やっぱり胸じゃねぇか!
夜の湿った空気に湯の匂いが混じる。
女湯の方からは、桶の音と笑い声が、薄い壁越しに揺れていた。
聞きたくないが聞こえてきてしまう。
俺がソワソワしていると、ロンゲールが肩を揺らして笑った。
「お前、顔が赤いぞ」
「赤くありません」
「赤い赤い。可愛い奴だなぁ」
「……ロンゲール様。目的を忘れないでください」
「忘れてねぇよ。俺は真面目だ」
嘘をつけ。
それでも、これはチャンスだ。俺は小声で聞いた。
「その……ロンゲール様は、どういう女性が好みなのですか」
「急にきたな」
ロンゲールが闇の中で口角を上げる。
「胸」
「…………胸」
「冗談だ。いや、冗談じゃないが、全部じゃない」
良かった。アンリは顔は良いが、胸が大きい方ではないからな。
俺が続きを待っていると、ロンゲールは少し考えてから口を開く。
「……笑う女がいい。あとは目が合った時に逃げないやつ」
「なるほど……」
「で、お前は?」
突然、矛先が自分に向く。
仕方ない。ここで言わないのは逃げだ。
「私は……むちむちしていて、胸が大きい子が……」
「やっぱり胸じゃねぇか!」
抑えた声で笑うロンゲール。
俺はむっとしたが、口元が緩むのも止められなかった。
こんな状況で妙に楽しいのが悔しい。
――その時だった。
カラン、と小さな音がした。
板塀の向こうではない。
俺たちの背後、地面の小石が踏まれた音だ。
ロンゲールの空気が一変した。
笑いが消える。気配が研ぎ澄まされる。
「来たぞ」
ロンゲールの囁きに、俺の背筋が冷える。
闇の中から男が現れた。
背は低く、手には布袋。
手慣れている動きで板塀へ近づき、腰を落とす。
(覗く気だ……)
俺は反射的に動きかけたが、ロンゲールの大きな手が俺の胸元を押さえた。
「待て」
「ですが……」
「騒ぐな。いま女に気付かせたら終わりだ」
正論だ。俺達は犯人を捕まえるために潜んでいる。
時期を見定める必要があるのだ。
息を殺して時を待っていると、男が板塀の擦れた部分に手を伸ばす。
何かを差し込もうとした、その刹那。
ロンゲールが石を一つ拾って投げた。
狙いは男の足元。小石がコツンと当たり、男が「っ」と声を漏らしてバランスを崩す。
「誰だ!」
男が振り向いた瞬間、ロンゲールは闇から躍り出た。
獣のような瞬発力。巨体が風を切る。
俺が息を呑むより早く男の手首が掴まれていた。
「覗きは趣味じゃねぇ。やるなら俺を見ろよ」
意味がわからん台詞を吐くな。
だが格好いい。
「俺は男は趣味じゃねぇんだよッ!」
男は暴れ、腰から短い刃物を抜いた。
刃が月光を拾う。
危ない――俺が声を上げる寸前、ロンゲールが男の腕を捻り、膝で腹を押し潰した。
「ぐっ――!」
男が呻き、刃物が落ちる。
ロンゲールはそれを蹴り飛ばし、男の背を地面に押し付けた。
「奇遇だなぁ、俺も男より女が好きだぜ? まぁ、俺たちの心が重なるのはここだけだが。――リンタロウ」
「はい!」
呼ばれた瞬間、俺は我に返り、布で男の手を縛った。
指が震えていたが、これくらいで怯むわけにはいかない。
「――きゃあっ!」
突然、女の悲鳴が塀の向こうから上がった。
覗きが捕まったのに誰かが気付いたのだ。
「おい、裏だ!」
「また覗きか!」
湯屋の女中たちの声が近づく。
やばい。俺たちがここにいるのを見られたら誤解される。
普段の格好ならまだしも、俺たちは世を忍ぶ王族スタイル。
夜闇に出会うには怪し過ぎる。
ロンゲールも同じ結論に達したらしく、俺の肩を掴んだ。
「リンタロウ、こいつはガルドに渡す。お前は下がれ」
「いえ、私も――」
「下がれ。俺が前に出る」
その言い方は命令ではなく庇護だった。
反論したかったが喉が詰まる。
俺は一歩、後ろへ退いた。
続けて女中が角から飛び出してきた。
桶を持ったまま、目を吊り上げている。
「――あんたたち! 何してるの!」
「覗きが出たから捕まえたんだよ」
ロンゲールは淡々と言い、縛った男を引きずり出す。
「ほら、こいつだ」
「……え?」
女中の目が男に向き、すぐに顔色が変わった。
「あ、あんた……! この前も――!」
「こいつの顔、見覚えあるのか?」
「あるわよ! 店の裏で走ってるの見たんだから!」
女中が怒鳴ると、周囲の空気が一気に俺たちへの疑いから男への怒りに変わった。
ロンゲールは意識的にこの流れを作ったのだ。機転というやつだ。
そこへガルドが駆けてきた。
「やっぱり出やがったか!」
「おう、礼はいらねぇよ」
ロンゲールは短く言い、男を押し付けるように渡した。
「よし、リンタロウ、行くぞ」
「はい」
今日の目的は達成された。
これで無事に――。
「待ちなさいよ! あんた、さっきから顔隠してるじゃない!」
「お、おい……あの兄ちゃんはワケあってだな……!」
背後から声。女中の一人が止まらない。
ロンゲールが舌打ちしそうになったのを俺は見逃さなかった。
「ロンゲール様、ここは――」
「逃げるしかないなァ」
即決すると、ロンゲールは俺の手を引いて走り出した。
俺の足がもつれる。だが彼の手は離れない。
「……っ、はや……!」
走る速度がおかしい。
俺が息を切らす横でロンゲールは笑っていた。
「ほら、筋トレの成果を見せてみろ」
「筋肉を鍛えても、持久力は、別です……!」
角を曲がり、荷車の陰に滑り込む。
背後から女中の足音が遠ざかり、俺は壁に額をつけて呼吸を整えた。
「……っ、はぁ……」
「死んだか?」
「生きてます……!」
返事をしながら、俺はロンゲールを見上げた。
暗がりでも分かる。笑っているが目は真剣だ。
「ロンゲール様には全てが見えているようですね」
「ん?」
気付けば、口が勝手に動いていた。
「覗きの動きも、どうやって取り押さえるかも。最初から全てが読めているかのような判断の早さです」
ロンゲールは少しだけ黙った。
「みんなの褒め言葉は、だいたい王子だからだ。立派だ、強いだ、偉いだ……困っちまうよな」
「……」
「でも、お前のは違う。俺を見て、俺のやったことを見て、それで言ってくれる」
暗がりで、ロンゲールの笑みが少しだけ歪んだ。
嬉しそうで困っているみたいだ。
「……だから今度は、正式に女湯に連れてってやろう」
「そこに行き着くんですか!?」
「ははっ! いいだろう、お前と胸のデカい美人をくっ付けてやる。お前みたいに気がきく奴は、きっと家庭に入っても上手くやっていけるだろうさ」
「それは……まぁ、お願い、いたします……?」
俺はロンゲールとアンリをくっつけることばかり考えていたが、よく考えたらその後も人生は続く。
第二王子パワーで美人と繋げてくれるのであれば願ったりだ。
俺が頷くのを見て、ロンゲールは「俺の臣下になる素質はあったわけだ!」と愉快そうに笑った。
だが、心なしか、何かに揺れているようにも見えた。
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