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勤めている会社が休みの土曜日や日曜日。
なんとなく気が向かなくて有給休暇を取った日。
僕は決まって一人電車に揺らされる。
目的地は自宅の最寄り駅から数駅先。
着いた先で目の前に広がるのは大きな海だ。
その景色に社会での疲れを一時でも忘れられる・・・・・・というのも大事なんだが、僕がここに訪れるのは、他にも理由がある。
「・・・・・・うん」
何度も見慣れた景色。
「今日もいいね」
穏やかな風。
潮騒の音。
身体全体でそれらを感じながら、持ってきた鞄からスケッチブックと鉛筆を取り出す。
そう、僕はここの景色を描くために来ている。
「よっこいせ」
塀へと腰を下ろして、視界に広がる景色をスケッチブックへ描きこんでいく。
ずっとずっと。もう何回も。
そうして、どれくらいの時間が経っただろうか、
「せーんせっ」
そう声を掛けられた。
「ん?」
僕はスケッチブックから目を離して手を止める。
声の方へと顔を向けると、
「ああ、君か」
そこにいたのはこの近くに住む高校生の女の子だった。
暇を見つけてはこの辺りで絵を描いている僕に、何故だか興味を持つ子供もいて、あるときからそんな子供達に絵を教えていた。この女の子もその一人だ。その中でも一番長く、もう十年くらいの付き合いになる。
「どうしたんですか。今日も絵を描きますか?」
「うーん、今日はパス」
「そうですか」
無理強いはしない。
先生なんて呼ばれてはいるが、僕は教師じゃない。絵を描くのも自由にすればいい。
「ねえ、先生」
「はい、なんですか」
「ずっと絵を描いてるけど、本当はさ、やっぱり絵描きなんじゃないの?」
「何度も言っていますが違いますよ」
「すごい上手だし、プロなんじゃないかって皆話してる。私の親だって、近所の人達からもそういう話出るよ」
「それは嬉しいですけど、僕のレベルじゃまだまだ」
絵を描くことは嫌いじゃない。でも、それは趣味の範疇としてだ。専門の勉強も受けていないし、ここまで全部独学で知識があるわけでもない。
「じゃあ、ほんとにただの趣味?」
「うん、そう。そんなところです」
「ねえ」
「はい」
「どうして趣味になったの?」
「趣味になった理由、ですか・・・・・・」
その答えは持っている。
「随分と昔。・・・・・・そうだな、もう僕が大学生の頃になります。そこで好きになった人がいるんですよ」
「好きになった人?」
「そう。その人が言ってくれたんです。僕の絵は嫌いじゃないって」
「へえ」
興味深い話題だったのか、女の子はニヤッと笑った。
「それで嬉しくなっちゃって?」
「最初はそんな感じで。その後はちょっと違います」
「違う?」
「その人と作った思い出を続けていきたかったんですよ」
「結構ロマンチックなこと言うね」
「それはどうも」
照れ隠しにかちゃりと眼鏡を掛け直す。
「ねえ」
「はい」
「海は好き? ずっと見ていて退屈しない?」
「退屈だなんてとんでもない。好きですよ。なんたって思い出の場所ですから」
「そっか。ここは何も変わらないままだから・・・・・・。好きならいいんだけどね。私は少し見飽きてきたかな」
「変わらない方がいいこともありますよ」
「そう?」
「変わらないからこそ、ここが思い出の場所だって覚えていられるんです」
「そっか」
女の子は納得したように言った。
「君は何か悩み事ですか?」
「え、どうして?」
「いや、珍しく質問が多いなと思いまして」
「絵のことはいつも質問してるじゃん」
「それ以外は踏み込んでこなかったでしょう」
「そ、それはそうだけど」
少女は少し言い淀んで、それから悩みを打ち明けてくれた。
「進路でさー、ちょっと悩んでて」
「ああ、そうか、もう高校生ですからね」
「先生はどうだった? 高校時代とか、大学時代とか」
「どうだったと言われましても、どこにでもいる普通な感じでしたよ」
「普通な感じだったら、そうやって絵を描いたり、誰かに教えたりしてなくない?」
「そんなことはないと思いますけど」
「ね、聞かせてよ。先生の話」
「別に構いませんが・・・・・・」
少し思い出してみても、とくに高校時代なんて語れる思い出がない。
「そーだ」
「ん?」
「せっかくだしさ、その好きだった人の話とか聞かせてよ」
「それ、あなたの進路とまったく関係ないと思いますけど・・・・・・」
「いいじゃんいいじゃん。女の子は恋バナが好きなんだよ」
「・・・・・・そんなに面白い話じゃありませんよ?」
なんせ大学時代のその中で、半年も満たない間の話だ。
「そんなことないって。なんか先生の昔話面白そうだし」
「絶対にそんなことないと思いますけど」
・・・・・・まあ、いいか。
この場所が大切な思い出になった出来事でもある。
たまには思い出しても罰が当たることはない、と思うし、きっと彼女だって許してくれるはずだ。
「この絵を描きながらでよければ、お話しましょう」
「うん、やった」
少女は僕の隣に座った。
「では――」
僕はスケッチブックに絵を、見える景色を描きこみつつ、昔の記憶を思い出す。




