第11話 活路
乾いた空気が頬を撫でていく。
パラパラとした砂が顔に当たるものだから、思わず顔をしかめた。
先ほどまでの雨は全て石になり、空気すらも石になって風とともに運ばれてくる。
それを俺は手で払って、大通りに視線を戻した。
すっかり日の沈んだ貧民街の大路には、およそ30人分の石像が無造作に並んでいる。
「メルサ、飲め」
「……ありがとう、ございます」
売店で買った水瓶を地面に手を着いているメルサに手渡す。
彼女がそれをゆっくりと飲むのを横目で見ながら、俺は石の地獄を改めて見た。
「…………」
眼の前には石造りの家にハマっていた木のドアや窓ガラスすら石になっており、そのはるか先には石になった雲がボロボロと崩れて硬い雨を降らしている。
そうして、ぽっかりと空いた曇天の隙間からは元から石だったからか、範囲外だったからか、とにもかくにも石化を逃れた月が浮かんでいた。
……範囲、広くね?
俺は頬が引きつるのをなんとかこらえながら、メルサの効果範囲を考えて若干引いた。
いまメルサがやったことは、ただ石化の魔眼を解放しただけだ。
ただ、その範囲は視界の中に入っていたすべて。
このまま放っておいたら際限なく石にされそうだったから目隠しを戻したが、もしハメるのが遅れたと思うと、一体どこまで石になったんだろうな?
ゲームの中だと行動不能になるだけの状態異常だったが、こうして実際に目にすると脅威的な状態異常だと思う。
「……少し、落ち着きました」
ふぅ、と深く息を吐き出しながらメルサが立ち上がった。
「なにか掴んだか?」
「……いえ」
「そうか」
メルサがふるふると首を横に振るう。
正直、ここまでずば抜けた威力を持っているのであれば、なにかを掴ませる必要もなくゲーム主人公との決闘の時に隠れて魔眼を使わせるだけで勝てるような気もしてくるが……油断は慢心に繋がる。
世の中、普通に生きているだけで両足を失うこともあるのだ。
あらかじめ見えているアクシデントに準備をしないなど、ありえない。
俺は深く息を吐くと、メルサに告げた。
「良いか、メルサ。俺がお前に求めることは石化の対象選択だ」
「……対象選択?」
「俺と敵が視界に入っている時に、敵だけを石化させろ」
「…………それができたら、苦労しませんけど」
「だから苦労をしろと言っている」
そういえばラスボスとしてのメルサは、対象選択して石化なんてことはせずパーティーメンバー全体を石にしてきたな。もしかしたら、対象選択がもともとできないのかもしれない。
ゲームにヒロインとして出てくるメルサの妹の魔法も全体石化だしな。
……まぁ、でもウィルの【強奪】魔法が記憶まで奪えるなんて知らなかったし、メルサの石化魔法も何度も使わせれば、そのうち石化する相手を選べるようにできるかもしれない。
あまりにも希望的観測だが、それが出来るようになってもらわないと困る。
困るし、メルサに求めるだけではなく俺もメルサの魔法を奪えるようにならないといけない。
それ以外に、生き残る道がないのだから。
「それにしても、ド派手にやったな」
「……すみません」
「良い。これくらいの方が景気づく」
この街に巣食うマフィアは捕まえたとしても際限なく出てくるという話だったが、ここまで圧をかければ少しは静かになるだろうか。魔法の経験を重ねたい身としては、出てきてもらわないと困ってしまう。
とはいえ、ロズマリア家の騎士団も掃討作戦を実行しないほどには手間な相手だと思われている組織が『黒い影』。
今日奪ったばかりの記憶だが、構成員はこの街だけで600人を超えているらしいし、明日には同じようにマフィアの構成員たちが犯人探しに駆け出すはずだ。
そこを今日と同じように叩けば、ある程度の魔法の練習になるだろう。
そんなことを考えていると、じくり、と頭の中に暗い記憶がよみがえった。
俺の記憶ではない。今日奪ったマフィアたちの血なまぐさい人殺しの記憶だ。
「…………」
記憶は、技術だ。
ナイフを振るう感覚が、人を殴る感覚が、敵を殺す感覚が、じわりじわりと頭の後ろの方から熱になると、背骨を通って身体に降りていく感覚がある。
その熱に身を任せていると、足の動き方すら忘れていた俺がどんな敵とも戦えるような気がしてくる。
……屋敷に帰ったら、身体を動かすか。
どこまであの男たちから殺しの技術を奪えたのか。
それを確かめるためにも、
「メルサ。今日はこのあたりにして帰ろう」
「……はい。恥ずかしながら、私ももう限界です」
「だろうな」
メルサは見てわかるほどに疲れ切っていた。
魔法を使ったことで精神力――ゲーム的に言えばMPを消費したのだろう。端的にいえば、身体は動くのだがメンタルが萎えて何もやる気が出ない状態が近いか。
「立てるか? 肩でも貸そうか」
「……ご主人さまは」
俺がそう言って手を差し出すと、メルサはその手を取ること無く俺の顔を見上げた。
「怖いと思わないのですか」
「怖い?」
「これだけの石化をした魔族が目の前にいることを、恐ろしいと思わないのですか」
そして、何を言うのかと思ったら……そんなことを聞いてきた。
答えの分かりきっている内容だとは思うが、それでもその質問はきっと彼女の精神に関わる大事なものなのだろう。
だから、じぃっと俺の顔を見てくる彼女の手を無理やり取って立ち上がらせながら、半笑いで問いに答えた。
「恐怖など、貴族である俺には持ち得ない感情だ。そんなものは魔法を知らぬ平民に任せおけば良い」
「……私は本気で尋ねているのですが」
「俺も本気で言っているぞ」
メルサの問いかけに、落ち着いて返す。
ウィルのビッグマウスもここまでくれば逆に安心感すら覚えるな。
てか、俺はいつになったらちゃんと喋れるようになるんだろう。
考えても仕方のないことで悩んでも時間を無駄にするだけなので、俺は石化したマフィアたちをそのままにメルサに告げた。
「帰るぞ。そろそろ帰らないと、父上が捜索隊を出す」
「……はい」
そうして踵を返そうとした瞬間だった。
メルサの足元から伸びていた影が、蠢いたのは。
「……ッ!」
それはほぼ、反射だった。
とっさに俺はメルサの身体を突き飛ばした瞬間に、影が刃になって俺の左腕を貫いた。腕に走る激痛とともに、俺は身体を動かそうとするが……動かない。
「ご主人さまッ!?」
まるで、その場に固定されたように。
「影縫いか……っ!」
モンスターが使ってくる状態異常だ。
麻痺や気絶のように、身体を動かせなくなるというものだが……現実で食らうとこんな感じなのかよ!
「……チッ。外したか」
慌ててこちらに駆け寄ってくるメルサの影から、声が聞こえる。
低い男の声が。
俺はその声を知っている。
この組織のナンバー3のマヌエル・ガルシア。
影に溶け込み、影を操る魔導具を持つ暗殺者だ。
「……ッ!」
まずい、と思った。
今いるマフィアは完全に制圧したと思って油断していた。
油断、慢心、相手の侮り。
そういったものをしないと誓っていたはずなのに、知らず知らずのうちに心が緩んでいた。
この状況の打破を考えている横で、どぷ、という影の中を泳ぐ音が耳に入ってきた。
マヌエルがメルサの影から、俺の影に移動するのが見えた。
メルサがそれに気がついて足を止めるのが見えた。
そうして、俺の影が刃になって心臓に飛び込んでくるのが見えた。
どくん、と心臓が強く鳴る。
――どうする。
鳴った途端に、周囲の動きがゆっくりになっていく。
時間が無限に伸びていくような錯覚に陥る。
いや、これは錯覚ではない。
俺は足を失った日、車が飛び込んでくるのを見た時に同じ世界を見たことがある。
死に瀕した人間が見る、スローの世界。
わずかに生まれた命の活路。
「……信じているぞ、メルサ」
俺は魔法の腕をメルサに向かって伸ばして、彼女の目隠しを奪った。
刹那、全ての速度が元に戻る。
メルサの魔眼が俺たちと、暗殺者を捉える。
俺はその結果を確かめるよりも先に、意識を失った。




