第04話 貴族と奴隷②
なんで、こんなところにラスボスがいるんだ!?
頭の理解が追いつかず、思考が「?」で埋まっていく。
いや、待て。落ち着け。可能性はある。
『蒼天に坐せ』はシナリオ分岐ゲームだから、ラスボスというのは1人じゃない。ルートによって出てくるボスが変わる。
いま俺の目の前にいる蛇の魔族……メルサは『魔族の王』ルートで魔族の国を立ち上げようとする主人公と、ヒロインの前に現れるヒロインの姉だ。そして、彼女こそヒロインが『魔族の王』になるべく決意した存在でもある。生き別れ、人の奴隷になった姉を助けるべく、魔族に人権を取り戻そうとするのだから。
「どうされましたか、ウィル様……?」
「……気にするな。知り合いと、名前が一緒だったものでな」
奴隷商が怪訝な目を俺に向けてくるが、今はそれどころではない。
俺はメルサに駆け寄ろうとして、ごうん! と鉄格子に頭をぶつけ、ぶつけた痛みもそのままにメルサに問いかけた。
「……お前、本当にメルサなのか?」
「確かに、私はメルサですが」
「い、妹はいるか?」
「妹は……いますが」
ずっと横になっていた彼女は、少しだけ身体を起こすと耳だけを頼りに俺の方を向いてきた。
その表情には、疑問の表情が浮かんでいる。
変人を見る目で見てくる奴隷商とは違い『どうして妹がいることを知っているんだ』と言わんばかりの顔。いや、目が見えていないから半分くらいは推測だが……それでも、そういう顔をしている。
「妹の名前を教えろ」
「…………なぜ」
初めて。
俺の問いかけに対し、初めてメルサに対してピリリとした感情が声色に滲んだ。
『お前が土足で踏み込んで良い領域じゃねぇぞ』と言外に匂わせるような声に、俺の隣にいた奴隷商が怯む。
しかし、命がかかっている俺としてはその程度で怯んではいられない。
向こうが言わないのであれば、こちらから話を掘り起こすだけだ。
「お前の妹の名前は……アルナで合っているか」
彼女にだけ聞こえるような小さな声。
それがメルサの耳に届いた瞬間の反応をどう言葉にすれば良いだろうか。
白銀の髪の毛をぶわっと広げると、アイマスク越しにでも分かるほどに目を見開き、口を大きく空けて……固まった。
そうして、固まった口を無理矢理に動かして、俺に尋ねてきた。
「……なぜ、その名前を」
静かに、しかし明らかに怒気をにじませて。
……当たりだ。
ここまで分かりやすい反応をされると、逆に嘘なんじゃないかと思ってしまう。
だが、まぁそんなことはないだろう。
俺は奴隷商に向き直ってから、短く言った。
「コイツを買う。準備してくれ」
俺の声掛けが合図になったのか、固まっていた奴隷商は氷が溶けたかのように動き始めた。
では『魔族の王』ルートについて、おさらいしよう。
ウィルや主人公が住んでいるのはウィステリア王国と言う。国の名前は覚えなくて良い。ゲームの中でも《王国》としか言われないから。で、この王国は隣にずっとあった《帝国》とクッソ仲が悪かった……らしい。
王国に住んでいるのはほとんどが人間で、帝国に住んでいるのはほとんどが魔族だと言えば仲の悪さが少しでも伝わるだろうか。まぁ、そういう関係だから国境での小競り合いだとか、小さい衝突みたいなのは何度もあったんだとか、なんとか。
俺の言っている全てが過去形になっているのは、ゲーム開始時点で帝国という国が存在しないからだ。
王国と帝国はゲームのシナリオが始まる3年前に戦争になり、そして帝国の敗北という形で幕を閉じた。
そして、そんな帝国に住んでいる有力貴族だったか、王族の遠縁にあたるのが『魔族の王』のメインヒロインになる蛇の少女アルナである。彼女は半ば人質のような形で《学園》に入学させられ、どこにでもいる普通の平民である主人公に惹かれ、そして彼とともに再び自分の国を取り戻すために王国から独立をはかる。
こうしてストーリーをなぞると、とてもじゃないがジャンル名に『青春リプレイ』とつけれるようなもんじゃない。誇大広告だろこれ。
そして、そんなアルナと主人公の前に立ちふさがるのが闇落ちした彼女なのだ。
メルサは帝国が戦争に敗北したことで奴隷となり、主人公とヒロインがいちゃついている間にもこの世の地獄を体験し……そして王国の人間を、敵である人間とイチャついていた妹ごと皆殺しにすることを決意する。
そうやって主人公たちの前に立ちふさがるメルサは、強い。
いや、冗談抜きで強いのだ。普通に初見時は調整ミスか、バグかと思ったレベルである。まずHPが高い。邪神の力を借りているとはいえ、バフ無しだと一戦に30分はかかる。あと状態異常を毎ターン飛ばしてくる。
その状態異常というのが彼女の持っている【石化】魔法である。
これはシナリオ後半にヒロインが渡してくれるアイテムによって状態異常を無効化できるが、つけ忘れると毎ターン拘束されて『全部俺のターン』をやられる。頭おかしいだろこれ考えたやつ。
そして、最後の極めつけが異常な攻撃力だ。
このゲームの攻撃力には物理攻撃力と魔法攻撃力の2つがあるのだが、こいつはそのどっちもが壊れてる。普通に3回攻撃を喰らったらゲームオーバーだし、クリティカルが発生すると2回で死ぬ。開発者は馬鹿か?
だが、それだけやりたい放題をする彼女も最終的に主人公たちに敗れて――死ぬ。
そう。俺と同じで彼女は死ぬ運命にあるのだ。
死ぬと言っても序盤で死ぬ俺と違って、彼女は最終章に登場するキャラクター。
もしかしたら、彼女だけで主人公との決闘を乗り越えられるかもしれない。
そんな期待を抱えながら、俺は奴隷購入の手続きをこなした。こなすと権威譲渡の書類と金銭と、そして奴隷が主人である俺に反乱すると電流を流す魔導具の鍵を受け取った。メルサが俺に反乱すれば、魔導具が致死性の電気ショックを与えて心臓を止める。奴隷が貴族に牙を向かないようにする安全装置だ。
そうして、メルサが俺の奴隷になる全ての用意が終わった。
「本日はお買い上げいただきありがとうございます。またのご来店を心よりお待ちしております」
奴隷商が俺たちに頭を下げたのを、一瞥して奴隷館を後にする。
大通りに出ると、それまでずっと黙っていたメルサがようやく口を開いた。
「……なぜ、あなたが妹のことを知っているんですか」
敵意を隠しもしない声。
俺のことを今すぐにでも殺してしまいかねないような声色に、俺は彼女に向き直った。
「俺は何でも知っている。貴族だからな」
「……ふざけないでください」
肩をすくめて笑ってみせると、明確な怒りで持って返された。
しかし、彼女が怒るのも分かる。
彼女は『妹を守るため』ために動くキャラなのだから。
家族の中で唯一生き残った妹のために地獄の底を駆け回り、妹のためにメルサもまた魔族のためだけの国を作ろうとし、そして人間と仲良くなっていた妹に裏切られたと感じて、妹に向けていた全てが殺意に切り替わるのがラスボスとしての彼女だ。
つまり今の時点ではまだ妹への思いは『殺意』へと切り替わっていない。
だから、おそらく彼女は釣れる。
そう思った俺は、メルサに1つ取引を持ちかけた。
「メルサ、もしお前が俺に力を貸すなら――妹に会わせてやる」
「……っ!」
メルサの髪が、ぶわり、と大きく広がる。
言葉の真偽を確かめるように、髪の先が俺に向けられる。
そうして、何かを続けようとした瞬間――。
「お前さん。ウィルだよなぁ?」
見覚えのない長身の男が、俺に声をかけてきた。
人混みを割るようにして姿を現すと、俺の肩に馴れ馴れしく手をおくと、気の抜けた笑顔を浮かべる。
「……誰だ?」
「名乗るほどでもない平民さ」
男はそう言うが否や、短い刃物を俺の腹に突きつけた。
「護衛もつけずに街をブラブラ……お貴族様は、随分と平和ボケしてるみてぇだな」
「……人さらいか」
そういえば、そういう世界だったことを思い出して心の中で舌打ちをする。
『蒼天に坐せ』はお世辞にも治安が良い世界ではないのだ。
領地内とはいえ護衛もつけずに貴族の三男坊が外をほっつき歩いていれば目立つに決まっている。目立てば、中にはこういう人間も出てくるというわけだ。ゲームでも街中で戦闘が発生することは、普通にあるのだから。
人さらい相手に穏便な対応など不可能だし、どうせこちらはあと数ヶ月で死ぬ身である。
俺は肩をすくめて、ぼやいた。
「つまらん仕事は辞めて、まともな仕事についたらどうだ?」
「おい、喋れなくしてやっても良いんだぞ」
そう言って凄む男は、腹に当てたナイフをギリ、と押し付けてくる。
……しょうがない。見せてやるか。
いくらチュートリアルで死んでしまうとはいえ――ウィルがこのゲームのボスであるところを。