第25話 主人公
授業が終わって俺とメルサが向かったのは、ルーチェの部屋だった。
主人公の不在によって俺とのフラグがヒロインたちに立つのであれば、主人公を引っ張り出せば良い。
それが、俺の作戦である。
そうすれば彼女たちに降りかかる不幸をどうにかすることがすることができるはずだ。やるのは主人公だが。
というわけで向かったのは男子寮。
ルーチェは女だから、女子寮なのかと思っていたのだが婚約者から話を聞くと男子寮から登校しているとのことだった。
ゲームの世界では男だったから、その名残で男子寮なのだろう。
それか平民を女子寮に入れたら絶対に生まれるであろう貴族の親たちからのクレームを恐れたか、だ。
そんなことを考えながら、俺はルーチェの部屋の扉を数回ノックする。
「ルーチェ、いるか」
「……ウィル」
果たして、ルーチェからの返事は戻ってきた。
引きこもっているということだったから返事は期待できなかったのだが、会話する元気はあるみたいだ。
「話がある。開けろ」
「……ボクは、話したくない」
「お前は無くても俺にはあるのだ。お前から受けた誤解を解いておかねばならないしな」
「…………」
俺がそう言うと扉の向こうから、ごそごそという音が聞こえてくると扉が開かれた。
開いた扉から姿を表したのはルーチェだった。
とはいえ、いつか出会ったときのような覇気も元気も顔にはなく、目の下には濃いクマとげっそりした顔。綺麗だった黒髪は、かなりボロボロになっていた。
そんな彼女は俺の顔を見るなり、困ったように聞いてきた。
「……誰?」
「ウィルだ」
「…………うそぉ」
ここに来て初めて痩せたことにちゃんと驚きを持ってくれるヤツがでてきたことに安心感すら覚える。一週間面倒を見てくれたメルサはともかく、リアもマオ先輩も意外にも思ってくれなかったし。
「中、どうぞ。散らかってるけど」
「そんな些細なことなど、どうでも良いぞ」
「私が気にするよ……」
ルーチェの後を追って中に入ると……汚部屋が待っていた。
机の上には屋台で売っているであろう弁当――その残骸が山積みになっており、水差しも洗っていないのか何本も同じものがいたるところに転がっている。これがペットボトルならまだ分かるが、この世界にペットボトルはないので水差しはガラス瓶。そんなもの地面に転がすなよと思うが、突っ込んでも仕方ないだろう。
「そこら辺に……座ってよ」
落ち込みきったルーチェは、椅子にかかっていた服をベッドの上に放り投げてから、空いた椅子を俺たちに向かって差し出してきた。
「あの、ルーチェさま。お片付けを手伝いましょうか……?」
「……大丈夫」
流石に見かねたメルサがルーチェにそう聞くと、彼女はふるふると首を横に振って提案を拒否。そうして、どっかりとベッドに腰掛けた。
その動きだけで彼女がとても疲れていることが受け取れる。
目のクマから、数日は寝ていないから寝れていないのだろう。
「どうした、ルーチェ。お前らしくもないな」
そんな彼女に差し出した椅子に座りつつそう言うと、メルサは立ったまま空の弁当箱を集め始めた。片付けを拒否されたとはいえ、汚すぎると思ったのだろう。自分の従者が他人の部屋の片付けをしている横で、俺はルーチェに話を切り出した。
「なぜ登校しない? 俺に決闘で負けたことが、そんなに恥ずかしかったか?」
なるべくウィルの口調に寄せて、そんな風に聞いてみる。
それにルーチェは、静かに首を横に振った。
「それもあるけど、そんなことじゃ休んだりしないよ」
「では、なぜだ?」
「……怖かったんだ」
ルーチェはそういうと、自分の手をぎゅっと組んでから項垂れた。がっくりと下がった頭に釣られるように、彼女の長い髪の毛が地面に向かう。髪の毛によって、ルーチェとの間に壁が生まれたのかと思った。
そうして彼女は俯いたまま、淡々と言葉を紡いだ。
「あの時……ボクはボクの魔法で、キミを殺すところだった。それが、たまらなく怖かったんだ」
「……殺す気で来ていなかったか?」
ルーチェが言っているのは【属性魔法】によって、巨岩を上空に巻き上げたことだろう。
そのまま落下してきた巨岩の下敷きになったことで、俺はしばらく意識を失っていた。確かに下手をすれば死んでいたかもしれないだろう。
だとしても、あの時のルーチェは俺を殺そうとしてたはずだ。
いまさら『殺すのが怖くなった』と言われても、いまいち納得いかない。そう思っていたら、ルーチェがゆっくりと返してきた。
「ああ、そうだよ。ボクはキミを殺すつもりだった」
「ならば怖くなる必要など無いではないか」
「……違うよ」
ルーチェが顔をあげる。
その顔は、怖れに染まっている。
「あんな紙切れを見ただけで、キミを殺そうとしてしまった自分が恐ろしいんだ」
メルサが部屋の片付けの手を止める。
彼女の視線も、ルーチェに向かう。ルーチェは俺を見ている。
その怯えた瞳がまっすぐ俺を見ている。
「あんなに自分を忘れたのは、初めてだったんだ。あんなに取り乱すとは思わなかった。キミが強かったから、ボクはキミを殺さなくてすんだけど……あれがメルサだったら、リアだったら、他のクラスメイトだったら!」
なかば取り乱したように言葉を重ねたルーチェは、そこで我に返ったのか1つ息を吸い込むと、諦めたように呟いた。
「ボクは、誰かを殺してた」
俺はその時、ようやくルーチェの言いたいことを理解した。
彼女は運命の強制力によって、操られたことを怖がっているのだ。
「だから、登校しなかったのか?」
「……そうだよ」
「怒りのまま、クラスメイトを殺してしまうから?」
「…………ああ」
ルーチェは力なくそう呟いた。
そう呟いたものだから、俺は震えるルーチェに言い聞かせるために少し大きな声で続けた。
「そんなもの、恐れる必要などない」
彼女は瞳の中に怖れと疑問を浮かべながら、俺を見た。
俺がそう言った理由は簡単だ。
問題はすべてあの便箋――『入学許可証』から始まっている。
そして、あの手紙は《塔》の中で消えた。原因がすでに無い以上、彼女が恐れるものは何も無い。だから、怖がらなくても良いのだ。
だが、そんなことを言ってもルーチェには届かないだろう。
だから、何と伝えるべきか考えて、答えが出るよりも先に口が動いた。
「俺がいるではないか」
「……?」
「俺がお前を止めると言っているのだ」
ルーチェはぱちり、と目をまたたかせる。
「俺はお前に勝った。お前が怒りに我を忘れてクラスメイトに襲いかかったところで、俺なら止めることができる」
「……それは」
ルーチェは気の抜けたような声を出すと、くすりと笑った。
「そうかも」
「だろう? だから、クラスに来い。お前を待っているものがいる」
「……みんな、平民のこと嫌いだから待ってないよ。誰がボクを待ってるの」
「俺は待ってるが」
「ボクのこと嫌いじゃないの……?」
「俺は好きだぞ、お前のこと」
俺がそう返すと、ルーチェは一瞬で顔を真っ赤にした。
真っ赤にしたまま、口をぱくぱくと動かして、動かしながら喉元から絞り出すように声を放った。
「き、キミは! そういうことを言うようなタイプだったのか……!」
「事実だからな」
俺としてはルーチェが《学園》にやってきてもらわないと困る。
もっというと、学校に来てからヒロインたちとフラグを立ててもらって彼女たちを救ってもらう必要がある。
だから俺はルーチェを待っているし、決闘を乗り越えたいま彼女を嫌う必要がない。
というわけで俺はそういったわけだが、ルーチェは納得いっていなのか、わたわたとしながら続けた。
「で、でもキミは婚約者がいるだろう!」
「……なぜ、いまリアが関係ある?」
「ああ、そう! そういうのはボク、良くないと思うなぁ!」
ルーチェはそう言うと落ち着いたのか、「ま、まぁでも」と言ってそっぽを向いた。
「でも……ありがとう、ウィル。少し、気が晴れたよ」
「気にするな。これも貴族の義務だ」
俺が肩をすくめると、ルーチェは恥ずかしそうに口を開いた。
「……明日は、行くよ。《学園》」
「ああ、待っているぞ」
俺は思わず心の内でガッツポーズを掲げた。
ルーチェの部屋を後にしたころには、すっかりと日が暮れていた。
ガスランプの灯る廊下を歩いて、2人で部屋に戻っているとメルサが突然口を開いた。
「ご主人さまも罪な人ですね」
「何の話だ?」
「恋愛相談に乗った友達の彼女を奪うタイプだと見ました」
「本当に何の話をしてる?」
まじで理解できずに俺がそう聞き返すと、メルサは部屋の鍵を開けながら続けた。
「弱ってるところに漬け込むタイプだな、と思っただけです」
「人聞きが悪いな」
俺は扉を開けてから、灯りをつける。
「俺は本当にルーチェを励まそうと……」
つけて、部屋の中を見た瞬間に――思わず口ごもった。
「どうされました、ご主人さま?」
「……机の上を見ろ」
「机? 机って……ひっ!?」
それを異変に思ったメルサが、俺の後ろから部屋を覗く。
覗いた瞬間、俺と全く同じものを見て小さな悲鳴をあげた。
それは、便箋だった。
机の上に置かれている『入学許可証』。
「な、なんで……!」
メルサの『なぜ』に答えるものは無く、悲痛な声は部屋に吸い込まれて消えていく。
俺も声に出さないだけで、メルサの『なぜ』と全く同じ疑問が湧いていた。あるはずがない。そう、俺の部屋に『入学許可証』があるはずがないのだ。
何故ならあれは《塔》の中で、失ったのだから。
「…………」
目をつむり、意を決して部屋に足を踏み入れると机に置かれた便箋を手に取る。
そして、そこに入っている手紙を取り出した。
見たくない。見たいはずがない。
けれど、目を逸らすわけにはいかない。
俺が赤い封蝋を切って、羊皮紙を取り出した。
ぺらり、と開く。
そこには、嫌と言うほど見慣れた文言が載って――いなかった。
その代わり誰かが走り書きしたような、書き殴ったような、叫ぶような字体で、こう記されていた。
――『Why Alive?』




