第10話 【魔眼】
それは、寂れた商店の中で起こった。
店員に絡んでいる男たち3人のHPを【強奪】魔法によって奪ったときだった。
……頭の中に知らない記憶が溢れたのは。
暗い部屋で、刃物を持っていた。
眼の前には目を隠されたまま椅子に縛り付けられている男がいる。
顔は見えないが、ひどく怯えているのが伝わってくる。
『生きたまま皮を剥げ』
後ろにいるボスからそう命令される。
手が勝手に動く。まるで最初からナイフの扱い方を知っているように。
震える男の手首に、そっとナイフが入る。
研ぎ澄まされた切っ先は、抵抗を感じさせることなく肉に食い込む。
部屋の中に、悲鳴が響く。
その悲鳴をかき消すようにボスが笑う。
『良い。良いぞ』
穏やかな声でボスが褒めてくれる。
その期待に応えたくて、刃物は男の首まで走らせた。そうして、動物の毛皮でも剥ぐように人の皮を剥ごうとした瞬間――腕を、引かれた。
「ご主人さま。寝てます?」
「……いいや。起きてる」
目を開くと、先ほどまでの悲鳴も、ボスも消えて、誰もいない薄暗い路地があった。
ふと気がつけば雨が降っている。
路地の裏で、ちょうど屋根の影に隠れているが、雨が降るなら傘を持ってくれば良かった。
そんなことを思いながら周囲を見て、俺の中で当然の疑問が湧いて出た。
「どこだ、ここ」
「どこって……ご主人さまが、あの店員から拠点の場所を聞き出したんじゃないですか。ほら、あれ。あそこが拠点ですよ」
「そう、だったか……」
メルサが指さした場所には、石造りの家がある。
言われれば、そんなことがあったような気もしてくる。
隣を見るとメルサが不思議そうな顔をして、俺の顔を覗き込んでいた。
それに俺は「気にするな」と言って手をひらひらと振るうと、再び目を瞑った。
――いまの、おそらく【強奪】によるものだろう。
俺が彼らから奪ったのはHP。つまりは、命の源だったわけだが……その際に、マフィアたちの記憶まで奪ってしまったのだ。
そのおかげかどうかは知らないが、俺の手にはつい今しがたまで握っていたナイフの握り具合と、皮を裂く感覚が強く残っている。それだけじゃない。ナイフを扱うために練習した幼い頃の記憶。誰もいない部屋の中で果物や小動物を使って練習した記憶もある。
ナイフなんて日本にいたときも、こっちにやってきたからも握ったことは無いが……今なら、どうにも上手く扱えそうな気がしている。
俺がさっきまでの感覚を忘れないように、手の平を握ったり開いたりしているとメルサが深くため息をついて口を開いた。
「ご主人さまの身体、動かすだけでもお疲れでしょう。今日は帰って休んでも良いのでは?」
「今日のうちに潰しておかねば明日には逃げられるかもしれんぞ」
「マフィアが? そんなに逃げ足早いですかね」
「知らん」
俺はそう返して、さっきの店で買った瓶に入った水を一口だけ飲んだ。
飲んでから、視線を前に戻す。
路地から大通りを挟んだ位置に、先ほどメルサが指さした二階建ての石造りの建物がある。ところどころ塗料が剥げており、貧民街の中に溶け込んでいた。マフィアの拠点です、と言われても信じられるような外観ではない。
無いのだが、
「おい、見ろ。メルサ! 本当に次々人が集まってくるぞ。2……いや30人はいるか……」
「見えないですけど、ちゃんと感じてますよ」
その建物の前に、明らかに普通ではない外見をした男たちが集まってきた。小雨とはいえ、誰一人として傘をさしていない。ただ、その片手には何かしらの武器を持っているのが見える。
まさに、ここが雑貨屋の店員から教えてもらったマフィアの拠点なのだ。
「わざわざ路地裏に潜んで待ったかいがあったぞ……」
「疑問なんですけど、ご主人さまって貴族としてのプライドとかないんですか?」
「そんなもので命が助かれば、わざわざマフィア相手でレベリング……魔法の練習をする必要はないだろう」
「……それは、そうですが」
レベリング……と言って、それだと伝わらないだろうと慌てて言い直す。
ウィルの口調になるからと気を抜いていたら、思わずぽろっと漏らしてしまった。
しかし、メルサはそんな俺の言い直しを指摘せず、じぃっとメンバーが集まるマフィアの拠点に視線を向けている。俺も同じように彼らを見ていると、2階から1人の男が姿を現した。
禿頭の頭に、大きな狼のタトゥーが入った大男。
それの顔を見た瞬間に、思わず名前を口に出していた。
「……ディアゴ」
「お知り合いですか?」
「いや……」
首を横に振って、メルサの問いを否定する。
【強奪】した誰かの記憶だろう。名前を呟いたら、彼に関する記憶が湯水のように頭の中に溢れ出した。
ディアゴ “エル・ラボ” トーレス。
この街にいるマフィアの幹部。ボスに繋がっている男だ。
「……面倒だな」
思わず、舌打ちをする。
幹部層は俺たち貴族を傷つけられる魔導具を持っている。
それを今も持っているか、路地裏から確認しているとディアゴが口を開いた。
「お前ら、もう聞いてるんだろ。俺たちのシマぁ荒らしてるやつがいる。こいつを放っておくと、ウチのメンツに関わる」
雨の中でよく通る声だな、と思った。
あわせて、頭の悪そうな喋り方だな、とも。
ディアゴが持っている魔導具は【追跡者】。
彼が触れた人間を追いかける狼を生み出す魔導具で、対象の心臓を食い破るまで消えることはない。ゲームだと中盤辺りで手に入る武器だ。
ゲームだとランダムで即死を付与する魔導具だったが……発動確率が低すぎて、使ってるやつはほとんどいなかった。それがこと現実となると途端に相手にしたくない武器になる。死にたくないし。
「まぁ、対抗策はあるが……」
誰に聞かせるわけもなく、一人でそう言うと俺はメルサに向き直った。
向き直ると、後ろの方からディアゴの声が頭上を通り抜けていく。
「暴れてるやつだけじゃねぇ。そいつの家族、友人、恋人。つながりのあるやつを全員連れてこい。生まれてきたことを泣いて詫びて、ケツの穴でしか飯を食えなくしてやれ」
おう、という頷きが唸り声となって大通りに響き渡る。
重なった男たちの頷きは、まるで体育祭の前の円陣にも似ていた。
体育祭と違うのは……この騒ぎに参加するのが俺ではないということだ。
ここに来たのは言うまでもなく魔法の経験値を積むため。
経験値を積むのは俺だけではない。当然、メルサにも魔法を掴んでもらう必要がある。
「良いか、メルサ。今からお前の目隠しを外す」
「……はい」
小さく、まるでトラウマを押さえつけるようにメルサが頷く。
ラスボスである彼女の過去に何があったのか、ゲームではエピソードとして語られることは無い。そのため、詳しいことは分からないが……壮絶な何かがあったのだろうということは分かる。
だから彼女の目隠しを取ることに少しばかりの抵抗がある。
あるが……俺は、失いたくないのだ。
その気持を隠すように、俺はメルサに告げた。
「今より、自由に魔法を扱う許しを与える」
「はい」
自分勝手と言われても構わない。
せっかく手にした自分の足を、健康な身体を、失いたくない。
ぴ、という小さな音を立てて、メルサの首輪が反応する。
これで俺が石化しても、彼女は死なない。
「だから、何かを……掴め」
そうして、俺は彼女の白髪に手をかざして、ぱちり、と目隠しを外した。
外した瞬間に、時間が止まった。
「……ッ!」
そう感じるほどの静寂が、一瞬で訪れた。
呼吸する。
眼の前にいる男たちが、硬直している。ただ硬直しているのではない。
全員が、石になっている。石化しているのは、人だけではない。
彼らの服が、建物のガラスが、ディアゴの持っていた魔導具が。
すべてが石になっている。
「……流石だ」
「…………」
メルサは俺の問いかけに何も言わない。静かに真正面を見ている。
彼女の石化範囲に巻き込まないように後ろに回っているから、彼女の表情を掴むことはできないが……おそらく、明るい顔はしていないだろう。
「……ご主人さま。目隠しを」
「いや、このままだ。このまま魔法を掴めないか?」
「………っ! 駄目、です! 魔法が!!」
焦るようなメルサの声。
その声色を不思議に思うとともに、視界に入っていた雨粒全てが石になった。
「ご主人さま!」
ドドドッ!!!!
雨の速度を保ったまま、石になった雨粒が銃弾のように建物と石化した人間を削っていく。
俺が目隠しを拾い上げ、メルサに戻そうとした瞬間に雲が石化した。
瞬間、俺はメルサに覆いかぶさるようにして彼女の目を覆い隠した。
遅れて、ゆっくりと曇天の一部が地面に向かって崩落する。
まるで、そこだけナイフで切り取ったかのように雲がぽっかりと開く。
そうして空の隙間から月が、驚くほどに綺麗な月が見えた。
「…………言った、じゃないですか」
その月光を見れなくなったメルサは身を屈めて、苦しそうに言葉を吐き出す。
「後悔をせぬように……と」
はぁ、はぁ、と肩で息を繰り返している彼女の肩に手を置いて俺は眼の前の惨状を見た。
「後悔? 馬鹿な」
見てから、笑った。
「俺はいま、お前を買ってよかったと本気で思っているぞ」
■あとがき
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