プロローグ「御伽の少女、御伽の少年」
ある村で、一人の少女が柱の前に立っていた。
月が照らす広場に炎が揺らめく。
群衆のざわめきが冷たい夜風に乗り、まるで生贄を欲する獣の咆哮のように響いている。
それらが、生気をなくした少女の頬を切り刻むようになでる。
彼女の足元には乾いた藁が敷き詰められている。
望んでいない呼吸が拒めない。少し酸っぱい、油のにおいが鼻につく。
白い簡素なナイトドレスは薄汚れ、肩には痛々しく鞭の痕が残っていた。
「お前は、自分が何者なのかも知らないのか?」
光の灯らない瞳が、近づいてきたたいまつの明かりをうつす。
「おとう……さん……」
掠れた声で、少女は口を動かす。
「……お前は……お前は俺の娘ではない!」
声が轟く。
自分を納得させるような、押し殺すような声色が群衆を感化させる。
「呪い子め!」と一人が啖呵を切る。
「地獄に落ちろ!」続き、慈悲のない言葉が降りかかる。
少女は目を伏せた。
抗う気力はすでになかった。
呪い子ではないと叫んでも、誰も聞く耳を持たなかった。
彼女が呪い子と言われている天の悪魔の力を持って生まれた瞬間から、すべては決まっていたのだ。
ねえ、呪い子ってなに? 天の悪魔ってなに?
誰も教えてくれなかった。
誰も禁句とされているから、言いたがらなかった。
お前なんかに教えるわけないだろうと言われていた。
火が瞬く間、眼前に広がる。
橙色の悪魔の舌が彼女の全身を舐める。
焼けた煙が肺を満たしていく。
私は生まれてから何も知らない。
知らないことは、恐怖だ。
少女は幼いころ、ある一冊の絵本がお気に入りだった。
羊皮紙に描かれた優しい絵と、詩のように綴られた物語。
それは、小さな村に住む少女が、ある日森の奥で迷子になり、旅の騎士に助けられるというお話だった。
騎士は銀色の鎧をまとい、剣を携え、優しい眼差しで少女を導く。
森の中の色々な生物や植物を知り、家までの旅をする。
それは少女にとって、かけがえのない素晴らしいひと時であった。
「大丈夫。僕が必ず君を家まで送るから」
物語の最後、少女は家族のもとへ帰り、騎士は静かに去っていく。
「待って」とも言えず、少女は彼の背中に向かって手を振る。
私も一緒に行きたい。冒険がしたい。もっと世界のことを知ってみたい。
だが騎士は振り返らず、それでも暖かい風が吹く――
しかし、そんなものはただの御伽噺だった。
御伽噺のはずであった。
だから、私のこれからの人生は。
御伽噺なのかもしれない。
――大丈夫?
夜空の黒、紅蓮の炎。
突拍子もなく、村の誰かが叫んだ。その声色は恐怖の色。
一人、また一人と村中が恐怖に包まれた。
気が付けば炎は消え去り、黒一色。
涙が瞳に溜まっている。少女は目の前の男の人をみた。
彼は手を差し伸べている。
腰に剣を携え、黒のローブのような服を身にまとい、深々とフードをかぶっている。
ふわりと少女の後ろから、風が頬を触れた。
そのせいで彼のフードが浮き、黒い髪と顔が見えてしまう。
優しい眼差しでこちらを見ている。
胸が高鳴る。耳に届くのは、自分の鼓動だけ。
私の御伽噺は、ここから始まった。