13
月日は流れていく。残酷なほどに。
時間は進んでいく。残酷なほどに。
止まれと祈ったところで止まることはない。
春華さんの葬式には僕の描いた遺影が使われた。
いつも見せてくれた笑顔の彼女がそこにいた。
彼女の遺骨は自然葬――海に散骨されることとなった。
生前、彼女が海の話を――僕とのデートの話をずっと家族にしていたからだそうだ。墓にいるよりは喜んでくれるだろうと春華さんのお父さんは言っていた。
春華さんがいなくなって。
僕は一人だけ日常に戻っていく。
そんな都合のいい人生は、もう歩けなかった。歩きたくなかった。
「・・・・・・」
何もできず、何もせず、僕はただ自分の部屋に閉じこもっていた。
親に言われるがまま用意された食事を摂り、
用が催せばトイレに行き、
不潔だからと親に言われて風呂に入る。
それ以外は自分の部屋で過ごす。絵も、書いていない。大学も行っていない。
僕は所謂引きこもりとなっていた。こうなって、春華さんが亡くなって三ヵ月もあっという間に過ぎていた。そしてこれから先も同じように過ぎていくのだろう。父さんも、母さんも最初は色々言ってきたが、今はこれといって会話もない。がみがみ言われるよりは静かでいいのかもしれないけど、何となく孤独感を増やしている気もした。
「・・・・・・春華さん」
僕が名前を呼ぶ人は、もういない。
「春華さん・・・・・・春華さん・・・・・・」
応えてくれる人はもういない。
僕はただ一人で部屋に籠って、もういない人のことを想うことしかできない。
そんなある日のことだった。
「・・・・・・あ」
いつの間にか眠ってしまった後の目覚め。
枕元に落ちていた眼鏡をかけて壁掛け時計を見ると十一時過ぎ。ちょうど昼前だ。
普段なら大学の授業で慌てるところだが、今はそんな気持ちも湧いてこない。入院もあって、今のサボりもあって、どうせ出席日数は足りない。今年は留年になるだろう。
「・・・・・・どうでもいいよ、もう」
どうでもいい。大学だってタダじゃない。お金だって掛かっている。今もずっと親の負担を増やしているだけだ。そんなこと分かっているけど、分かっていても、心も体も動かないのだ。
いっそ、いっそのことだ。
このままどこかへ飛び出して、春華さんの傍に逝けたら。
「・・・・・・春華さん」
そんな勇気が僕にあれば・・・・・・。
いつもの闇が僕を蝕んでいく。そんな中で。
ガチャリ、と。
部屋のドアが開いた。
「え」
思わずドアの方へと顔を向ける。両親だったらノックをするはずだ。突然開くなんてことはない。
「よう」
現れたのは見知った男の姿だった。
「はろー、先輩」
現れたのは見知った女の姿だった。
「な、なんで、君達が」
「なんでって、それはこっちの台詞ですよ。連絡しても無視されるし、外にも出てこないし」
冬木の言う通りではある。スマホも最後に電池がなくなってから充電さえしていない。
「てか、先輩」
「なんだよ」
「めっちゃ髭生えてます。似合わないですね」
「髭?」
言われて顎を触るとジョリジョリする、というか、毛が生えているのが明確に分かる。元々毛深い方ではないけども、それでも思えば最後に剃ったのもいつか分からない。自分のことなんてどうでもよくなっていた。
「いいだろ、別に・・・・・・」
「よくないですよ」
「なんでさ」
「春馬」
ちょっと言い合いになりそうな空気で、秋貴が入ってきた。
「とりあえず髭剃って、いや、別に剃らなくてもいいけど。つーか、外に出られる準備しろ」
「だから、なんでだよ」
「これから出かけるんだよ。俺と、叶と、お前で」
「秋貴・・・・・・」
そんな気力はない。と言いたかったけど、秋貴の目は真剣で。
「・・・・・・わかったよ」
言い合っても疲れるだけだ。僕はシャワーを浴びるために着替えの準備をする。
「俺達はリビングで待たせてもらうから」
「なるはやで頼みますよ、先輩」
「うん」
二人を見送って、僕はベッドに戻る――なんてことしたら後が怖い。諦めて従う他ないだろう。重い足取りで風呂場に向かい、全身洗って髭を剃る。
「でも」
二人は何をしに来たんだろう。
春華さんが亡くなった今、秋貴とは何の繋がりもない。
冬木に至っては告白されて振った身だ。もう関わりたくもないんじゃないか?
「まあいいか・・・・・・」
ちょっと考えても、やっぱり何もかもどうでもよくなる。春華さんのいない世界なんて何の興味も価値もないのだ。
今は言われた通りにしておけばいい。タオルで全身を拭き、今までより長くて鬱陶しくなった髪をドライヤーで乾かすと、私服のシャツに袖を通した。どこに行くのか知らないけどこれでいいだろう。
「お待たせ」
リビングに顔を出すと、秋貴と冬木はソファに座ってすっかり母親と慣れ親しんでいた。
「おう」
「うん、やっぱ髭ない方がいいですよ。先輩」
「それはどうも」
棚からグラスを取り出して水を一杯。
「さて、春馬も来たことだし行きますかね。――おばさん、突然来てすみません、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
「いいえ、二人とも春馬のことよろしくね」
「はい」
そんな会話を横目にリビングを出て玄関へと向かう。
そういえば、外に出るのはどれくらいぶりだろうか、ふとそんなことを思った。
「しかし、九月だってのに日差しがあると暑いな」
「残暑ってやつですかねー」
僕は秋貴の運転する車に乗せられた。助手席には冬木。僕は後ろの席でぼけーっと二人の会話を聞いていた。どこに行くのかは知らない。
「なあ、春馬」
「え、なに?」
突然話を振られた。
「九月だけど暑いよな。お前、七月八月は部屋に籠ってて大丈夫だった?」
「あー、うん」
親が気にして冷房を付けてくれたからなのだが。
「水分補給したくなったら、てか、ほしいもんあったら言えよ。コンビニ入るから」
「うん」
そう言われても僕は財布持ってないし、スマホも置いてきた。完璧な手ぶら状態なのだが。大して入ってない財布、というか、中身さえ覚えてないけど、流石にそれくらいは持ってきたほうがよかったか。
ま。
どうでもいいや・・・・・・。
目を瞑る。このまま眠ってしまえば、目が覚めたときには自宅に戻っている。なんて、都合のいいことを考えながら、意識を手放そうとして。
「あ、見えてきましたね!」
「おー」
二人の声に反応して目を開く。
窓へ視線を向けると、
「・・・・・・あ」
海だ。
青くて広い海が、広がっている。
僕の大切な人が眠る場所が、広がっている。
「秋貴・・・・・・」
「なんだ?」
「目的地は、海なのか?」
「おう、そうだ」
「・・・・・・帰してくれ。僕は・・・・・・行きたくない」
忘れられない、春華さんの最期が頭に過ってしまう。海には彼女がいるんだ、今の僕を見せることなんてできない。
「駄目ですよ、先輩」
「なんで」
「私や秋貴先輩はちゃんと連絡しました。三人で遊びに行くならどこにいこうかって。それなのに先輩は連絡なし。じゃあ私達が決めちゃっても文句言えませんよね!」
「で、でも、秋貴だって、海には」
「俺別に気にしてねーし。姉貴の遺灰が海に撒かれたってだけだろ。しかも今から行く海岸でもない。お前が気にしすぎてるだけなんだよ」
「そんな・・・・・・」
そんな言い方ないだろ!
なんて、反論は僕の口から出ることはなかった。
冷静な自分が、たしかに秋貴の言う通りだと判断できていた。冬木の言うことももっともである。僕はこれまでずっと連絡を絶っていて、それなのに連れ出してくれたことを感謝すべきなのだ。
余計なお世話だと思うのは良くない。春華さんは、きっとそんな僕を望まない。
「・・・・・・ごめん、僕が冷静じゃなかった」
「おう。・・・・・・さて、もう着くぞ」
車は海近くの駐車場に入った。七月や八月みたいな絶好の海日和シーズンではない今となっては駐車場も空いていた。
「・・・・・・確かに暑い」
車から降りると日差しが刺さる。
「ですねー」
パタパタと手で仰ぎながら冬木も言う。
「冬木は夏苦手だっけ」
「苦手意識はないつもりですけど、昨今の暑さは殺人級ですからね、流石に好きになれないですよ」
「まあ、そうか」
今年もかなり暑かったようだし。
「おい、荷物運ぶの手伝ってくれ」
「はいはーい」
秋貴に呼ばれて冬木が車のトランクへと向かい、僕もついていく。
「ところで、海で何をするのさ」
「あん?」
「気温はあるけど、泳ぐにしてはもうクラゲとかで危ないものなんじゃないの?」
「ああ、今日は泳ぎじゃねえよ」
そう言って秋貴がトランクから取り出した袋の中には肉と海鮮とちょっとの野菜。
「バーベキューをやろうと思いまして!」
冬木が答えを言う。
「いいだろ?」
「・・・・・・ああ、うん。いいと思う、けど」
なんというか陽キャの発想だとも思った。
まあ、いいか・・・・・・。別になんでも。
それから僕達は海の家で予約していたらしいバーベキューコンロやら諸々を借りてくると、秋貴は慣れた様子で手早く用意を始めていく。
「わー、流石慣れてますね」
「ああ。家族とも昔はよくやったし、今も毎年ダチとやってんだ。さて、早速焼いていくかい」
「はーい。時間も丁度いい感じですしね! ちょい遅めのお昼ご飯って感じで!」
そして肉やら野菜が焼ける音が聞こえてくる。
僕はぼけーっと海を眺めていた。
春華さんと歩いて、
春華さんと絵を描いて、
春華さんと・・・・・・。
「先輩?」
「・・・・・・」
「せーんーぱーいー?」
「え、あ、なに?」
「何ぼさーっとしてるんすか、ほら、これ!」
紙皿と割り箸を渡される。
「バーベキューできますよ! 先輩も食べてください」
「ああ、うん」
お腹、空いてないんだけどな。
とりあえずコンロの傍へ行く。少しだけ胃に入れて、あとは飲み物で過ごせばいいだろう。
「お、ほら、春馬」
トングで皿に肉やら野菜やらエビやらが盛られる。
「あ、秋貴。ちょっとでいいよ」
「駄目だ」
「え?」
「お前、痩せたよ。てか、やつれてる」
「それは・・・・・・」
そうかもしれない。
「今日はちゃんと食え。吐かない程度に腹へ詰めさせてやる」
「・・・・・・うん」
普段も別に食べていないわけじゃないんだけど、そんな本気を感じさせる目で言われては頷かざるを得ない。箸を動かして皿に乗せられた肉を口に放り込む。
「こういうバーベキューってのも、結構美味いだろ?」
「うん、美味しい」
「姉貴もさ、好きだったんだ。外で食べる飯っていうか、自然の中で食べる飯っていうか」
「春華さんが?」
それは意外な話だった。
「ちょっと元気なときはさ、家族で出かけてね」
「そう、なんだ」
知らなかった。
というか、僕は春華さんのことをどれだけ知っているんだろう。そんなことが頭に過る。
「あの、秋貴」
僕は春華さんのことを知りたい。何もかもがどうでもよくなっていたのに、そんな気持ちが湧いてきた。
「おっと、たんま」
「え」
「お前が皿を空にする度、姉貴のことを一つ教えてやる」
「え」
「ゲーム性がある方が面白いだろ」
「いや、そんなことないけど」
そもそも僕はそんなに大食いじゃない。
「じゃあ、姉貴の話はまた今度の機会だな。残念だ」
「い、いや、待ってくれ。やるよ。食べる」
とりあえず今の皿を空にするため食べ始める。
「先輩、がんばれー」
「そうだ、頑張れ頑張れ」
冬木と秋貴から応援を受けつつ、肉や野菜を咀嚼していく。
そうして皿を空にして、
「思ったより早いな。ちゃんと噛まないと駄目だぞ?」
「じゃ、じゃあ、最初からゲーム性なんて出さないでよ」
「そりゃそうか。・・・・・・で、姉貴の何が聞きたいんだ?」
「あ、うん、そうだな」
知らないことが多すぎて悩んでしまうが、
「好きな食べ物って何だったのかな」
「好きな食べ物か」
秋貴は「そりゃこれだな」と言いながらコンロで焼かれる肉を一つ僕の持つ皿に乗せた。
「え?」
「肉だよ、まさに肉食って感じ。指摘しないと絶対野菜とか食わないし、入院していた間の病院食も散々文句言ってさ。味覚が子供っぽかったんだよな」
「そう、か」
春華さんの姿を思い出す。僕に愚痴を話してくれた姿だ。そういえば病院食の文句は多かったと思う。
「さて、次々焼いていくぞー」
「あ、ああ、でも、春華さんの話ばっかしてても冬木に悪いだろ」
「あ、いいですいいです。気にしなくて」
「でも」
「私も知りたかったですから。お会いすることはなかったですけど、その、先輩が好きになった人ってどんな人だったのかなって」
「そう?」
「はい。ですから、今日はいっぱい語っちゃってくださいよ。私も、秋貴先輩も、ちゃんと聞きますから」
「・・・・・・うん」
とはいっても、僕も語れるほど彼女のことを知っているわけじゃない。
「ま、肉食いながらのんびり話していこうぜ」
それから僕は、僕の知らない春華さんの姿を教えてもらった。
昔は人見知りだったこと。
どれだけ練習しても泳げなかったこと。
得意科目は国語。苦手科目は理数系。
僕の中での春華さんは何でもできたから、苦手なものがあるなんて考えもしなかった。
「というか」
「あ、どした?」
「春華さんって泳げなかったんだな」
「ああ。全然ダメだった。学校の授業でも、夏休みのプール補習でも、まったく泳げないままだったよ」
僕はデートで海に訪れたことを思い出していた。
「春華さんとここにきたときさ」
「うん」
「あの人、真っ先に海へ走っていったから。まあ、私服で泳ぐことなんてないだろうけど、てっきり泳ぎも大丈夫なのかと思ってた」
「そりゃ、ちとテンション上がってたんだろうな」
「かもね」
思い出す笑顔は本当に病気を感じさせないものだった。
大人っぽい姿も、子供っぽい姿も、僕はどの春華さんも好きで。ずっと一緒にいたくて。
「ああ・・・・・・」
頬を涙が伝う。
「ご、ごめん、泣くつもりじゃ」
涙を拭っても拭っても止まらない。その場にしゃがみこんでしまう。
やっぱり駄目だ。
僕にはあなたが必要なんです。
僕にはあなたがいないと駄目なんです。
「先輩」
「え・・・・・・」
僕は彼女に、冬木に抱きしめられていた。
「私、こういうことしかできませんけど」
「そ、そんな、僕は、そんなつもりじゃ」
「大丈夫ですよ、泣いてもいいんです。思い出していいんです。だってそんなにも好きだったんだから、簡単に忘れられたら嘘ですよ」
「・・・・・・うん」
「悲しくなったら言ってください。話くらいなら聞きますし、胸くらいなら貸しますから」
「・・・・・・うん」
「だから、どうか、何もかもをどうでもいいだなんて思わないでください。先輩を、自分をやめようとしないでください」
その言葉は僕の胸に強く突き刺さった。
そうかと、実感する。
僕は僕をやめようとしていたんだな。
「ごめん、冬木・・・・・・」
「いいんすよ、だって、大変なのは先輩なんすから」
「そうだ。泣き言ならいくらでも聞いてやるからさ。遺された奴らは踏ん張っていくしかないんだ」
「秋貴・・・・・・」
「ちょっとは落ち着いたか?」
「どうかな」
冬木から離れて海に視線を向ける。
海は何も言わない。何の姿も見せない。
「でも、きっと」
僕は、大丈夫じゃないといけないんだ。
それは冬木のためでもあって、秋貴のためでもあって、春華さんが望んでいることだ。
「僕は友達に恵まれたね」
「ばーか」
ワシワシと頭を撫でられる。
「ありがとうな、姉貴のこと、そんなにも好きでいてくれて」
「うん・・・・・・うん」
頷いて、
「秋貴、冬木」
「なんだ?」
「どうしたんです?」
「ありがとう」
深く深く頭を下げる。
「僕、また、頑張って・・・・・・いや、違うな。なんだろう、ちゃんと、だな。ちゃんと生きるよ。だから、ありがとう。こんな僕に付き合ってくれて」
「ああ」
「当たり前じゃないですか。マブダチでしょ、私達」
「うん」
頑張ろう。
頑張っていこう。
せめて僕のことを想ってくれる人達のために前を向こう。
春華さん。これでいいんですよね。僕、間違えていませんよね。
「・・・・・・でも、いや、留年はな。卒業は冬木と同じになるかも」
「あー、どうなんすかね」
怪我の期間もあるし、サボっていた期間もあって、僕の三年生春学期の取得単位はゼロに近い。
「まだ全然大丈夫だろ」
秋貴が言う。
「え?」
「うちの学校さ。順当にいけば一年で四十単位取れるだろ。成績優秀者はもっと取得できるけどさ。まあ、普通に過ごしてたら」
「ああ、うん、あ」
そう言われて気が付く。
卒業に必要なのは百二十四単位なわけで、僕は一年、二年と八十単位取ってきている。確かに三年生の前半期の単位はないかもしれないけど、今からの授業成績次第で十分に四年の卒業ができる。
「そうか、それは、よかった」
ほっとして深々と息を吐く。親に迷惑を掛けなくて済むのは大きい。
「おうよ」
「というか、秋貴先輩詳しいですね」
「笑えないことに俺もギリギリでな。一年、二年の頃遊びすぎて」
「あー」
冬木はぼそっと「そういえば陽キャだったか」と言う。
「そういう叶だって見た目だけでいえば同類だろ」
「私、心は陰キャの乙女ですもん」
「なんだそりゃ」
二人のそんなやり取りが面白い。
ずっと、春華さんが亡くなってから止まっていた心が動き出したような気がした。
「二人とも、バーベキュー続けよう」
「おう」
「はい」
「トング貸してよ。今度は僕が焼くから秋貴も食べて」
「お、いいのか? じゃあ頼む」
「うん」
僕は、こうして日常に戻っていくことになった。
大学に通って、
暇を見つけては絵を描いて、
冬木や秋貴と過ごして、
春華さんの抜けた時間を僕は生きていく。




