第20話 強制力
ざく、と固い土を踏み抜いた音が耳に入る。
湖の上を吹き抜けた冷たい風が、青臭い草の匂いを鼻に運んでくる。
俺たちがいるのは《塔》:2F。
1Fと同じように草原と湖、湿地帯などが広がっている初心者エリアだ。歩いて抜けて、ここ3日ほど毎日使っているレベリング場所に向かっていた。
入学式からはや2週間。
本当だったら1週間前に起きているはずの決闘は――しかし、起きなかった。
当初はなにかの間違いなのかと疑った。
ここまで俺に対して『入学』を強制してきた運命の強制力が、こんなあっさりと引き下がるはずがない。
だから、何か裏がある。そう思って過ごしていたのだが。
決闘が起きる日から1日が経って、2日が経って、3日が経って。
こうして時間が過ぎ去るのと同時に、違和感というものは明確に座りの悪さへと変貌した。
――来るなら、早く来い。
そう拳を握りしめるのに、拳の振り先が分からないというのがストレスとなって少しずつ積み上げられていく。
とはいえ、そうして生まれたストレスをモンスターで晴らすのにレベリングというのは絶好の機会で。
そのストレスを解消しようとレベリングに明け暮れたおかげか、つい先ほどレベルを図ったら俺は刻位がⅣに、メルサはⅡに上がっていた。
「メルサも刻位がⅡか。いい加減、【石化】魔法は制御できるようになったのか?」
「あの、そのことなのですが……ご主人さま。少し、やってみたいことがあるので眼帯とっても良いですか」
「うん? それは良いが……抗呪薬は残り2本だぞ。また『石化』を引き起こすなど、許されんぞ」
「分かっています」
そういうものだから俺は彼女に魔法を使う許可を出した。
首につけた魔導具から、電子音のようなロック解除音が響き渡る。
魔法の使用許可によりメルサが俺を石化させたとしても、彼女は電流によって死ななくなった。
冷静に考えると、この解除って奴隷とよっぽどの信頼関係がないとやっちゃいけない気がするが……。
まぁ、メルサが俺を石化したまま逃げ出したとしても、自由の身にはなれない。
それを踏まえたら、俺に大きなデメリットは無いといえば無いのだ。
などと俺が『メルサに裏切られたらどうしよう……』と、絶対にいま考えるべきではないことを考えている横で、彼女はそっと眼帯を外した。
「……いきます」
パチリ、という音がしてメルサの眼帯が外される。
彼女の縛られていた髪が解放されて、ふわりと本来の形を取り戻す。
その状態で、メルサがいきなりこちらを振り向いた。
「うぉっ!?」
急になにするんだこいつ!!?
裏切りのことを考えていたものだから、急に振り向かれて心臓が止まるほどに驚愕。
ぴーん! と、全身が固まったが、
「……あれ? 石にならない?」
だが……石化は起きない。
しかも、いまの言葉。ウィルじゃなくて素だったし。
そんな衝撃の中、メルサは透き通るような紫色の瞳で俺を見ていた。
彼女は意外そうに俺を見て、きょとんとした表情をしばしの間浮かべていたが……急にはっとした顔になるとぴょんと跳ねてそのまま俺に向かって飛び込んできた。
「やりました……! ついにやりましたよ、ご主人さま!」
衝撃で全身が硬直していた俺はそのままメルサのタックルで草原の上に倒れ込んだ。
「うぇ……っ。急に飛び込むな……。それで、制御できるようになったのか?」
「はい。あ、いえ。できません」
どっちだよ。
「あのですね、ご主人さま。できるようになったのは、ご主人さまだけ石化させない方法です」
「なんだそれ……」
「ほら、見てくださいこれ」
メルサが俺の胸から顔を上げて周りを見ると、地面に生えている雑草がパキパキ、という音を立てて石になっていく。不気味だ。
「えぇ……?」
「でも、いくら見てもご主人さまは石にならないんです。これはご主人さまだけ石化しないように頑張って除外してるからなんですよ!」
「な、何か……テンション高くないか……」
「だって呪いが!」
と、何かを途中まで言いかけたメルサは小さく咳払いしてから、俺を見た。
「幼いころから付き合っていた呪いが、私の不幸が、ようやく制御できるようになったのですよ」
ぎゅ、と手を握りしめて小さくこぼしたメルサの言葉には、静かな熱がこもっていた。
そんな彼女とともに草原から起きつつ、俺は地面に落ちた目隠しを拾いあげる。
俺だけを石化しないというのは明確な成長だが、それで所構わず俺以外を石化されてはたまったものではないので、メルサには再びちゃんと目隠しをつけてもらう。
そして俺は成長の喜びを噛み締めているメルサに短く告げた。
「全く、俺のおかげだな」
「そうです。ご主人さまのおかげです」
てっきり、いつもの皮肉が返ってくると思っていた俺は予想していない言葉に少し放心。
そうして、メルサは何も言わない俺に向かってそのまますっと頭をさげた。
「この恩は、命に換えてもお返しいたします」
「大げさな」
「大げさなどでは……! いえ、良いです。私は蛇です。蛇は執念深いのです」
まっすぐ見つめてくるメルサは静かに俺を見ながら続けた。
「ご主人さまが理解されるまで、私は貴方に奉公いたします」
淡々と、すでに自分の中で答えを持っているかのようにメルサが告げる。
俺はその気迫に気圧されて、視線を外した。
「ま、まぁ何でも良い。今日もレベリング場所に向かうぞ」
「はい! お供いたします」
上機嫌のメルサを連れてレベリング場所に向かおうとしたら、「ちょっと待ってください」と言ってメルサに呼び止められた。
「服が乱れています。直すので、少々お待ちください」
「お前が飛び込んできたからだが」
「余計なことは言わなくていいです」
「…………」
俺が黙りこくると、それを肯定と捉えたメルサが俺の乱れた服装を整える。
上着を持って、きゅ、とバランスを取った瞬間に……俺の胸ポケットから、赤い便箋がこぼれ落ちた。嫌と言うほど見た『入学許可証』だ。
「ご主人さま。それまだ持ってたんですか……?」
「ああ、これは捨てに来たのだ。塔に」
それに怪訝そうな表情を向けるメルサ。
彼女は一度、この手紙の奇怪さを見てから腫れ物を扱うように距離を取っている。
まあ、俺も他人の手紙が捨てても破ってもいつのまにか戻っていれば気持ち悪くて触れないから気持ちは分かる。
というか、この手紙は入学したら効果を失うと思って自室のゴミ箱に破って捨てていたのだが、気がつけば机の上に完全体で戻っていた。なんで入学してまで困らせられなきゃいけないんだ。
「捨てるといっても、どうやって捨てるんですか」
「モンスターに食わせてみる」
「手紙を? モンスターに?」
メルサは俺の返答が意外だったのか、少し面食らったように首をかしげて、
「手紙を食べるってことは草食性……だと思うんですけど、草食性のモンスターって人間を襲うんですか?」
「……やってみなければ分からないだろう」
「それはそうですけども」
メルサはそう言いながら、目隠しを少しだけ上げると俺の上着についた汚れを手で払った。ああ、なるほど。俺だけ石化しないからそういう便利な使い方もできるのか。
「ご主人さまもくじけませんね」
「失いたくないからな」
「何をですか?」
「自由を」
俺がそう返すと、メルサは今度こそ意味が分からないと言った具合に黙り込んだ。
まぁ、分かるはずもない。
ウィルの身体は、すでに失った足が代わりだということを。
再び手にした足を、自由な身体を、シナリオというものに奪われてはたまらないことを。
とはいえ、そんなことを説明できるほどウィルの口調は自由ではなく、俺は身体をレベリング場所に向けた。
そうして歩き出そうとした瞬間に、草原の奥でモンスターと戦っている黒髪の少女がいた。
「あっ、ご主人さま。ルーチェ様ですよ」
「今日も1人か」
《学園》に入学したばかりの頃はクラス中に絡んでいたルーチェだったが、しばらく時間が経ったいま……彼女に絡むクラスメイトたちは皆無だった。最初のノンデリコミュニケーションが良くなかったのだと思うが、真偽のほどは分からない。
「どうします? 話しかけますか?」
「いや、良い。俺たちにはするべきことがある」
そうして彼女を無視して進もうとしたとき、再び湖の上を撫でるような強い風が吹いた。
その風は俺が軽く握っていた赤い便箋を巻き上げると、風に載せて運んでいく。
「あ、ご主人さま。手紙が」
「……手元を離れたら万々歳だ。放っておこう」
だが、その手紙は右に左にと揺られながらルーチェのところに向かっていく。
それを見ていると、手紙の存在に気がついた彼女が宙を浮かぶ手紙をキャッチした。
そして、その手紙を開いて目を通し始めた。
読んだとて、面白いものがあるわけでもないのに。
そう思って彼女の様子を見ていると、刹那――背筋に冷たいものが走った。
何故だか分からない。
だが、あの手紙はこれまでロクなことをやっていない。運命の強制力として、俺をこの《学園》に連れてきたことが唯一の成果だ。
それまで捨てても焼いても戻ってきた。
その手紙が、俺の手元から勝手に離れた?
馬鹿な。
そんなことなどありえない。
「メルサ! 立ち去るぞ、あの手紙が戻ってくるよりも前に!!」
そう言った瞬間、ざぁああああ! という風の走り抜ける音とともに、刃が引き抜かれる音が真後ろから響いた。
とっさにポーチに仕込んでいたナイフを取り出す。
瞬間、激突音。金属同士がぶつかる重たい音が響き渡ると、俺は自分の首を跳ね飛ばす直前の長剣を短剣で食い止めていた。
ギリギリという力が拮抗する音が腕から鳴るのを感じながら、俺は真正面にいる人間に尋ねた。
「……この狼藉、なにか理由があるんだろうな。ルーチェ」
その剣を持っているルーチェは、手紙を持ったまま見たことのないような殺気で俺を睨みつけてくる。
「ウィル。ボクはどうやらキミを勘違いしていたみたいだ。まさか、キミがボクの孤児院に対して襲撃を指示していたなんて」
「襲撃? ……何の話だ?」
「言い訳は必要ないよ。キミが持っていたこの手紙に、全て書かれているじゃないか」
ぺらり、とルーチェが俺に手紙を見せてくる。
その黒い瞳の中には、ぼんやりと紅い何かが浮かんでいる。
……操られている?
その謎を確かめるよりも先に、ルーチェの吐き捨てるような言葉が俺の耳朶を叩きつけた。
「決闘だッ! ウィルム・ロズマリア! キミが姉さんたちの仇なら、ボクはキミを殺さなければならないッ!!」




