導かれし者の通路
通信機が静かに上昇し、空中に漂ったまま、沈黙を続けていた。
先程まで張り詰めていた空気が、ほんのわずかに和らぐ。
一瞬、場に静寂が戻った。
ノアは、まだ喉元にあった緊張の残滓を振り払うように、そっと息を吐いた。
その隣で、ユーリは無言のまま刀を背へと戻す。
動作に無駄はなく、静かに、そして冷静だった。
しばらく沈黙が流れた後、ユーリがふいに口を開いた。
「……カイルを“師匠”って言ってたな」
ノアが目を瞬かせる。
「え?……あ、はい。そうですけど」
ユーリはわずかに目を細め、そのまま地面へ視線を落とす。
表情は相変わらず無機質だが、口元はかすかに動いた。
「……どこで知り合った」
声音に敵意はない。だが、好奇心とも少し違う。
その言葉の端端には、どこか呆れにも似た色が滲んでいた。
「アイツは、“元帥”のくせにろくに教団に帰ってこない。十年以上、放浪してる放蕩者だ」
「……放蕩者……」
ノアは思わず小さく吹き出しそうになり、唇を引き結ぶ。
その肩の上で、ふわりと動いた小さな影。
ミカエルが、くつくつと喉の奥で笑っていた。
口を開けて声をあげるわけではなく、身体を小さく震わせながら、控えめに、しかし確実に面白がっている。
「……昔、いろいろあって。5年くらい旅を一緒にしました」
数秒の沈黙。
その答えに、ユーリの灰色の瞳がほんのわずかに揺れる。
しかしそれ以上、彼は何も問いたださず、ただ一言だけ呟いた。
「……そうか」
それは、驚きとも納得ともつかない、奇妙な間の空白に落ちていく言葉だった。
ミカエルのくぐもった笑いがようやく止まりかけた頃、
空中に漂っていた通信機から、ふいに静かな機械音が響いた。
《ユーリ。確認が取れた。……間違いなく、カイル元帥からの紹介だ》
それだけを告げて、球体はふわりと沈黙に戻る。
ユーリは特に頷くでもなく、小さく息を吐くと、くるりと背を向けた。
「……ついてこい」
それだけ言い残し、歩き出す。
ノアはミカエルと視線を交わしてから、その背中を追った。
歩きながら、ノアはふと考えていた。
“カイル元帥”と呼ばれていた。
あの破天荒で、お金にだらしなくて、いつも何かしらをやらかしていた人間がーー
そんな肩書きで呼ばれるような存在だったのかと。
歩を進めるたび、足元の土がぱりぱりと乾いた音を立てた。
表面は干からび、砕けたようにひび割れている。
地面のあちこちに走る線は、自然に生じたものではなかった。まるで何かが力を込めて、意図的に“裂いた”かのような痕跡だった。
その異様さに、ノアは無意識に足取りを遅くする。
横を歩くユーリは何も言わず、ただ黙々と進んでいく。
やがて、わずかに空気が変わった。
乾いた風が止まり、周囲の空間が静まり返る。
目の前に広がっていたのは、砂地の中心に直接刻まれた巨大な魔法陣。
半径十メートルは優に超える大きさ。
構成は七つの頂点を持つ星型ーー七芒星。
その線は血管のように地割れに沿って走り、魔力の名残で淡く光を放っていた。
「これ……転移陣?」
思わずノアが呟く。
ユーリは無言のまま歩みを止め、魔法陣の中心に立つ。
「教団本部につながる。外部には公開されていない。……内部専用だ」
彼の声音は相変わらず冷静だったが、その言葉に込められた意味は重い。
招かれなければ決して踏み入ることのない場所ーーそれが、“SAVIOR本部”。
「……置いていくぞ」
ノアは、思わず苦笑いしながらミカエルに目をやった。
「……行こうか」
「うん。……ねぇノア、背中から落ちないようにしてね?」
「さすがにそれは大丈夫だよ」
ノアは一歩、魔法陣へと足を踏み入れた。
その瞬間、地面に刻まれた七芒星が微かに脈打つように、“ぎぃ……”と低く呻いた。
魔力の回路が起動し、砂地の表面に淡く銀の紋が浮かび上がる。
風が止み、空気がわずかに重くなる。
「転移まで、五秒」
ユーリがそう呟いた直後、視界が揺らぎ始めた。
空間が波紋のように歪む。
ノアの足元から浮かび上がるような感覚とともに、彼の身体がふわりと持ち上がる。
重力が失われていく中で、ノアは目を閉じた。
誰かに手を引かれるでもなく、ただ自分の意思で歩き出した、その一歩。
やがて、世界は光に飲み込まれてく。