第02話 抗え、運命
ウィルこと俺は、どうやら病気にかかって熱をだしていたらしい。
一時は心臓が止まるほどで、医者もつきっきりになっていたのだとか。
俺が目覚めたときに腕を触っていたのは、その医者だったみたいだ。
まぁ、そんなことはどうだって良くて。
「……ウィルになっちゃったんだよなぁ」
クローゼットに置かれた大きな姿見を見ながら、そうぼやく。
そりゃ目覚めたすぐは、悪い夢でも見ているのかと思って自分の顔をつねったり殴ったりした。けど、どれだけ自分を殴っても俺はウィルのままだったし、俺を見ていた医者からは熱のせいで発狂したと思われて普通に鎮静剤を投与された。
『ちょっとチクッとしますよ〜』と言われて、注射器で薬を打たれて気絶。
目が覚めたらもう一度同じベッドの上で、熱も引いていた。この世界、医療が適当すぎる。
しかし、それも仕方ないと言えば仕方ないのだ。
ウィルの登場する『蒼天に坐せ』は、中世と近世の間みたいな世界観なのだから。
むしろ、熱を下げるためにと瀉血とかされなくて良かったかもしれない。
薬を使えば治ると思われている時点で、医療は現代よりなんだよな。
いや、ゲームの中だから当然なのかもしれないけど。
「……ゲームの中ねぇ」
俺は姿見から視線を外すと、自分の部屋に置かれたテーブルを見た。
それ1つで庶民が10年は暮らせる机の上には、やや黄色味がかった便箋が置かれてあり便箋には赤い蝋封とウィルの名前が書かれてある。
これは、入学許可証だ。
蒼天に坐せは青春リプレイ型コズミックファンタジー学園アクションRPGという『とりあえずなんか検索に引っかかれ!』という宣伝会社のセコい魂胆が透けてくるようなジャンル名を付けられており、このジャンル名からも分かる通り学園物である。
ウィルはこの学園で人種差別と平民差別と血統主義を掲げて暴れまわり、その中で平民出身の主人公の怒りに触れる。そうして決闘に持ち込まれ、決闘の末に落ちてきた天井に下敷きにされて死ぬ。
その決闘までが、このゲームのチュートリアルなのだ。
つまり学園に入らなければ、このゲームは始まらない。
……始まらない?
「…………」
俺はテーブルの上に置いてある便箋を手に取ると、勢いに任せて破った。
力任せに引っ張った封筒は、びり、という良い音を立てて中に入っていた入学許可証ごと2つに裂ける。さらにそこからもう半分に千切って、四等分。
完全に破れたのを確認してから、俺は便箋をゴミ箱に捨てた。
これで何があっても入学することはできない……はずだ。
少なくともゲームの中では『絶対になくしてはいけないもの』として扱われてたし。
だから、これで俺の運命は変わったはずなのだ。
変わってくれないと困る。
「ウィル様。お着替えは終わりましたでしょうか?」
ちゃんと便箋が破れていることを確認していると、部屋の外からメイドに声をかけられた。
どうやらウィルはメイドに普段から着替えを手伝ってもらっているらしく、俺が1人で着替えられると言ったら「まぁ! 成長されましたね!」と褒められているのか馬鹿にされているのか分からない返答をされたのがついさっきの話である。
俺は一つ、安堵の息をほっと吐き出すと扉の前にいるメイドに向かって声を投げた。
「ああ、もう入って良いぞ」
なんか偉そうになってしまうのは、この身体のクセだ。
俺が他人と喋るときには、ウィルの喋り方になってしまう。不便すぎだろ。
扉を開けて入ってきたメイドは、俺の姿を見るなり凍りついたような笑顔を顔に貼り付けて、
「ウィル様。今日も似合っておりますよ」
びっくりするくらいの棒読みで、そう言ってきた。
絶対に思ってないだろ。俺だって自分で鏡見てりゃ分かるよ。
ウィルは……まぁ、痩せたらイケメンなんだろうとは思う。思うが、残念ながら痩せてはいないし可愛げのある太り方でもない。むしろ醜いタイプだ。
そりゃあメイドとしても世辞の言葉に困るだろう。
だが、メイドも仕事。こうやってお世辞の1つでも言わなきゃいけないんだろう。
「朝ご飯の用意ができております。大広間へどうぞ」
「……ああ」
短く返して、俺は自分の部屋を後にした。
ウィルの父上に、破いた入学許可証のことをどう言い訳しようか……などと、そんなことを考えながら。
結論から言うと、その言い訳は無駄になった。
朝食の場に父親がいなかったからだ。どうにも領地の視察ということで、朝も早くから屋敷を後にしていたらしい。なので俺は一人さみしく大広間で食事を取り終えた。
取り終えたら、完全に暇になった。
元の世界だったら勉強とか、ゲームとか、することは色々あったのだが、こっちの世界には何もない。本でも読もうかと思ったが、ウィルの部屋には本もないのだ。こいつ勉強してんのかな。
何も無いと本当にすることもないので、せっかく戻った足の感動を取り戻すべく走り込みでもしようかと着替えに自分の部屋の扉を開けたら……。
「……ッ!?」
テーブルの上に、便箋があった。
「ば、馬鹿な……!」
思わずテーブルに駆け寄る。テーブルから拾い上げる。
そうして、封蝋を千切るように外すと、中に入っている手紙を取り出した。
「……『ウィル・ロズマリアに告げる。貴殿は学園に合格されたし』」
一行目。馬鹿でも最初に目を通す位置にかかれていたのは、入学許可証の文言。
二行目。そこには学園への入学が許可されたことが校長の名義で記されている。
さらにその下には、入学式の日付と場所まで書かれていた。
「ありえん……ッ!」
思わず、喉の奥から声が漏れる。
ありえない。そんなことがあるわけがない。
これはつい先ほどビリビリに破ってゴミ箱に捨てたばかりだ。
飛ぶようにしてゴミ箱を拾い上げると、その中を見る。
……なにもない。
朝食を食べる前に捨てたはずの、便箋のゴミが無い。
ただ、空っぽのゴミ箱があるだけだ。
「……ッ!」
俺は慌てて部屋から飛び出すと、叫んだ。
「誰か! 誰かいないか!!」
「ど、どうされましたか? ウィル様」
廊下に飛び出して、そう叫んだらちょうど拭き掃除をしていたメイドが怪訝そうな顔をして、俺の元にやってきた。
「火を用意しろ! 今すぐにだ!」
「火、ですか? 厨房に行けばすぐ用意できると思いますが……」
「よし、厨房だな!」
そう返すと、俺は厨房に向かって走り出した。
足があることに感謝と幸せを噛みしめながら走りだしたが、
「……はぁ、はぁ……っ!」
すぐに息が上がってしまう。
全身が重くて身体が思ったように動かない。間違いなく運動不足の身体だ。
普段から運動しろや!!
と、今更言ってもしょうがないことを内心毒づきながら厨房に飛び込むと、デカい鉄鍋を掃除しているコックがいた。
「う、ウィル様!? どうして厨房なんかに……」
「……こ、これを」
ぜぇぜぇと全身で息しながら、俺は便箋をコックに突き出す。
「これを、燃やせ!」
突き出すなり、コックは驚いた顔を浮かべて、
「い、良いんですかい? これは坊っちゃんが《学園》に入学するために必要なんじゃ……」
「良いから! 燃やせ!!」
ウィルの荒々しい口調でそう言ったのだが、コックはびくりと震えるとその震えを何倍にもしたような勢いで首を横に振った。
「で、できねぇですよ! そんなことしたら旦那さまに殺されちまう!」
「なら自分で燃やす。火はどこだ」
そう聞くと、コックは震える指で炭の燻るカマドをさした。
俺はそれを見るなり、ためらいなく便箋をカマドの中に放り投げた。
ぱちり、と炭の爆ぜる音が響くと便箋に火がつく。その火はゆっくりと便箋に広がっていく。
「だ、旦那さまにはちゃんと坊っちゃんから説明してくださいね!?」
「……当たり前だ」
そうして燃え始めた便箋は、そのまま数秒立たずに火に呑まれるようにして燃えくずになった。
「も、もったいねぇ……」
「…………」
コックが小さく漏らす。
俺はそれに何かを返す元気もなく、静かに背を向けて自分の部屋に戻った。
せっかく動く足を取り戻したばかりなのだ。
元の自分じゃないとはいえ、動くのだ。身体が。
死にたくなんて、ない。
だから、なんとしてでも学園への入学を阻止しなければならない。
そう決意して、自室の扉を開いたら――。
「……嘘、だろ」
テーブルの上には、なんてこともないように便箋が置かれていた。
ふっ、と足の力が抜けてその場に崩れ込んでしまいそうになる。それを握っていたドアノブに体重をかけることでなんとか食い止めてから、俺は便箋を拾い上げた。
そして、封蝋を破った。
「…………『ウィル・ロズマリアに告げる。貴殿は学園に合格されたし』」
先ほどと同じ文面。全く同じ文章。
これは、燃やした。俺の眼の前で、火がついて炭にもならない燃えくずになるのを見た。
ありえないことが起きている。
「俺に、死ねというのか……」
便箋を抱えたまま固まる。
こうも連続して起きれば、嫌でも思い知らされる。
俺は、学園にいかなければならない。
「……どうする」
ぐ、と奥歯を噛みしめる。
もしかしたら、道はあるのかもしれない。
学園に行っても主人公に目を付けられないように。
決闘をしないよう慎ましく生きれば良いかもしれない。
だが、本当にそれで俺は死ないのだろうか。
破っても、燃やしても、こうして元に戻っている手紙を見るととてもじゃないが、そうは思えない。
お前は死ぬ運命にあるのだと、誰かに言われているような気がするのだ。
だからといって、無抵抗で死を受け入れるなんて絶対にしない。
せっかく動く足を取り戻した。
ゲームの世界とはいえ、元気な身体になることができたのだ。
……奪われたくない。
この足を。太っているとはいえ、この身体を。
「――舐めるなよ」
手に持っていた入学許可証をぐしゃり、と握りしめて小さく吐き出す。
ゲームのシナリオ通りに死ねだと?
馬鹿にしやがって。
学園に通うという運命が覆せないのなら、他のところを変えてやる。
例えば、決闘に敗北するという運命を。
ゲーム主人公は強い。
もちろん入学時のウィルに比べたらという比較はあるものの、主人公なんだから強いに決まっている。
一方のウィルはチュートリアルで戦う敵なだけあって、めちゃくちゃ弱い。
この弱い敵を、どうにかしてゲーム主人公に勝てるまでに成長させなければいけない。
出来るだろうか?
否、やるしかないのだ。
「……やってやる。どんな手を使っても、生き残ってやる」
そう決意して、俺は再び手に持っていた入学許可証を破り捨てた。