第24話 ヒロイン
「ウィル。食堂でお昼ごはんにしましょう」
「ああ……」
昼の授業が終わる鐘が鳴り響く。
婚約者から誘われ、俺は彼女のあとを追いかけるように立ち上がった。
「どうしたの? 元気無いわね」
「まだ、体調が万全ではなくてな……」
「……そう。でも、魔法戦は貴族の務め。それを乗り越えたアンタは、かっこいいわよ」
そう言って、俺の手を取ると引いてくれるリア。
彼女は少し微笑んだ様子で、周りに見せつけるように食堂に向かって歩き出した。
そんな彼女に手を引かれる俺は、なるべくウィルっぽくなるよう言葉に気をつけながらリアに返事をする。
別に俺は体調が悪いわけではない。
ただ昨日見た夢……俺がウィルを殺す夢を見た後だから、リアに対して気後れしてしまうのだ。彼女はなんだかんだ言ってもウィルのことを好いていたような気がするから。
当然、あれが夢だというのは分かっているが、だとしても悪夢のあとは目覚めが悪いに決まっている。
「ウィル。ここの食堂は面白いのよ。日々、食事のメニューが変わるの。貴族に配膳させるのは気に入らないけれど、それも面白いわ!」
「配膳など、メイドにさせれば良いではないか」
「分かってないわね。これも《学園》のイベントよ」
目をキラキラさせながら、そう語るリアはまるでお祭りにでも来たようだった。
とはいえ、彼女が喜んでいる内容は現代日本で育った俺からしたら当たり前の内容過ぎて、テンションがあがるようなものではない。このゲームは当然、日本で作られ日本で売られた日本製のゲーム。
《学園》の作りを日本に合わせてあるのも当然なのだ。
けれど、それを口にだして場を白けさせないほどのデリカシーは俺だって備えている。
リアの喋りに適当な相槌を打ちつつ《学園》の廊下を曲がると、階段の上からりんごが落ちてきた。
「あら、りんご?」
喋っていたリアは足を止めて、りんごを見る。
俺は思わずりんごを注視していると、階段の上から「あぶな〜い!!」という間の抜けた声が降ってきた。
思わず見上げると、そこから降ってきたのは1人の少女。
淡い桃色の髪の毛に、桃色の瞳。ぱっと見た顔立ちだけで『可愛らしい』と思ってしまう。
それもそのはず。
だって彼女は、このゲームのヒロインなんだから。
「わわわ!! 避けて避けて避けて!!!」
階段でもつれたのだろう。
たくさんの画材道具といっしょに、慌てた表情の少女が階段の上から落ちてくる。
その瞬間、俺は脳のスイッチを切り替える。
世界が減速して、俺は彼女に向かって魔法の腕を伸ばした。
――強奪。
心の中で唱えて、彼女の勢いを奪う。
空中で少女が減速する。俺はリアの手を放して、落ちてきた少女を受け取った。
「……いたた。って、痛くない? あれ? 君、誰?」
ぱっ、と小動物のように顔を持ち上げると少女……いや、エラは不思議そうに俺の顔を覗き込んだ。覗き込んだまま目を大きく開くと、
「わ! かっこよ! 今度、ウチの部室に来ない? デッサンさせてよ!」
勢いよく、ずいっと身体を前に乗り出して、そう言った。
しかし、そんな少女を後ろから抱きかかえるとリアは俺から彼女を奪い取った。
「助けてもらったお礼も、自己紹介もなく人の婚約者を誘うなんて失礼じゃない?」
「これはまことにごめんなさい」
いたって真面目な顔して、ふざけたようにそう言って頭を下げた彼女は楽しそうに続けた。
「私はエラ! 絵を描くのが好きなんだ。あなたの名前は?」
「……ウィルムだ。ウィルと呼ばれている」
「じゃあ、私もウィルって呼ぶよ。どう、絵に興味ない?」
人との距離感がバグっているのか、エラは顔を俺に近づけて楽しそうに微笑んだ。
エラ。
創筆の絵描き:エラ。
彼女の持っている魔法は【具象化】。
描いた絵を現実にすることができる魔法であり、それが原因で他国の工作組織に誘拐され、殺される直前に――主人公によって救い出される。
そういう未来の少女だ。
「こら〜! エラ、逃げたらダメでしょう! 片付けしなさい!」
「あっ、やばい。部長だ! じゃあ、またね。ウィルとその婚約者!!」
エラはそういうと、最低限の画材道具を拾い上げると階段を下っていった。
その姿が見えなくなるのと同時に階段の上から別の少女が降りてくると、エラを追いかけ同じように階下に降っていった。
そんな騒がしい光景を見送ってから、リアは呆れたようにため息をついた。
「なんだったのかしら、今の」
「……変なやつもいたものだ」
今のは、エラと主人公が出会うためのイベントだ。
だが、この場で出会ったのはルーチェではない。俺だ。
いま俺と彼女のフラグが立ったのだ。
「ご主人さま。本当に顔色が優れないようにお見受けしますが……」
「……気にするな」
メルサにそう返したものの、俺の中で生まれた焦りのような不安のようなものは少しずつ大きくなっていた。
このゲームは、ウィルという悪役との決闘を終えたことで今ようやくチュートリアルが終わったのだ。だとすれば次に何が始まるか。決まっている。ゲーム本編だ。
しかし、ルーチェは引きこもってしまった。
ゲーム主人公が不在になってしまったのだ。
だとすると、ゲーム本編に出てくるヒロインたちと出会いのフラグは誰が回収するんだ?
その疑問は解決せず、俺たちは食堂に向かう。
向かう途中で、向こうから見知った顔がやってきた。
「あ、ウィルくん。元気になったんだね、良かった。あれ、ちょっと痩せた?」
「まぁ……少しは……」
「だよね。良いと思うな。カッコよくなってるよ」
そうして、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべるとマオ先輩。
痩せた具合で言うと「ちょっと」ではないのだが、先輩からすれば人の見た目なんてあまり気にしないのだろう。流石はマオ先輩だ。
そうやって俺が先輩の心意気に感激していると、1つのビラを手渡してきた。
そのビラを見た瞬間に、俺の背筋に冷たいものが流れる。
「あのね、いま新しい生徒会メンバーを募集しているんだ。今週末に説明会するから、よければ君たちも来てよ」
「……機会が、あれば」
「うん。ウィルくんは体調に気をつけてね」
そう言ってマオ先輩が去っていく。
去っていくのだが、これもまた1つのフラグだ。
この生徒会説明会に参加することで『太陽の巫女:マオ』へのルート分岐が発生する。
マオ先輩はこのゲームのヒロインだが、彼女のルートに分岐しない場合はたいてい……シナリオの途中で音信不通になる。基本的に末路は語られないが、あるシナリオの1つではお家騒動で従者たちの反乱にあって殺されてしまうのだ。
さっきのエラもそうだ。
メインヒロインにならない場合、工作組織に殺される。
メインヒロイン以外のヒロインが救われない。
このゲームはそういう風に作られている。
そして、いまそのルート分岐のフラグが立ってしまったのだ。
主人公ではなく、この俺に。
「ご、ご主人さま。本当に顔色が悪そうに見えますけど、大丈夫ですか……?」
「…………」
メルサには何も言えないまま、俺は去っていくマオ先輩の後ろ姿を見つめた。
見つめながら、考えた。
これ以上、俺がフラグを立てるわけにはいかない。
何が起きるか分からないからだ。
このゲームは主人公によってヒロインが救済される物語だ。ゲーム主人公ではない俺が彼女たちとフラグを立てたあと……それが、どう作用するかが分からない。
この世界に存在する運命の強制力を考えれば、主人公ではない俺と知り合ったことでそのまま彼女たちは死んでしまうのではと思ってしまう。
だとすれば……だとすれば、俺がやるべきことは決まっている。
深く息を吸い込むと、俺はマオ先輩から視線を外して前を向いた。




