甘えるということ
先々週、父の手術が終わりました。
タイトルと全然違う書き出しですがちゃんと着地します。少しだけお付き合いください。
お盆に帰省したとき、父の病気を知らされました。
診断は進行性の直腸がん。かなり前から自覚症状があったそうです。
父はプライドが高く、弱みを見せない人。身体が丈夫で風邪も引いたことがありません。
お通じの異変も「たまたまだ」と思っていたのでしょう。
最初に異変に気づいたのは母でした。
『トイレの汚れ方がいつもと違う』
それがきっかけでした。
父以外の家族に異常はなく、父を問い詰めてようやく話してくれたそうです。これが7月下旬のこと。
翌日すぐに病院へ行き、さらに大きな病院で検査。
ちょうど私の帰省と重なり、家族全員で医師の説明を聞けました。
それからの2か月、長かったです。
何度も通院して転移の有無を調べ、ようやく手術へ。
トラブルもありましたが、手術は終了。今は術後のリハビリをしながら家族とメッセージのやり取りをしています。
……正直、メッセージが多すぎてちょっとウザいです。退院日も決まりました。
ここから本題、『甘えること』について。
今回の件、もっと早く検査していれば内視鏡で処置できたかもしれません。
けれど父は、弱みを見せることを「恥」と思っていた。その強さが、裏目に出てしまいました。
内視鏡では処置出来ず、腹腔手術中にトラブルがあり開腹手術に。
強さに比例して、出た裏目も大きかったんです。
口は悪いけれど働き者で、近所の人が困っていればすぐに駆けつける。
そんな父だから、今年の収穫作業には集落の人が大勢手伝いに来てくれました。
──誰も頼まれていないのに。
頼ることは、弱みを見せることばかりじゃない。
むしろ、日頃の行いがあってこそ「頼られる側」にも喜びが生まれるはず。
父にはそのことをいつか分かってほしい。母とよくそんな話をします。
そんな父の子である私は──
「甘えることが苦手で、弱音は吐きまくり」です。
困っている人がいれば、出来る限り助けたい。
でも自分が助けてもらうことには罪悪感を感じてしまう。
「私なんて助けてもらう価値がない」、「助けてもらってもお返しができない」と思ってしまう。
甘えるためには、まず“自分が成長すること”が必要。
ずっと、そう思って生きています。
はぁ……思いっきり甘えたい。
猫に。
甘えさせて!
尻尾の付け根、ポンポンしてあげるからっ!
このお話で『小桃が思うこと』が一万文字を超えました。
読んでいただいてありがとうございます。




