第16話 運命
「よろしくね、学友くん」
黒髪の少女が微笑む。
ぞっとするほど美しい微笑み方に、思わず意識が持っていかれる。
目を外したいのに、ルーチェと名乗った主人公に見惚れてしまうのだ。
だが、それと同時に……背中に冷や汗が流れる。
俺はこのシーンを知っている。
これは間違いなくゲームのオープニングシーンだ。
主人公は《学園》を目指して森を歩いていると、野盗に襲われているヒロインと出会い、それを助けて魔導車に乗せてもらう。
そのオープニングムービーはなんと全ヒロイン分用意してあり、ゲームを一回クリアするとクリアしたルートのメインヒロインになるという小ネタまであるのだ。オープニングなんて飛ばすからYouTubeのShort動画で知った。
ということは、明らかにゲーム本編が始まっているのだが……俺には、1つどうしても拭えない違和感があった。
いや、違和感という言葉では正しくない。
明確な不和、と言っても良い。
それは、眼の前にいるルーチェが女であることだ。
何しろ『蒼天に坐せ』は男主人公固定である。
キャラクターを自分好みに変更できるクリエイト機能なんてない。出来るのは、せいぜい名前を決めることくらいだ。
というか『蒼天に坐せ』は各ヒロインに応じたシナリオが用意してあるゲームなんだから、主人公が固定じゃないとシナリオが作れない。だから、女であるはずはない。開発の裏設定でも初期案は女だったなんて話は聞いたこともない。
「そんなにボクの顔を見て、どうかした? ……あ、もしかしてなんかついてる!?」
自分で言って、自分で驚くと、彼女はわたわたと顔をボロ布で拭き始めた。
このシーンは野盗を襲ったゲーム主人公が野盗の血で顔が濡れたことで、拭うシーンだろうか? いや、今はそんなことはどうだって良い。
「…………1つ、教えろ」
「《学園》の行き方かい? だったら、この道をまっすぐ行けば……」
すっとぼけたような返答をするルーチェに対して、俺は聞かなければならないことをまっすぐ聞いた。
「……お前、女か?」
「女だよ? 見て分かるでしょ!?」
俺の問いかけに、ルーチェは少し慌てたように聞いてきた。
「も、もしかして見てわかんない? そんなに男っぽい!?」
「……ふん。庶民の顔の違いなどつくものか」
「それは失礼だよ!」
どん、と地団駄を踏んだルーチェは、分かりやすく怒りをアピール。
感情表現がかなりやかましいやつだが、原作でもこんなもんである。
こういう『裏表のない』ところがヒロインたちに好かれるのだ。どういう理屈?
いや、いまは主人公がなんでモテるかなんてどうだって良い。
こいつが主人公なら、俺はこいつに殺されるということになる。
それも、あと一週間も経たないうちに。
だったら俺が取るべき方法はただ1つ。
なるべく距離を取って関わらないことだ。
俺はすぐさまそう結論を出すと、運転手に向かって呼びかけた。
「おい、車を出せ」
「よ、良いのですか?」
「何がだ」
俺が問いかけた運転手は、ひどく言いづらそうな顔を浮かべて続けた。
「い、いえ。その、同じ学友の方ですし。女性を1人、森の中に置いておくなど……。座席にも余裕があることですから、乗っていただいても良いのでは」
「え、良いの!?」
運転手の提案に、目を輝かせるルーチェ。
良いわけあるか。俺はお前に殺されるんだぞ。
俺は周りから見て分かるほど明らかにため息をつくと、運転手を見据えた。
「お前。誰の許可を得て、貴族の車に平民を乗せようなどと?」
「そ、それは……」
「それとも、お前はこの俺に意見が出来るほど偉くなったつもりか?」
「……め、滅相もありません」
運転手は頭を深く下げて謝罪すると、運転席に戻る。
「え、乗せてくれないの? ケチだなぁ」
「車も用意できないのに《学園》に受かる恥さらしには、徒歩がお似合いだろう」
「……それ、言い過ぎじゃない?」
やや、カチンとした表情でこちらを睨んでくるルーチェ。
俺も言い過ぎだと思うんだけど、口が勝手に動くんだよな。
「よし、出せ」
俺の指示で運転手が魔導車のアクセルを踏む。
日本で乗っていた自動車ほどではないが、それなりの加速を持って魔導車が前進。
ルーチェの姿がどんどん後ろに去っていく。
その姿が見えなくなるまで見守っていると、森の中に立っていたルーチェが笑ったのが見えた。
そして、笑った彼女は地面を蹴った。
ドッ! という音が俺の耳に届くのと、ルーチェが凄まじい速度で魔導車に迫ってくるのは同時。
流石にそんなめちゃくちゃをしてくるとは思っていなかったので俺は走ってやってくるルーチェに一瞬だけ意識を取られ、すぐに気を取りなおすと運転手に向かって叫んだ。
「おい! もっと速く走れないのか!」
「これ以上出したら危ないですよ!」
森の中を通すように作られた街道は石によって舗装はされているものの、その整備はほとんどされていないのか道はガタガタ。しかも薄暗いという関係もあって、かなり運転環境として悪い。
だから、これ以上の速度を出せないというのも理解できるために反論できず、内心で舌打ちをしていると、ぐんぐん加速するルーチェが馬車に並んだ。
「そんなに言うなら、勝手に乗っちゃうもんね」
「は? おい、勝手なことを……」
ルーチェは俺のツッコミを聞きもせずに、地面を蹴って跳躍。そのまま近場にあった木の幹をさらに蹴ると魔導者の上に着地した。どん、という着地音といっしょにルーチェの楽しそうな声が車内に降ってくる。
「よし、出発進行!」
「勝手に乗るな! 降りろっ!」
「ふふ。庶民を馬鹿にするからだよ」
魔導車の屋根に向かってクレームを入れるが、返ってきたのは意趣返し。
その理屈は理解できるが普通は車の上に乗らない。と、思ったが原作にも似たようなシーンがあったことを思い出したので沈黙。
「ハンドルを振れ! 上に乗った不届き者を振り落とせ!」
俺がそう叫ぶと、運転手と一緒にルーチェが口を開いた。
「う、ウィル様。こんな森の中でそんなことしたら木に車体が当たっちゃいますよ!」
「そんなに言うなら自分で落とせば良いのに。貴族のお坊ちゃんは使用人に文句を言うばかりで自分で動かないの?」
正論と煽りを同時に受けて、俺の感情はぐちゃぐちゃ。
だったら直接俺が落としてやろうとして窓を空けて顔を出そうとしたら、それはそれでメルサに止められた。
「ち、ちょっと! 何やってるんですか! 頭吹き飛びますよ!?」
「離せメルサ。貴族を馬鹿にしたのだぞ、絶対に落とす!」
ウィルの口を経て、翻訳された言葉にメルサが首をかしげた。
「そんなに振り落としたいなら魔法を使えば良いのでは?」
「俺の魔法は視界に収めないと使えん……!」
「え、魔眼でもないのに?」
悪意なくメルサに聞き返されて、俺は喉の奥で言葉がつっかえた。
ラスボスとチュートリアルボスの性能を比べないでくれるかなぁ?
「あと、別にいま振り落とさなくても森から出たらで良いのでは?」
「平地で落とされたら、何度でも乗り直すよー?」
どんな耳をしているのか屋根の上からルーチェの反論が降ってきた。
俺がそれに屋根ドンで返したら、呆れた顔を浮かべたメルサから、
「元はと言えばご主人さまが煽るのが悪いんじゃないですか。こうなったら、諦めましょう」
そういうメルサに言い返そうとして……ふと、入学許可証のことが思い起こされた。
捨てても、燃やしても、破っても、戻ってきた入学許可証のことを。
あれはウィルが《学園》に入るために起きたことだというのなら。
ルーチェが魔導車に乗るというのもまた、シナリオに沿ったことだ。
「…………」
どっかりと椅子に座り直して、静かに目をつむる。
そう考えるとルーチェを振り落とす気にもなれず、その代わりに胸ポケットから入学許可証を取り出して窓から投げ捨てた。一瞬で視界の端に消えていった赤い便箋は、しかし真っ白い手とともに戻ってきた。
「落としものだよ、貴族くん」
拾い上げたルーチェは、それだけ言って窓の中に入学許可証を投げ入れてきた。
どうやら、そう簡単に運命を変えさせてはくれないらしい。




