第七話 転生
修道院の生活は、カロリーナにとって今までの生活に比べてすこしつらかった。
教会の孤児院にいたために、規則やお祈り、簡単な修練と共同生活での家事分担などは毎日していたけれど、修道院ともなると、生活自体が修行で、身体も精神も鍛えるために厳しく指導された。
けれど、カロリーナが王宮から『偽聖女』と追い払われたことについては、誰も口にしなかった。
「聖女イシス様は真の聖女であらせられます」
はじめて、聖女について詳しく聞いたのは、修練のひとつである座学のときだった。
修道女であり院長の高齢の女性は、穏やか語っていた。
「まずは、転生についておさらいをしましょう。我々の肉の体に宿る力の形そのものである魂は、肉が朽ちても残ります。それは私のようなただの修道女などには見えません。ですが、高い魔力や特別な力を持つものには見えたりします。たしかに存在するものです」
修道院は節制を常に心がけていて、食べ物や着るもの、道具なども制限される。明かりも、日が高いうちは絶対に使わない。
今も外は曇り空なのに、講堂の窓からぼんやりとした光しか入ってこなくて薄暗い。
「我々が死んでのち、その魂は世界を巡り、やがてまた生を受けます。人間や動物、また植物であるかもしれませんが――これが転生です」
魂は数十年、数百年を経てから新しく生を受けるのだという。
「国の王や、名高い戦士、真理を極めた魔道士、僧侶、そして聖女も例外ではありません。みな死を迎えたあと、また魂は世界をめぐり、時が来れば再度生を受ける」
――外では、雨が降り出したらしい。
「真の聖女とは、聖女の生まれ変わりなのです」
院長は一度言葉を切って、しばらくしてまた続けた。
「何度も聖女として転生し、その都度祈りを習得され、魂に刻む。その魂がいつしかまた聖女になり、また祈りを刻む。それを繰り返すことで、すべての祈りをお知りになる、真の聖女に成られるのです」
つまり、イシスは生まれながらにして聖女なのだ。
(バカみたい)
そんな人を相手に、自分はもっとうまくやれるなんて、どうして思ってしまったのだろう。
それは、ゴイドンという貴族がカロリーナを聖女として扱い、王太子が受け入れたからだ。
たった500程度の祈りを覚えただけで、もてはやされて。
たった一文字でも唱え、聖属性の魔力を使えば祈りだった。同じ詠唱でも所作が違えば違う祈りになる。500の祈りなんて、少し文字を知っていればすぐに覚えられた。
でも、カロリーナはたったそれだけ。
王宮に迎えられ、聖女イシスのように祈れと言われて、ほとんどできなかった。
当たり前だ、5001の祈りなんてどれだけ修練しても人間には時間が足りない。そんな事も知らなかった。
情けなくて、悔しくて。
院長の柔らかな声が講堂に響いている。
「ですが、祈りは聖女ではなくても出来るのです」
はっと、カロリーナは顔を上げる。
他も数名、院長のうっすらと微笑むシワだらけの顔を見た。
「熱心に祈れば、神は見届けてくださり、奇跡は誰にでも起こるのです。魂の力でしょう。けれど、奇跡のため、自分のために祈ってもそれは神の御心に叶いません。どう祈るか、何のために祈るかは、この修道院で修練されれば、自ずと分かるでしょう」




