第13話 実験
眼の前に、人の形をした模型がある。上半身だけのもの。
それが大きな庭に、3つ並べられている。
昔、まだ兄たちがこの家にいた時に使われていた修練場と、対人訓練を想定した模型だ。メイド長に聞いたら「まだ使える」とのことだったので倉庫から引っ張り出してきたわけである。
準備運動を終えた俺の手には、安物のナイフ。
あえて切れ味の悪いものを持っているのには理由があって、
「……しッ」
短く息を吐き出して、前に踏み込む。
ナイフの切っ先が煌めく。それで狙うのは、三箇所。
ドドドッ! と、短く重なった音が響いて人形模型から、破片が飛び散った。
その音に驚いた鳥たちがバサバサと音を立てて屋敷の空を飛んでいく。
衝撃でぶるぶると震える人形模型を見れば、顔の中心が凹んでおり、首に刺突痕。
そして、胸には俺が先ほどまで握っていたナイフがある。
やったことは握りしめた拳で顔の中心と鼻を殴り飛ばし、のけぞったところを返したナイフで首を貫いてから手早く引き抜き、胸の中心に突き刺すという一連の動き。
こうして並べてみると、1つ1つの動作は単純だ。
その速度が瞬きするよりも短い間だった、ということを除けばだが。
「……すさまじいな」
自分でやっておきながら、見とれてしまうような手の動きだ。
思わず、そんなことを口に出してしまうほどには。
日本で育った俺は、ナイフなんて家庭科の授業でしか握ったことはない。原作の設定でもウィルは魔法に頼り切りで、運動不足のデブだ。刃物を握ったところで、ここまで殺意の高い攻撃が繰り出せない。
いや。そもそも安物の、たいして研いでもない刃物で木造の人型模型に刃先を深々と刺すことなどできるわけがない。
こんなことが出来る理由はただ1つ。
マフィアたちを襲撃した際に奪った記憶によるものだ。
このゲームは銃が一般に流通していないので、マフィアたちが脅しや殺しの道具として使うのはナイフになる。そして血なまぐさいことに、昨日のマフィア掃討により数人の記憶を【強奪】したところで、ナイフの動きを身体が覚えてしまったのだ。
彼らが培った人を殺すための技量。
それを奪った結果、俺でも同じことができるようになったというわけだ。
それを確かめるためにあえて安物を握って朝も朝からこうして身体を動かしているわけだが、どうにもナイフ裁きは身体に記憶として刻みつけられていた。
てことは、刃物だけじゃなくて奪った相手次第では格闘技の技術なんかも手にすることができるんだろうか?
思っていたよりも【強奪】の対象範囲は広いのかもしれない。
ゲームでは、こちらのアイテムやHPやMPを奪ってくるだけのスキルだったが、想像以上のポテンシャルを感じる。
これを発揮するためにも今日も魔法の練習が欠かせないな……と、そんなことを考えながら模型の揺れを止める。そうして胸に突き刺したナイフを引き抜いていると、後ろからパチパチと気の抜けた拍手が聞こえてきた。
「巧みなナイフ捌きでしたよ、ご主人さま」
後ろを振り向くまでもない。
俺は引き抜いた刃先が刃こぼれしていないか確認しながら、応えた。
「見ていたのか、メルサ。どうだ、惚れたか?」
「いえ、意外と動ける方なんだなと」
「これくらいは貴族の嗜みだ」
俺が肩をすくめると、彼女は軽口に乗ってきた。
「やはり13歳とか14歳くらいの時に練習されたのですか?」
「何が言いたい?」
「いえ。ご主人さまにも可愛らしい頃があったのかなと」
「今も可愛い見た目をしているだろう」
「…………私の負けです」
どうやら謎の勝負に勝ったらしい。
俺が刃こぼれ1つしていないナイフを鞘に収めると、メルサがタオルを手渡してきた。
「どうぞ、これで汗でも」
「メイドみたいなことをするようになったじゃないか」
「私は従者ですから」
そう言ってメルサが少しだけ口角を釣り上げた。
「身の回りの世話など良いから、石化の魔法を練習して欲しいのだが……」
「だから来たのですよ」
「……?」
理解できていない俺が首を傾げると、メルサが続けた。
「私は魔法を使いたくないのですが、魔法が使えるようにならないとご主人さまが困るじゃないですか」
「困るが」
「だから、同じように練習しようかなと」
「……ふむ?」
「何かご不満が?」
にっこり笑って問いかけてくるメルサだったが、俺としては違和感が一つ。
「お前、そんなに聞き分けが良かったか?」
昨日のメルサはなんかトゲトゲしてて、もっと厳しい感じだったが……。
そう俺が彼女の顔を見ながら、訝しんでいたからだろう。メルサはふっと俺の顔を覗いてきた。
「聞き分けの悪い奴隷の方がお好きですか?」
「そういうわけではないが……」
「では、良いではありませんか」
メルサはそう言って微笑むと、一歩下がって俺から距離を取った。
そうして、こちらに見せつけるように視線を持ち上げた。
俺も同じように視線を上げると、そこには屋根の上で羽を休めている鳥たちがいて、
「1匹だけ、石化させます」
そういって、彼女は眼帯を外した。
外した瞬間に屋根の上にいた鳥たちが五匹まとめて石になると、ころころと屋根の上を転がって地面に落ちてきた。
どっ、という音を立てて鳥たちが次々と地面の上に降ってくる。
俺はそれを見ながらメルサに問いかけた。
「1匹だけ?」
「……練習ですから」
少しだけ恥ずかしそうにメルサが答える。
ゲーム的に言うのであれば、メルサの魔法レベルは1。
効果は底抜けだがMPの消費量と、味方にもデメリットがあるようなピーキーな魔法……と、考えるべきだろう。レベルを上げなければ使えないタイプの魔法だ。
『蒼天に坐せ』のラスボスとして出てきたこいつは、どうやってそのあたりのレベルアップをしてたんだろう。敵キャラのレベリング方法なんて本編だと語られてないから、その辺が分からないんだよな……。
と、頭を悩ませながら視線を上げると、俺はふとあることに気がついた。
「メルサ、まだ目は開いているか」
「はい、まだ開いてますよ。見せましょうか?」
「見せなくて良い。俺が石になる」
軽口を返しながら、俺は屋根を見る。
屋根と、その先にある雲を。
……石化していない。
昨日の夜、メルサが魔眼を解放したときには建物のガラスや雲、果ては風や空気までも石化させていたのに、いまはそれらが石になっていないのだ。
今回と前回で何が違う?
時間、場所、あとは……。
「……目的意識?」
ふと、思う。
昨日のメルサに伝えていたのは『魔法の感覚をつかめ』というざっくりした指標。
そのせいでメルサは石化のコントロールを身につけよう……くらいの漠然とした感覚だった可能性は、ある。
だが、今日は明確に『鳥を1匹石化させる』という目的意識を持っていた。
だから鳥だけが石化したのではないか。
いや、五匹も石化しているから違う可能性もあるのだが、これは勢いあまってのことだと思えば納得できる。
「……試してみる価値はあるな」
「何の話ですか?」
ぱちり、と目隠しの固定具を頭の後ろで止めながらメルサが尋ねてくるものだから、俺は素早く返した。
「メルサ。実験だ! 部屋に戻るぞ!!」




