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必死になってサポートしてきた乙女ゲーの攻略対象、俺のために婚約破棄する  作者: 歩く魚


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11/11

アンリ・ベルナール

 ベルナール家来訪の翌日、城の庭園は珍しく穏やかだった。


 秋の光は柔らかく、白薔薇の花弁に落ちた陽が薄く透けている。

 整えられた芝生の向こうに噴水があり、その水音が、会話の隙間を埋める役目を果たしていた。


 形式的な歓待を終えた後、王の配慮という名目で第二王子と令嬢に私的な時間が与えられた。

 もっとも私的とはいえ完全な二人きりではない。

 俺が一歩後ろに控えている以上、それは政治的な距離を保った上での親睦だ。


 アンリは淡い青のドレスを纏い、日差しを背にして立っていた。

 その姿は原作で何度も見た立ち絵と重なる。

 画面越しではなく、呼吸を持つ存在として目の前にいることが、未だに現実味を欠く。


(こりゃあモテるわけだ)


 俺は内心で呟く。

 原作主人公、アンリ・ベルナール。

 今はロンゲールルートの入り口といったところだろう。


「庭園はお好きですか、アンリ嬢」


 ロンゲールが問いかける。声音は穏やかで、過度な甘さはない。

 距離を詰めすぎない配慮が見える。


「ええ。花は季節を裏切りませんもの」


 アンリは微笑む。その笑みは上品で控えめ。

 この場面は、ゲームなら好感度が静かに上昇するタイミングだ。

 ロンゲールは噴水に視線を移し、軽く肩をすくめた。


「俺は裏切られるのは嫌いだが、花に期待したことはないな」


 軽口。


「なあ、リンタロウ。お前はどう思う」


 続く言葉が何故か俺に向く。

 アンリの視線が静かにこちらへ流れる。

 二人の仲を取り持つような言葉を心がけなければ。


「花は咲く場所を選べませんが、手入れ次第で姿は変わります。裏切るかどうかは見る側の問題かと」


 言いながら、自分が妙に理屈っぽいと自覚する。

 だがロンゲールは満足げに頷いた。


「だそうだ。俺が枯らしたら叱れよ」


 アンリはそのやり取りを黙って眺めていたが、原作では、この位置に立つのはアンリのはずだった。

 俺は一歩、距離を意識して下がる。


「失礼。私は少し離れます」

「なぜだ?」

「お二人の時間ですから」


 アンリの目がわずかに細まる。


「側近殿は、殿下をよくご存じなのですね」


 声は柔らかいが核心を突くような鋭さがあった。


「誠心誠意、お仕えしておりますので」

「素晴らしいことです」

「アンリ嬢は、城に慣れているようだな」


 ロンゲールが何気なく問いかけた。

 しかし、アンリにとってはなんらかの疑いのように聞こえたのかもしれない。

 彼女はぎこちなく声を出す。


「幼い頃、何度か参りました。……従兄が王都におりましたので」


 従兄。ゲーム知識が記憶の底で反応する。

 彼女の幼馴染のことだ。


「従兄?」

「ええ。幼少の頃から、よく遊んでおりました」


 アンリの声がほんの僅かに和らぐ。

 先ほどまでの完璧な令嬢の調子とは違う、素の響きだった。

 ロンゲールは何気なく問い返す。


「今も仲が良いのか?」


 アンリの瞳が揺れた。


「……はい」


 俺の胸がわずかにざわつく。


(やっぱり……)


 原作では、幼馴染ことオズワルドは報われにくいポジションだ。

 だが彼のルートも存在する。

 選ばれなかった場合、彼は笑って身を引く。


 アンリは、その未来を知っているわけではない。

 だが、今の彼女の目は、既に何かを選びかけているようにも見えた。


(もしかして、すでにアンリはオズワルドのことが……?)

 

 俺の焦りを知ってか知らずか、ロンゲールは立ち上がり、花壇に近づいて一輪の白薔薇に視線を落とした。

 その仕草は気まぐれのようでいて、どこか考え込む時の癖にも見える。

 彼はいつも、何かを決める前に対象から少しだけ距離を取る。


「幼馴染、か」


 ぽつりと呟いた声は、からかいを含まず、ただ事実を確かめるようだった。


「そういう相手がいるのは悪くない。昔を知っている人間には、今を取り繕う必要がないからな」


 アンリはその横顔を見つめる。

 微笑みは崩していないが、瞳の奥がわずかに揺れているのが分かる。

 彼女は今、令嬢として正しい返答を選ぶべきか、それとも本心を零すべきか、ほんの刹那の逡巡を抱えている。


「……殿下は、そのようなお相手がいらっしゃいますか」


 問いは柔らかいが、核心を探るものだ。

 俺の背筋が無意識に伸びる。

 ロンゲールは振り向かずに答えた。


「さあな。俺はあまり過去を振り返らん」


 軽い言い回しだが、そこには僅かな空白がある。


「だが」


 ロンゲールは振り向き、今度は真っ直ぐアンリを見た。


「今を選ぶことはできる」


 その言葉は、ゲームの台詞で何度も見たものに似ている。

 ロンゲールルート中盤、ヒロインに向けられる決意の言葉。

 俺の胸がひやりとする。


(ここだ。いまアンリが一歩踏み込めば、好感度は上がる)


 だがアンリはすぐに踏み込まない。

 彼女はほんのわずかに視線を落とし、それからゆっくりと持ち上げる。

 その間の沈黙が妙に長く感じられた。


「今を、ですか……」


 声にかすかな迷いが混じる。

 原作では、この場面でアンリは無邪気に微笑み、「殿下の今に寄り添えたら」と返し、ルートが固定される。


 だというのに、目の前にいる彼女は、その台詞を選ばない。


「殿下は」


 アンリが静かに言う。


「ご自分の今を、すでにお持ちのように見えます」


 ロンゲールは眉をわずかに上げる。


「そうか?」

「ええ」


 アンリは微笑みを崩さぬまま言った。


「殿下の今は、すでに揺らがぬものの上に立っているように見えます」


 その言い方は婉曲だが、意味は明確だ。

 誰かを支えにしているということ。

 ロンゲールは少しだけ目を細める。


「揺らがぬもの、か。そんな立派なものは持っていないつもりだがな」

「立派かどうかではありません」


 アンリは薔薇の花壇へ近づく。

 風に揺れる白い花弁を指先で触れることもなく、ただ眺める。


「殿下は迷いを表に出されない。だから強く見えるのです」


 その言葉は賞賛の形をしているが、同時に観察の結果でもあった。


「迷っている顔が下手なだけだ」

「そうでしょうか。少なくとも、お一人ではないように見受けられます」

「人は一人で立つもんじゃないだろ」

「ええ」


 アンリは小さく頷く。


「ですから羨ましいのです」


 その声は、先ほどよりも少しだけ柔らかい。

 令嬢の仮面の下から本音が覗いているようだ。


「私は、常に選ばれる側でありましたから」


 それは重い告白ではない。

 だが、長く胸に置いてきた言葉のようだった。


「選ぶことは、あまり許されておりません」


 風が吹き、ドレスの裾が揺れる。


「ベルナール家の令嬢なら、そうだろうな」

「殿下も同じでは?」

「俺は第二王子だ。王位継承順位は低い。多少は好きにできる」


 その多少がどれほど限られているか、ここにいる誰もが理解している。

 アンリは視線を落としたまま続けた。


「それでも、殿下は今を選ぶと仰いました」

「そうだな」

「では……」

 

 彼女はそこで躊躇う素振りを見せた。


「殿下は、もし今を選べるとしたら、どなたを選ばれますか?」


 真っ直ぐな問い。

 ロンゲールは即答せず、薔薇から視線を外し、ゆっくりと庭全体を見渡す。


「今を選ぶなら――」


 ロンゲールは屈託のない笑みを見せた。


「退屈しない相手だな」

「……退屈は、心を曇らせますものね」


 アンリはそう言って視線を上げた。

 笑みは消えていないが、その奥にあるものは先ほどまでとは違う。

 相手の言葉を受け止め、ただ頷くのではなく、自分の位置を確かめる目だ。


 彼女は答えを急がない。王族との対話において沈黙は失敗ではない。

 むしろ、言葉よりも雄弁なときがある。


「殿下は、退屈を嫌われるのですね」

「嫌いだな。時間は無駄にするには短い」


 軽口の調子は残っているが、声音は低い。

 冗談で濁すつもりはないらしい。


「では殿下は、ご自分を退屈させない方をお選びになる」

「そういうことだ」

「なら、精一杯頑張ろうと思います」

 

 決意を誇示するような強さではない。

 静かに腹を括った者の落ち着きだった。


「退屈させぬよう、殿下の今に相応しい者になれますように」


 ロンゲールはその言葉を正面から受け止めた。


「無理はするな」

「無理ではございません」


 アンリは首を振る。


「覚悟です」


 庭園の空気が、静かに引き締まる。

 白薔薇は変わらず風に揺れている。

 だがその下で、ひとつの未来が確かに動き始めていた。

評価ポイントをいただけるととても嬉しいので、お手数ですがよろしくお願いいたします!

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