第17話 塔《バベル》
「その……良いのですか、ご主人さま」
「何がだ?」
魔導車の中で、暇つぶしの本――面白くない――を読んでいたらメルサから、そう尋ねられた。
メルサはそれに何も説明せず、天井を見る。
正確にいえば、そこに乗っかっているルーチェを。
「放っておけ。そのうち、どうにかなる」
俺はそう返して、本に視線を戻した。
メルサは「ご主人さまがそう言うなら……」となんとも煮えきらないことを言いながら、視線を窓に向けた。
向けてから「わぁ……」と小さく声を漏らした。
「ご主人さま! 見えてきましたよ」
「……ふむ」
そう言われたものだから、俺も視線を窓の外に向ける。
窓から最初に見えたのは、空高くそびえる巨大な塔であった。
そうして目を凝らすと、巨大な塔を囲うようにして無数の建物が円形に散らばっている。だが、塔の大きさに比べれば……まるで塵のように小さい。
そんな巨大な塔を見れば、流石にここがゲームの中なのだと思ってしまう。
あの塔こそ、アクション部分のほとんどを担うエリアなのだから。
万象の塔バベル。
あの塔には、そんな名前がついている。この世界と貴族を生み出した神々が、余った力で生み出した余興の産物。塔の中にはお宝――魔導具や、神具――が眠っており、それらを守るようにモンスターがはびこっている。
簡単に言ってしまうと、あの塔はダンジョンなのだ。
そして『蒼天に坐せ』はそのダンジョン攻略を仲間とともに行っていくというのが、主なゲームの流れである。というか、そもそも『蒼天に坐せ』というタイトルからも分かる通り、このゲームは空に向かっていくゲームである。
俺たちが向かう《学園》は、あの塔にあるのだ。
「あれが、塔。初めて見ました……」
「デカいだろう」
俺がそう尋ねると、メルサは大きく頷いた。
「そういえば、ご主人さま。《学園》は塔の中にあるというお話ですけど、手に入る魔導具は持ち帰っても良いのでしょうか?」
「持ち帰っても良い。探索で手に入れたものは、全て手に入れた生徒のものだ」
「なんと……! では、奴隷である私も持ち帰って良いのでしょうか」
「良い。それが《学園》の校則だ」
正確に言うと、奴隷が手に入れたものは主人のものになるのだが……。
別にメルサから何でもかんでも巻き上げるつもりもないので、俺はそう返した。
ウィルの口調で引っかからないあたり従者に何かを下賜するというのは、三下悪党ですら持っている貴族のポリシーなのかもしれない。
とはいえ、ラスボスだったこいつが何を欲しがるのかと思って、ふとメルサに尋ねてみた。
「何が欲しいのだ」
「惚れ薬です」
「本気で言ってるのか?」
「冗談ですよ」
マジで言ってるのかと思って聞いたら、メルサにはくすくすと笑われてしまった。
掴みどころのないやつだ。ゲーム中だともう少し分かりやすかったと思うんだが。
とはいえ、メルサとの会話で……少し活路が見えた。
入学許可証を持っていれば、設定上はすでに学園の生徒。
つまり、塔への探索許可が降りている。
だとすると、2階層まで進めれば……使えるぞ。レベリングの場所が。
入学式を早められたときは「やられた」と思ったが、《学園》に呼ばれたということは、つまり塔の探索ができるということだ。
なら、やるしかないだろう。
これまでマフィアを襲撃することで得ていた魔法の経験を、モンスターで代替できる。というか、そもそも最初はモンスターで経験を稼ごうとしていたわけで、本来やりたいことができるようになった……と言うべきだ。
それに人を石にするより、モンスターを石にする方が心が傷まないし。
頭の中で記憶の限りの探索マップを開いていると、ゆっくりと魔導車が減速しはじめた。
「坊っちゃん。そろそろ着きますよ」
「もう塔が、あんなに近いよ。楽しみだなぁ」
運転手の言葉に対して、降ってきたのは頭上からの返事。
俺はそれを無視して再び窓から外を覗くと、塔が首を動かしても見えないほど一面に迫ってきていた。
……このシーンもゲームの映像にあったな。
そのまま塔から視線を落とすと、巨大な都市壁が目に入ってきた。
あれは魔族との戦争に備えて作られた石の壁であり、塔からモンスターが溢れ出したときに檻ともなる。実際、シナリオによってはそういうルートもあったりする。
その都市壁の1つ、開いた門のところには俺が乗っている魔導車と同じような車が列をなしていた。検問だ。
「並んでますね……」
「おかしなやつを都市の中に入れては治安が保てないからな。例えば車の上に乗っているようなやつだ」
俺がそういうと、ぬっと窓からルーチェが車内を覗いてきた。
「そんなに言うなら車の中に入れてくれても良いんだよ?」
「降りて歩けばよいだろう。すぐそこの距離だ」
「これ楽なんだけどな〜」
ルーチェはそう言うだけ言って、天井から飛び降りた。
「でも、ここまで連れて来てくれてありがと! 助かったよ」
「勝手に乗っただけだろう……」
「だとしても感謝は大切だよ」
彼女はそう言って、手をひらひらと振るうと渋滞を起こしている魔導車の列の隣を歩いて検問所まで向かい、足を踏み入れた検問所で衛視に何かを言われ、反論し、そしてそのまま引っ張って検問所の中に連れて行かれた。
「ご、ご主人さま。ルーチェさまが逮捕されましたけど……」
「放っておけ。庶民なのに《学園》の入学許可証を持っていたから強奪したのだと思われたのだろう」
「……あぁ、なるほど」
検問所を抜けた魔導者は、王都を抜けて塔の前に停車する。
俺は手早く胸に入れていた入学許可証を、魔導車のクッションの隙間に押し込んだ。
「…………」
「なんだ、メルサ。何か言いたげだな」
「いえ……。その、意味があるのかなと……」
「何事も挑戦だ」
「はぁ……」
メルサは便箋の厄介さを知っているので『本当にそれで大丈夫なの……?』といいたげな顔をして、俺が手紙を押し込んだクッションを見た。とはいえ、目が見えるわけではないから俺の推測になるが。
「では、坊っちゃん。私は、ここで」
「うむ。ここまで事故なく、よく運転してくれた」
「滅相もありません……。では、次は夏季休暇の時にお迎えにあがります」
車から降りると、ロズマリア家に仕える従者はぺこり、と分かるように一例をして、車を走らせた。
それが交差点を曲がるまで見送ると荷物を詰めたトランクケースを持ち上げて、メルサを向く。
「では、いくか。メルサ」
「お供いたします」
その返事を聞きながら、俺が振り返ると振り返った先には巨大な神殿がそびえ立っていた。
まず、デカい。
空を貫くほど高くそびえ立っている塔のせいで、大きさが掴めなくなってしまうが、とにかく巨大だ。綺麗に整備された石畳から、首が痛くなるほどに見上げても天辺が見えない。
それもそのはず。
この建物こそが、《学園》なのだから。
公式設定によると全長300m。大理石を削りだしたかのように汚れ1つない白亜の城はゴシック調で、サクラダファミリアみたいに見える。とはいっても、俺はサクラダファミリアを見たことないから感覚なのだが。
ゲームの設定で言うと塔1階から4階までを縦にぶち抜いてあり、それぞれ2階が1年生。3階が2年生。4階を3年生が使うという形になっている。1階は探索者ギルドとして使われているのだが、ゲームだと治癒ポーションや初期装備を売っている売店のお世話になる場所だ。
「……大きいですね」
「神が塔を作った時に、合わせて作った神殿だ。いまは、学園と塔の探索者たちのギルドとして使われているがな」
「詳しいですね。もしかして、ご主人さまって意外と博識なんですか?」
「この程度、貴族の常識だ」
「流石です」
この辺は設定に書いてあったことをそのまま説明しているだけなのだが、メルサは感心したように頷いてくれた。
この調子だと、ぺらぺらと余計な設定まで喋ってしまう厄介オタクになりかねないので、俺は一度咳払いをして話を流すと、神殿の中に足を踏み入れた。
中は、それなりの人間で賑わっていた。
皆、ゲームで見覚えのある初期装備に身を包んで、神殿の奥へと進んでいく。《学園》に関係のない一般人たちだろう。彼らは塔を攻略するためにやってきているわけであって《学園》には無関係の人たちだ。
果たして、俺たちが向かうべき《学園》の入口はどこだろう……と思って視線をキョロキョロとしていると、後ろから声をかけられた。
「あれ? もしかして、新入生の子かな?」
ぱ、と後ろを振り向くと、そこに太陽なみたいな笑顔を浮かべている女性がいた。
燃えるような赤い髪に、透き通るような赤い瞳。にっこり笑っている女性の顔を見ていると、ほわほわとしていて、こちらの毒気が抜かれるような感覚に陥る。
敵意、という感情をそのまま削ぎ落として、ゴミ箱に捨ててしまわれたような感覚。
思わず、まいってしまう。
だが、それ以上に思わず彼女から視線を外せない理由が――。
「はじめまして、かな。私はマオ。《学園》の生徒会長です」
胸に手をあて、にっこり微笑むマオと名乗った少女は。
――このゲームの、ヒロインだ。
太陽の巫女:マオ。
このゲームには珍しい先輩キャラで、なおかつ彼女の魔法【太陽の恩寵】はゲーム終盤にも大活躍する上昇効果魔法。そのため彼女はメインとなるシナリオ関係なくパーティーから外されない大人気キャラなのだ。
とはいえ、俺の目が離せないのはそれが理由ではない。
何を隠そう太陽の巫女:マオは俺がこのゲームで一番好きなキャラクターなのだ。
そんなキャラクターが、俺の眼の前で、俺に話しかけてくれているという状態が受け入れられず、思わず彼女を注視してしまう。
ウィルの喋り方で返して、嫌われないだろうか。
いや、嫌われる。だとすれば、何も言わないのが一番か?
だとしても、話しかけれて何も言わないのは流石に失礼だ。
俺は一体どうすれば……?
と、脳が目の前の状況に混乱を起こした瞬間、思いっきり脇腹をつねられた。
「ちょっと、いつまで見てるんですか」
「いッ! おい、急に何をするんだ。メルサ」
「ご主人さまが、マオ様をじろじろと見るから失礼だと思っただけです」
ふん、と言ってそっぽを向くメルサ。
急にどうしたんだ……と、思っているとマオ先輩は楽しげに笑うと、
「仲が良いのね。従者と仲が良いことは大切ですよ。塔では、仲間との絆が命綱だから」
と、ゲームのセリフを言ってくれた。
「ところで、あなたの名前は?」
「ウィルム・ロズマリアだ。ウィルと呼んでくれ」
「では、ウィルくんと」
そう言ってにっこり笑うマオ先輩。可愛い〜。
良いな、俺もマオ先輩に君付けで呼ばれたいんだけど。
「ウィルくん。《学園》はこちらが入口なの」
「…………」
そう言ってマオ先輩が歩き出す。
俺は余計なことを言って少しでもマオ先輩の好感度を落とさないようにしつつ、彼女の後を追いかける。
「入学許可証を持ってるかな? あれに入口が書いてあるんだけどね」
そう言って微笑むマオ先輩だが――入学許可証は、ない。
さっき魔導車のクッションに押し込んだのだから。
運転手が忘れ物に気がつくのも、ロズマリア邸に着いてからだろう。
そんなわかりやすい位置には隠していないのだから。
だから、俺は《学園》に入ることができない。
「許可証は……いま、持っていない」
「えっ、持ってない?」
正直に答えると、マオ先輩が足を止めて俺の方を振り向いた。
「そんな……。入学許可証が無いと《学園》に入れないの」
「……ご主人さまは物忘れをよくする方なのです。どうにかなりませんか?」
「こればっかりは校則だから……私じゃどうにもできないの」
メルサの補助もありつつ、俺に入学許可証がないことを説明したのだが――マオ先輩は、おろおろとその場で困り果てたように立ち尽くしてしまった。
さて、どうでる。
運命の強制力は。
「一度、お家に帰って探す……? ううん。入学式に間に合わなかったら、その時点で入学者としては認められないの。わ、私。先生にかけあってみるね!」
マオ先輩は少し不安げに、それでも俺を安心させようと笑顔を浮かべてそう顔をあげた瞬間――。
「あれ、ウィルくん。これがそうじゃない?」
彼女はいたって真面目な顔をして、俺の胸ポケットを指さした。
言われた瞬間、左の胸ポケットが重たくなる。
今まで何もなかったのに明らかに異物が入っている感覚が、生まれる。
「……ご主人、さま。それ」
メルサが俺に顔を向けて、見なかったことにしようと視線をそらした。
俺だって見たくない。
見たくないが、見なければならない。
ゆっくりと視線を落とすと……俺の胸ポケットには、先ほどクッションに詰めたばかりの赤い便箋が入っていた。




