参拝の作法について
私は神仏が大好きです。霊感はないので姿を見ることも声を聞くこともできませんが、“いる”と信じています。
神社仏閣にもお参りに行きますが、御朱印は集めていません。訪れた場所もまだ二十に満たないです。
たくさんの人と広く関わるより、少数の人と深く関わりたい──そんな性格が、MBTIでいうところのINTJらしいと自分でも思います。
今回は、神社の参拝作法について、私なりに思うことを書かせていただきます。
まず、私は作法に詳しいわけではありません。
鳥居をくぐる前に一礼する、その後の一歩目に気をつける、参道の真ん中を歩かない、手水舎で手や口を清める、狛犬や狛狐に挨拶する、拝殿ではその神社の作法に従って拝む、帰るときも鳥居の前で一礼する、だいたいそんな感じです。
その中でも気になっていたのが「鳥居をくぐったあとの一歩目」についてです。
“神様(参道の中央)になるべくお尻を向けないようにする”という作法。意味は分かりますが、拝殿でお参りを終えた直後はどうすればいいか分かりませんでした。
後ろを向かずに戻ることはできませんし、後ずさりすれば後ろの参拝者を驚かせてしまいます。
そんな疑問を、ある神社で宮司さんにお聞きしたことがあります。
すると、宮司さんは穏やかに微笑んで言いました。
「その気持ちがあれば十分ですよ」
……教えてもらえませんでした。
それ以来、私は賽銭箱の左右どちらかに立ち、拝み終えたら反対の足を引いて向きを変えるようにしています。
左側に立ったら右足を引く。なるべく真ん中にお尻を向ける時間を減らす。そんな“我流の工夫”です。
作法にはそれぞれ意味があり、"神様を敬うための動作”です。
そして、長くなりましたがここから本題です。
──もしかして、参拝の作法は『人としての礼儀作法』を教えてくれているのではないかと。
たとえば、他人の家を訪ねるときには玄関でお辞儀をし、会う前に身なりを整え、その家の人に挨拶をする。
神社の作法はそれとよく似ています。
私は子どもの頃、あることで何度も母に叱られました。
それは──
「玄関の真ん中に靴を脱がないこと」
真ん中はお客さまが靴を脱ぐ場所だから、家の者は端に脱ぎなさいと。
何度も言われて、ようやく身についた躾でした。
そして、『神社の参道の真ん中は神様が通る道だから歩かない』と聞いたとき、
私の中でその二つが繋がりました。
ああ、参拝の作法って──
“神様を敬う”ことと、“人を敬う”ことが地続きなんだな、と。
きっと私の知らない作法も、まだたくさんあるでしょう。
それぞれに意味があり、心が込められているはずです。
これからもそれらを少しずつ学びながら、
神様を敬うのと同じように、
人にも礼を尽くして生きていきたいと思っています。




