お前がいるだろ?
鷹狩りから一月ほど経った頃、俺は城の廊下で、悪い予感を背中に感じて立ち止まった。
「リンタロウ。今夜、時間あるか?」
悪い予感の正体――ロンゲールが曲がり角の向こうからひょいと顔を出したからだ。
この人は、こういう時だけ妙に軽い。
いや、普段から軽いのだが、悪だくみを思いついた時の軽さは別格である。
「ございますが……どうされました?」
「町に行くぞ」
短い命令。だが表情がやけに楽しそうだ。
男が夜に町へ行く。その時点で嫌な連想がいくつも浮かぶ。
俺は一応、臣下の顔を作った。
「差し支えなければ、目的を伺っても?」
「決まってる。女だ」
秒で答えるな。
「……ロンゲール様」
「冗談冗談。半分な」
半分は本気ってことじゃねえか。
俺の頭の中には原作の知識がちらついていた。
ロンゲールは女好きで、しかも妙に紳士だ。
手は出さないが口は出す。
悪質というより、女にモテたいタイプの陽キャラである。
そのくせ、本気で惚れた女に対しては奥手になり、途端にダメダメ男に。
こいつがアンリと結ばれるには――いや、その前にアンリが登場するまでに、どんな女が好みで、どんな言葉に弱いかを把握しておく必要がある。
(俺はあくまで、アンリとロンゲールを幸せにするためにここにいる……)
そう、ここにいる。手を伸ばせる場所に。
つまり、こいつの変な行動を止める役目も俺にある。
「……夜の町は危険です。護衛を増やして――」
「増やすな。今日は二人がいい」
妙に爽やかな笑み。
悪い予感が確信に変わる。
「それに、お前がいるだろ? 頼りになる臣下がな」
「……はい」
推しに「お前がいるだろ?」と言われて断れる人間が存在するなら名乗り出てほしい。俺は弱い。
・
日が落ちた頃、俺たちは城内の人々にバレないように城門を出た。
ロンゲールはいつもの正装ではなく、地味な上着にフード付きの外套を羽織っている。
俺も同じように、従者らしさが出ない服に着替えた。
「こういうの似合わねぇんだよなぁ」
「目立たないことが目的ですから」
こちらの返答に、ロンゲールは不満そうに鼻を鳴らす。
「俺はコソコソするのは嫌いなんだよ。俺の筋肉も目立ちたいって言ってる」
「王子がその自覚を持たれると臣下が困ります」
そう言うとロンゲールは「ははっ」と笑った。
この人は、こういう軽口を許してくれる。
だからこそ臣下との距離が縮みやすいんだろう。
フランクな大男というキャラだから俺も好きになった。
やがて、俺たちは町に到着した。
グレイフォードの城からほど近く、規模もそこそこな町は夜でも賑やかで、酒と焼き物の匂いが混ざっていた。
「で、どこへ?」
「湯屋だ」
湯屋。 ああ、風呂か。
汗を流したいのだろうかと一瞬だけ思った俺が馬鹿だった。
「女湯がある方のな」
「……ロンゲール様」
俺の声が低くなる。
「覗かねぇよ。さすがにそこまで馬鹿じゃない。覗きたきゃあ呼べばいいだけだしな」
「さすがにという言葉が出る時点で不安です」
「でも……楽しそうじゃないか?」
ロンゲールが俺の肩に腕を回してきた。
「互いにがどんな女が好みか、とか」
「――それは、まぁ」
否定できないのが悔しい。
俺はアンリにとって最適解を用意するために訊きたいだけだがな。
「ほら見ろ。お前も大人の男だ」
「……私はただの臣下です」
「臣下も男だろ?」
この人の論理は雑だが、妙に通る時がある。
湯屋は町の端、川の近くにあった。
木造の大きな建物から湯気が立ち上り、灯りが漏れている。
のれんの向こうから女の笑い声が聞こえ、俺は反射的に耳を塞ぎそうになった。
「観察だ、観察。ほら、行くぞ」
ロンゲールが肩を押して進ませる。
俺は半ば引きずられながら湯屋の裏手へ回った。
そこには、見回りの男が一人立っていた。
湯屋の主人か、雇われか。
彼は俺たちを見るなり険しい顔になる。
「おい。裏手に用はねぇぞ」
「ある」
ロンゲールは即答し、そして懐から銀貨を指先で弾いた。
男が反射的に受け取る。
「最近、この辺りに覗きが出るんだろ?」
「……なんで知ってる」
男の目が鋭くなる。
ロンゲールはフードを深く被ったまま、落ち着きながら言った。
「噂になってるんだよ。女が怯えるのは気に入らねぇ。今夜、囮で捕まえるから協力しろ」
「馬鹿言え。余計に騒ぎになる」
そこで俺は一歩前に出た。
「失礼。私どもは覗く側ではなく、捕まえる側です。もし犯人が現れた場合、こちらで取り押さえます。湯屋の評判も守れるでしょう?」
「……お前ら、何者だ」
男が俺を見て、次にロンゲールを見た。
俺は言い淀みかけたが、ロンゲールが小さく首を振った。
名乗るな、という合図だ。
「匿名の善人、でいいだろ?」
ロンゲールが言う。
あまりにも堂々としていて、おそらく男は暗に悟ったのだろう。
しばらく葛藤した末、低い声で吐き捨てた。
「……裏の板塀の傷が増えてるんだよ。そこから狙ってるらしい。だが、お前らも下手こくな。女中に見つかったら冗談じゃ済まねぇぞ」
「任せろ」
ロンゲールの返事は軽い。
しかし、その目は一瞬だけ獣のように鋭くなった。
俺はそこで、鷹狩りの時の背中を思い出す。
(外のロンゲールは頼もしさが増すな……)
・
裏手の板塀までは、湯屋の主人――名をガルドと名乗った――に案内してもらった。
確かに板の一枚に妙に擦れた跡がある。
人が何度も身体を寄せたのだろう。
「……ここか」
「ここだ。夜更けに来る。たぶん一人だが、油断はするな。お前みたいにデカい男に死なれちゃあ、処分が大変だからな」
「ははっ、違いない」
いまだに警戒心もあるはずなのに、早くもロンゲールはガルドと打ち解けていた。
ガルドが去る前に、俺は小さく手を挙げる。
「一つよろしいでしょうか。仮に逃げられたとしても、足跡を残せれば犯人が一人か複数か判断できます。灰か粉のようなものはありますか?」
「灰なら釜場にある。あとは……紐なんかも使えるか?」
「それで十分です。紐の先に小さな鈴を結べますか。塀に触れた瞬間、音が鳴るように」
ガルドは胡乱げに俺を見たが、やがて頷いて踵を返した。
少しして戻ってきた彼は、灰の入った壺と、紐と豆粒みたいな鈴を投げて寄越す。
「遊びじゃねぇぞ」
「承知しています」
「デカい兄ちゃんだけかと思ったが、お前さんも意外と頭が回るみたいだな」
ロンゲールが紐と鈴を受け取り、にやりとした。
「お前、こういうの慣れてるのか?」
「田舎では鶏を盗む狐対策に……いえ、私の話など忘れてください」
「忘れねぇよ。面白いし」
ガルドが去ると、俺とロンゲールは暗がりに身を潜めた。
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