋病室ではおおよそ不釣り合いな声が出る。幸いにも他に入院している患者はおらず、僕だけの貸し切り状態になっていてよかった。

 外していた眼鏡をかけ、閉じていたカーテンを開く。

そこに立っていたのは、一人の女性だった。

「あはは、驚きすぎ」

 栗色の長い髪をポニーテールに結い、服装は水色の飾り気がないパジャマ。百円ショップで売っていそうなスリッパを履いたその姿に――僕は全く見覚えがなかった。

「・・・・・・えっと、誰ですか」

「誰だと思う?」

「え、いや、わかりませんけど・・・・・・」

 まさか訊き返されるとは思っていなかった。

 大学の知り合いだろうか。記憶を掘り起こしてみる。

 サークルや部活に参加していないから後輩の知り合いは少ない。そうなると去年、一昨年に何らかの授業でお世話になった先輩か? けれども覚えがないし、こんなにも美人という言葉が似合う人を忘れるとは思えなかった。

「あ」

「え?」

「今、ちょっと嬉しいこと考えてくれたでしょ」

「な、なんで」

「あはは、冗談冗談」

 楽しそうに笑う。

「すいません、えっと、どこかでお会いしたこととかありましたっけ」

 やっぱり覚えがない。

 正直に聞くと、女性はニコリと笑って。

「いいや、ないよ」

「え?」

「まったくない。初対面」

「そう、ですか」

「うん、初めまして。えーっと、少年?」

「これでも一応成人してるんですけど」

「そかそか、それなら青年だ。初めまして。青年」

「初めまして・・・・・・」

 釣られるように挨拶するが、それなら何をしに来たのだろうか、この人は。

「何しに来たんだって思ったでしょ」

「え、まあ、はい」

 ちょくちょく心を読むようなこと言ってくるな。

「いやね、私って入院期間長いのよ、実は。こう見えても」

「はあ」

 服装からして入院患者だろうとは思っていたが。

「でさ、病院って退屈でしょ」

「はあ、まあ」

「考えてもみてよ。外には出られない、遊ぶ場所もない、時間だけは手元にあるの。それを使うには本を読むか、有料カードでどうでもいいテレビ番組。あとはじっと寝てるか、こうして探検するかしかないじゃない」

「まあ、そうでしょうね、病院ですし」

 探検が病院での行動に相応しいかはともかく。

「私には自由に使える足があってよかったわ。ずっとベッドに張り付けなんて状況だったら気が狂っちゃうかも」

「それ、今の僕見て言います?」

「・・・・・・ありゃ」

 ありゃ。じゃない。

「それで、あなたは探検ついでに他の入院患者をおちょくって歩いてるんですか?」

「あらあら不機嫌。そんな怒りなさんなって」

 反省する様子のない笑顔で、どさりとベッドの脇に座る。

「新しい入院患者が来たって聞いたからね。友達を作りに来たのさ」

「はあ」

「君、名前は?」

「僕ですか?」

「うん、教えてよ」

「・・・・・・川瀬。川瀬春馬です」

「はるま、晴れるに馬?」

「いえ、春の馬で春馬です」

「おお、いい名前だねー」

「どうも」

「私は春華。春の華で春華。春仲間だね。よろしく、春馬」

「あ、ああ、はい。よろしくお願いします」

 差し出された手を取って握手する。

 これが僕と春華さんの出会いだった。


 春華さんはそれから毎日のように僕の病室へと訪れてきた。

 あるときは、

「やあ、青年」

「あ、こんにちは」

「何してるの?」

「見ての通りです」

 彼女の目に映る通り、僕は何もしていない。ただ、ぼけーっと過ごしていた。

「こらこら、君みたいな若人がそんなんでどうする」

「どうも何も」

 することがないのだ。いや、ないことはないのだが、今日みたいにする気になれないときもある。

 分かっていたつもりではあるが、入院生活とはおそろしく退屈なものである。それこそ春華さんが言っていたように。今度親が面会に来るときにでも自室の本棚から何か持ってきてもらおうか・・・・・・。

「で、春華さんは何しに」

「もちろん暇つぶし」

「協力できることないですよ」

「いいや、あるよ」

 面会者用に置いてあるパイプ椅子を広げながら。

「お姉さんとお話でもしましょうよ」

「え」

「嫌?」

「い、嫌なんかじゃないですけど、僕、結構口下手ですし、あんま面白いこと話せる自信ないですから・・・・・・」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ、私がいっぱい勝手に話すから」

「はあ」

 といった感じで一日雑談に費やしたり。


 またあるときは、

「ねえ。春馬」

「なんです?」

「今日のお昼ご飯やばくなかった?」

「まあ、そうですかね」

 病院食は不味い。これはもう諦めることしかできない。素材の味だと思えば食べられないことはないけど、醬油や塩が欲しくはなる。春華さんの言う通り、今日のおかずに出てきた煮物のような何かは本当に美味しくなかったけども。

「でも、病院食ってあんなもんじゃないんですか」

「いいや。入院生活の長い私でも、今日のは上位に入るやばさだったぜ」

「え、そうなんですか」

「病院生活の嫌なところの一つだよね。リクエストしようもないから食べたいときに食べたいものは出てこないし、いくら不味くても献立に文句はつけられないし」

「たしかに」

 僕もすでに母親が作ってくれていた日々の食事や、大学の学食メニューが恋しくなりつつある。

「というかだね!」

「は、はい」

「病院生活ってのは不便や不満が多い! 愚痴も増える! でもそれを言ったら皆だいたい口を揃えてこういうの!」

「「まあ、病院だし」」

 僕と春華さんの声がハモった。二人とも思わず吹き出してしまう。

「でも、その通りなんだよね」

「はい」

「ということで」

 春華さんは区切るように言って、

「今日は私の愚痴を延々と聞いてもらっちゃおうかな」

「まあ、いいですけど」

「よしよし、いいぞ。まずはね――」

 延々と一日愚痴に付き合ったり。


 僕達はそうやって時間を使い、日々を過ごしていった。

 そうして、骨折から二週間後。

僕はようやく松葉杖で移動ができるようになった。

 車椅子での生活は不便で不便で、自分から病室の外へ出ようなんて気にはまったくなれなかったが、一応とはいえこうして自分の足で歩けるようになると、散歩がてら出歩いてみようという気持ちにもなる。

「天気もいいしな」

 松葉杖に頼りながらゆっくりと歩を進めて病院の中庭に降りると、日当たりの良さそうなベンチに座って持ってきた鞄を開いた。中身はスケッチブックと鉛筆――今日はここで絵を描くことにしよう。

 そうしてしばらく目に映る風景をスケッチブックに描き込んでいると、

「やあやあ、今日も精が出ますね」

 声を掛けられて振り向く。

「あ、春華さん。こんにちは」

「こんにちは。隣、いい?」

「はい」

 十分なスペースはあったが、ほんの少しだけずれる。

「歩けるようになったんだ」

「ええ、今日ようやく」

「良いこと良いこと。・・・・・・でも、その分退院も近いね、寂しくなるなぁ」

「本当にそう思ってます?」

「もちろん。遊び相手が減るもの」

「あ、そうですか・・・・・・」

 しかし、だ。

この入院生活、春華さんには本当に感謝している。

 彼女の言っていた通り、動けないとなるとどれくらい退屈なのか考えてみただけでも憂鬱だったのだけれど、もともと僕がインドア派であったこと、そして春華さんが毎日のように話し相手になってくれたおかげでそこまでの苦痛はなかったのだ。

「あの」

「なあに?」

「退院しても見舞いにきますよ」

「え?」

「ま、まあ、どうせリハビリ通院だってあるでしょうし」

 何故だか恥ずかしくて、ごにょごにょとした発音になってしまう。

「そっか。いい子だねえ青年」

 頭を撫でられた。

「な、なんですか」

「褒めておこうと思ってね。ありがと。春馬」

「いえ・・・・・・」

 はっきりと言われると流石に気恥ずかしい。気を取り直してスケッチブックと向き合おうとしたところで、

「ねえ、春馬」

「なんですか?」

「そういえばさ、病室でも絵描いてたけど、やっぱり絵描き志望なの?」

「ああ、いや。そんなことはないですよ」

「そっか。すごい上手だし、プロでも目指してるのかと思った」

「僕レベルじゃまだまだですよ」

 絵を描くことは嫌いじゃないが、専門の勉強も受けていないし、全部独学で知識があるわけでもない。

「じゃあ、ただの趣味?」

「そんなところです」

「どうして趣味になったの?」

「趣味になった理由、ですか」

 鉛筆を止めて、しばし考えてみる。

 絵を描き始めて、それが日課になったのは・・・・・・。

「小学生の頃って覚えてます?」

「え? うーん、どうかな」

「なんか、あれ、写生大会でしたっけ? そういうのがあったじゃないですか」

「あー、うん。あれでしょ? 学校の外に出て、近くの公園とかで絵を描くやつ」

「そうですそうです。それで賞を取ったんですよ」

「え、すごい」

「ま、小さいやつなんですけどね。それがきっかけといえばそれですかね」

「へえ、嬉しくなっちゃって?」

「最初はそんな感じで。・・・・・・まあ、その後はちょっと違いました。当時から僕って友達とか少なくて・・・・・・。誰かに認めてもらえるかもしれない、話しかけてもらえるんじゃないかって、そんな気持ちで書き続けていたらいつの間にか日課に、趣味になっていた感じですね」

「理由が暗いなー」

 春華さんは渋い顔をしていた。

「すいません」

「でもさ、私は嫌いじゃないよ。春馬の絵」

「え?」

「なんかさー。優しいんだよね。雰囲気が。美術なんてわかんないから適当なことしか言えないけど、あったかい、みたいな。そういうの感じるな。春馬の絵には」

「それはどうも」

 めちゃくちゃ嬉し恥ずかしい。カチャリと眼鏡を掛け直す。

「おいおい、そんなに照れるなよ青年」

「そりゃ照れますよ。そんなに褒められたことないし」

「そうなの? こんくらい上手ければ美術部とかで評価されそうじゃない? 勝手なイメージ、コンクールとか出せばそれこそ賞とか貰えそうだけど」

「いや、僕、ずっと帰宅部でしたし」

「え、なんで」

「なんでって言われても・・・・・・」

 自分の絵に自信を持っているわけでもないし、知らない人達と囲まれて絵を描ける自信なんて全くと言っていいほどなかった。しかも趣味で適当にやっているだけの僕が、周りの真剣さについていけるとも思えず・・・・・・。

「あー、またネガティブな理由だ」

「まあ、そうかもですね」

「よくないぞー。人生は一度きりなんだから。いつもいつでもポジティブでいないと」

「はあ」

 言いたいことが分からないわけじゃない。

 けれども、それで簡単に根の性格が変われば苦労はしないのだ。

「自分には無理だなとか思ってるでしょ」

「い、いえ、そんなことは」

「あるでしょ」

「・・・・・・まあ、ありますね」

「まったく、ま、すぐにとは言わないけどさ。ポジティブって意気込み忘れちゃダメだよ」

「はい」

 僕は春華さんに教わることもあって。


 それから一週間後、僕は病院から退院することになった。


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