第12話 呪い
「……さま! ご主人さま!」
聞こえてきたのは、メルサの叫び声だった。
ゆっくりと瞑っていた目を開くと、そこには目隠しをつけたメルサの姿がある。彼女の髪の毛が俺の腕と足に絡みついており、身体を支えていた。
俺は視線を降ろしてメルサの右手を見る。
そこには、ポーションの空ビンがあった。
「ちゃんと、使えたか。解呪薬は……」
それを見て、俺は仕込んでいた用意がちゃんと発動したことに一安心。深く息を吐き出した。さらに視線を落として自分の身体を見てみると、下半身の周囲にあった石が、ぱらぱらという音を立てて身体から剥がれていった。
後ろを振り向くと、そこには影のまま石になってしまった暗殺者の姿がある。
これでひとまずの脅威は去った。
だから、ようやく屋敷に帰れると思って石化の破片が剥がれるのを待っていると、メルサがずいっと顔を真正面に寄せてから叫んだ。
「ば……馬鹿なんですか! ご主人様は!!」
鼻と鼻が触れ合いそうな距離で、メルサはさらに続ける。
「石化が解けなかったらどうしたつもりなんですか! 死んでたんですよ!?」
「……死ぬ、ようなモノではないだろう。それに、お前に渡したその薬があったからな」
俺はそう言って、メルサの持っていた空ビンを指さした。
正確には、その空ビンの中に入っていたであろう薬を。
メルサに手渡したのは解呪薬。
どこの商店でも売っている治癒ポーションと耐呪薬を調合することで作られる状態異常の回復アイテムだ。本来、耐呪薬が手に入る用になるのはゲーム中盤なのだが、念の為メイドに聞いてみたら「屋敷にありますよ?」とのことだったので、さくっと手に入った。
流石は貴族の家である。
ゲーム主人公のように平民出身じゃないから、ゲーム序盤の苦労をスキップだ。
……まぁ、解呪薬は3本しか作れなかったのだが。
とはいえ、これはしょうがないことだろう。本来であれば、このタイミングで手に入らないアイテムなのだから。
余談だが、このゲームのアイテム調合率は百パーセント。
治癒ポーションと耐呪薬を同じ分量だけ混ぜたら調合が成功した。この辺は、ゲームでも現実でも変わらないのかもしれない。
その解呪薬をメルサにもたせていたからこそ、俺は余裕を持ってマフィアの掃討作戦に乗り出せたわけだ。この秘策がなければ俺の身体はメルサの言う通り、石化したままだったかもしれないが。
という俺の準備ありきの経験値稼ぎだったわけだがメルサはそれでもご立腹。
空ビンを指さしながら続けた。
「で、でも! この薬が効かなかったかもしれないですか!」
「解呪薬は万能だ。あらゆる状態異常を癒やす。お前の石化も、他の状態異常も、関係なくな」
メルサの持っている空ビンを前にして、俺はそう告げる。
『蒼天に坐せ』は選んだヒロインによってシナリオと登場する敵が変化するが、中には解呪薬が無いと、ロクに遊べないシナリオだってあった。何を隠そうメルサが登場する魔族の王ルートがそうだ。
そのシナリオの中で、解呪薬は必須アイテムだった。
毒やら麻痺やら石化になったらとにかくすぐ仲間にぶっかけるのだ。
「で、ですけど……」
俺の説明があまり納得できなかったのか、メルサは歯切れ悪く返事をして少しだけ後ろに下がった。しゅる、という音がして俺の身体を支えていた彼女の銀髪が身体からほどけていく。
石化が完全に溶けた両足がちゃんと動くかどうかを確認するためにその場で少しだけ足踏みをしながら、俺はメルサに返した。
「メルサ、俺はお前の過去を知らない。お前が奴隷になったあと、どのような流れを辿ったのかもしらない。だから、お前が自分の能力をどうしてそこまで恐れているのかも、嫌っているのかもしらない」
「…………それは」
「確かに石化は恐れるものだ。おそらく、お前は過去のやらかしで魔法がトラウマにでもなっているのだろう」
「…………」
メルサは何も言わない。
ゲームでは「妹のために」あらゆるものを犠牲にしたのが彼女だ。
そんなの彼女の過去に何があったのか、詳細はゲームで語られない。
だから彼女がなぜ自分の能力を恐れるのか、自らを不幸を呼ぶ存在だと断言しているかなんて、実際にプレイしていた俺にも分からないのだ。
だが、彼女の能力と対応策は知っている。
知っているなら、それを活かすのがゲーマーというものだ。
だから俺はメルサの手に持っていた空ビンをすっと手に取ると、見えない彼女でも感じられるように顔の前に持っていった。持っていってから、告げた。
「恐れすぎるな。正しい対処法を知っていれば、お前の能力は十全に使えるのだ」
ウィルの言葉はあいも変わらず呆れてしまうような大言だが、それでも根底にある思いは同じだ。
メルサの能力を使い、ゲーム主人公との決闘を乗り越える。
生き残るためには、あらゆる方法を使う必要がある。
そもそも俺が死ぬことが確定している決闘に巻き込まれないのが一番なのだが……入学式の案内が、捨てても燃やしても戻っていたことを考えると甘い想定はしていられない。
いま考えているプランは俺か、メルサの能力によって決闘が始まった瞬間に主人公を石化させる。それが、一番早いしケガもしないだろう。とはいえ、シナリオの強制力がどこまで作用するかは分からない。
主人公を石化させたとしても、入学案内書のように謎の力で石化が解除されるかもしれない。そもそも主人公だから石化しないって可能性は……ちょっと考えたくないな。
とはいえ、どんな状況が来たとしても対応できるようにメルサには魔法に慣れ、魔法を掴み、魔法を得意になってもらわないといけない。
俺は空ビンをしまってから、メルサを見た。
「来るべき時のために、お前は魔法を掴め。その必要がある」
「……それは、ご主人さまが生き残るためにですか」
「そうだ」
「ご主人さまは……」
メルサはわずかに言い淀み、少しだけ迷うような素振りを見せてから……意を決したように口を開いた。
「私を、化け物だと思いますか」
いたって、真剣に。
彼女はりんとした表情で、見えないはずなのに俺の両目を覗き込むようにして。
静かに、尋ねてきた。
だから、俺の返答は決まっていて。
「くだらんことを考えるな。お前は化け物でもなんでもない。俺の、ものだ。」
そこまで言って俺はメルサの返答を待たずに、踵を返した。
「帰るぞ」
「……はい」
その返答の中に、笑みが僅かに滲んでいたのは……きっと、勘違いではないのだろう。




