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顔のない男

作者: 月ちゃん
掲載日:2026/01/05

「顔のない男」  作:月ちゃん



 それは、小学4年生の夏のことである。その日、私は夕方まで友達の家で遊び帰路に着いた。親に告げてあった時間を、既に1時間ほども過ぎてしまっていた。外に出ると辺りは既に夕闇に包まれつつあり、どこかの森でひぐらしがもの悲しい声で鳴いているのが聞こえた。家までは10分ほどの道のりだったが、気持ちがはやる私は神社の境内を通り抜ける経路を選んだ。そこを通り抜ければ家には5分で着けるのだ。


 その神社は「お稲荷さん」として昔から地元に親しまれていた。改修費が足りないためか、本堂はかなりガタが来ていて、御扉みとびらは強い風が吹くとキシキシと鳴った。その扉の奥には本尊である黒いお狐様が祭られているという。私は、本堂の裏から小道を通り抜けると境内に入った。一つだけある外灯の蛍光灯が、オレンジ色の明滅を繰り返していた。私には、それがまるで末期の病人の命の迸りのように見えた。遠くで犬が吠える声が聞こえた。私は怖くなって小走りでそこを通り抜けようとした。そして、それを見たのだ。正面に黒々と立つ大木の枝に、何かがぶら下がっていた。境内を風が通り抜け木々の葉をざわつかせると、その何かもまた小さく揺れるのがわかった。私はそれに近づいた。枝から伸びた縄が首に巻き付き、少し頭が傾いているのを見て、私はようやくそれが首吊り死体だとわかった。私はそこに凍り付いた。叫ぼうとしても、詰まった喉はヒイヒイとか細い悲鳴を絞り出すばかりだった。何分そうしてそこに立ち尽くしていただろうか。家に帰るには、その大木の横を通るか、来た道を戻るしか選択肢はなかった。私はゆっくりと後ずさりしながら踵を返した。だが、次の瞬間、私は首吊り死体を超える恐怖に対面することになった。


 そこに「男」が立っていた。


 「男」は全身黒ずくめだった。顔はよく見えなかった。恐ろし気なぼさぼさの髪が顔の周囲を囲んでいるのがわかった。それから「男」は私に向かって何かを言った。私にはその直後の記憶がない。きっと私は死に物狂いで走り続けたのだと思う。気が付けば母の胸で震えながら泣きじゃくっていた。そして、何があったのかと問いただす母に「犬に追いかけられた」と嘘を言ったのだった。


 私は警察に1度だけ事情聴取されたことを覚えている。私は何を聞かれても何も見ていないと言いはった。母に嘘をついていたからそう言うしかなかったのだが、実際のところ、私にはあの夜に会った「男」について、警察に言えるような情報はを何も持っていなかった。私は「男」の顔を見ていなかったし、あの時「男」が私に何を言ったかも覚えていなかったのだから。


 私は、それからすぐ、事件が自殺として処理されたことを知った。自殺したのは、神社から5km程離れたところで1人暮らしをしていた93歳の老人だった。それから15年間、私はその夜に経験したことを忘れて過ごした。だが、私は記憶にまるですっぽりと抜け落ちたような空白があることを知っていた。そして、そこに近づこうと試みる度に、私の身体はわけもなく恐怖に震え出すのだった。



 私は大学を卒業すると直ぐに、それまで3年間付き合っていた女性と結婚し、2人でアパート暮らしを始めていた。そのニュースをTVで見たのは、妻と夕食を食べていた時だった。報道番組が特番を組んで15年前に起きたある事件のことを取り上げていた。女性キャスターが、その事件が自殺に見せかけた他殺であり、犯人によって仕組まれた相続詐欺であったと解説していた。死んだ老人は銀行に1億円近い資産を蓄えていた。彼は遺言状に、若いころ世話になったある人物に遺産のすべてを譲ると書き残していたが、その人物は老人が自殺した10日後に他界していた。やはり自殺だった。そのような場合、法定相続人が遺産を分配することになるという。亡くなった老人は結婚の経歴はなく実子もいなかったが、養子が一人いた。


 容疑者の顔写真がTVに写されたその瞬間、私は画面に釘付けにされた。歳はとっていたが、私はその顔を鮮明に覚えていた。それは、15年前のあの時、家に事情聴取に来た刑事だった。私に顔を見られたかどうか確かめるたに、刑事を偽って家に来たのだ。もし顔を見られていたとしら、私を殺すつもりだったのかも知れない。氷のように冷たい恐怖が私の心臓を鷲掴みにした。容疑者は今も逃走しており、未だ捕まっていなかった。


 その手紙が送られてきたのは、それから三日後のことだ。手紙にはこう書かれていた。


-----------------------------------------------


 あれから随分と時が経ちましたね。あなたも立派な大人になっていることでしょう。私も、もう48歳になってしまいました。ところで、あなたも報道を見た思いますが、実を言うと私には殺人の容疑がかけられています。私は近く警察に出頭するつもりです。もちろん無罪を主張するつもりですが、私にはあの夜のアリバイがありません。

 そこで、あなたにお願いが1つあるのです。あなたは、あの夜のことをまだ覚えていますか?そうです。あなたがあの夜見て、そして行ったことをです。あなたはあそこにいた「男」がお爺さんを殺したことを、そしてそれが私ではないことを証言できるはずです。私の潔白を証明するために、法廷であなたに真実を証言して欲しいのです。私たちの友情が今でも続いていることを願っています。


                                   あなたの本当の友達より

-----------------------------------------------


 私は思い出していた。私の記憶の空白のすべてを……。



 私は妻と離婚した。理由も告げず、ただ愛情がなくなったのだと言って無理矢理に離婚届に印を押させた。泣き叫ぶ妻を冷たく突き放すのは辛かった。だが、私にはそうするしかなかったのだ。子どもがいなかったのがせめてもの救いだった。私は、あの夜あったことを全て思い出した。境内の明滅する蛍光灯。遠くから聞こえる犬の吠える声。風が木の葉を鳴らす音。大木の枝に吊り下がった老人の身体。そして、明滅する蛍光灯が断続的に照らし出す「男」の顔……。


 私はあの時「男」の顔をはっきりと見たのだ。そして、その顔は、間違いなくテレビに写された容疑者の顔と同じだった。


 私は「男」があの夜、私に言った言葉を思い出した。男はこう言ったのだ。


 「おい、ぼうず。あそこの木のところに爺さんが吊るされているのが見えるだろ。爺さんが乗っているビールケース、あれを蹴り倒してきてくれないか」


 その時、きっと私は「嫌だ」と言ったのだと思う。「男」がその私の顔を凝視して再び言った。


 「嫌なら俺がやるだけさ。だが、残念なことに俺はお前に顔を見られちまった。嫌だと言うなら、お前もここで死んでもらうしかない」


 「男」が私をお爺さんの方に向かせた。お爺さんは口を縛られ、木の枝から伸びた縄を首に掛けられていた。だが、まだ生きていた。恐怖に見開かれた眼が私に何かを訴えかけていた。私は、自分が足元のビールケースを蹴ればどうなるかよくわかっていた。そして、それを拒否すればどうなるかも……。震えながら立ち尽くす私に「男」が後ろから言った。


 「早くやれよ。簡単なことだろ。どうせ放っておいたって老いぼれて死ぬだけの爺だ。それが数年早まったからと言って、いったい誰が困る?」


 「男」の言葉は、悪魔が使う恐ろしい「呪文」のように私を支配した。私は近づきそれを蹴った。1度ではうまくいかず、2度、3度と蹴った。ビールケースが倒れ、お爺さんの身体がガクリと下がった。伸びきった身体がしばらく悶えるように揺れ、そして止まった。私は恐ろしさと後悔に叫び出しそうになる口を押さえ、その場にしゃがみこんだ。


 「男」は私の肩を掴むと言った。


 「よくやったな。今日のことは全部忘れることだ。誰にも言うんじゃないぞ。それができたら、俺とお前は本当の友達だ」



<完>

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