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主食はビーフウエリントン

鬼気迫る文学 人間失格他

 太宰治「人間失格」、芥川龍之介「河童」、モーパッサン「オルラ」の三作品は、私の中ではどういうわけか三大「鬼気迫る中編小説」とでも呼ぶべき特別な作品です。


 これは論理的な理由というより、直観的、感覚的な理由です。


 ドストエフスキー「地下生活者の手記」もこれに加えて四大「鬼気迫る中編小説」にしてもいいのですが、ドストエフスキーの作品群は哲学的思索が他の作家にくらべて別格なので、上記三作品とは区別しています。しかしながら、よく考えると「地下生活者の手記」だけ上記作品と区別する必然性は、自分でもうまく言語化して説明できません。


 数年前、芥川の「歯車」を再読してみると、「河童」よりもこちらの方が鬼気迫る作品ではないかと思い直してみました。

 「歯車」は「河童」の後に書かれた作品で、これは芥川が自殺する直前に書かれた作品であることを意味します。


 「人間失格」も「河童」も近い将来の作者の自殺を暗示させます。だからこそ”鬼気迫る”雰囲気を醸し出しているのではないでしょうか。


 これに対して「オルラ」は少し違います。モーパッサンは「オルラ」執筆後、発狂したのではないかと私は推測します。正式に精神病院に入院したのはかなり後ですが、「オルラ」は発狂していく作者の”鬼気迫る”精神状態が描写されています。


 モーパッサンの死因は自殺ではありませんが、死ぬ一年前に自殺未遂をしています。


 「オルラ」は子供のころに感じる「お化けへの恐怖」そのものをテーマにしたホラー小説と言えます。普通のホラー小説とちがうのは「恐怖」自体をテーマにした哲学的な含蓄があり、だからこそ「人間失格」や「河童」同様の”鬼気迫る”迫力が感じられるのです。


 オルラは南米に伝わる?透明人間の化け物。主人公は自分に常にオルラがまとわりついているという疑念を抱き、次第に狂っていくというストーリー。


 ところで「人間失格」は敬体(ですます調)で書かれた小説であり、敬体であることに作品の特徴があるという説をネットで見つけました。


 実は「河童」も敬体で書かれています。厳密に言えば、冒頭の枠小説だけ常体(である調)で、主人公の一人語りで書かれた部分が敬体です。


 枠小説と言えば、短編小説の名手であるモーパッサンのお家芸といったところ。冒頭と最後の枠小説だけが三人称小説で、枠小説に登場する人物が一人称で語るストーリーが、枠に挟まれた小説の本体になっています。


 フランス文学のモーパッサンの原文には敬体も常体もありませんが、新潮文庫の翻訳では枠小説の枠部分が常体の三人称小説で、枠の中身が敬体の一人称小説というパターンが多いです。


 しかしながら「オルラ」は常体で書かれた一人称小説です。


 ちなみにロシア文学の「地下生活者の手記」も新潮文庫の翻訳では常体で書かれた一人称小説だったと思います。


 何が言いたいかというと、敬体と”鬼気迫る”文学の接点をさぐろうとしたのですが、相関が見つかりません。あえて言えば、一人称小説の一人語りが敬体と親和性がよく、迎合的な口調で読者に語り手の悩みを訴えるのに適しているといった感じでしょうか。


 いずれにせよ、「人間失格」と「河童」は作家の自殺を暗示しているから鬼気迫るものがあります。

 近代日本文学の作家は自殺が多いですが、その典型が太宰と芥川でしょう。


 少し脱線しますが私は安部公房の「砂の女」を読んだとき、安部公房は人生に悩んだら「自殺する」作家でなく、「家出する」作家ではないかという感想を持ちました。


 一方、「地下生活者の手記」は自殺とは正反対のベクトルを感じる小説です。


 人生は生きるに値しないほど絶望に満ちていることを説く一方で、人生における神の加護や奇跡も説いているように思われます。


 人生は自殺すべきか自殺すべきでないか。作者ドストエフスキーは完全に神を勝たせていないものの、神と悪魔の対決で物語を終わらせている感じがします。これは長編「カラマーゾフの兄弟」にも通じるものがあります。


 話は飛びますが、SF 作家フィリップ・K・ディックの長編小説「ヴァリス」をご存じでしょうか。

 私的には「ヴァリス」は「人間失格」の新感覚スタイリッシュSFホラーバージョンだと勝手に考えています。


 長編小説を中編小説と同列で論じること自身、反則という気もしますが、「ヴァリス」もまた「地下生活者の手記」同様、神と悪魔の対決で物語を終わらせています。つまり人生は自殺すべきかどうかの最終結論は出さないものの、人生は生きるべきだという信念をもって主人公が絶望に満ちた人生を果敢に戦って生き抜いていくという決意で物語が終わるのです。


 作者が自殺を選択した「人間失格」と「河童」に対し、作者が自殺を思いとどまって苦しい人生を生き抜く「地下生活者の手記」と「ヴァリス」。


 ここに日本人とキリスト教的哲学をベースに持つ欧米人の精神的違いを論じることも可能かもしれません。


 ところで「オルラ」はどちらに分類すべきでしょう。


 いずれせよ、懊悩に満ちた人生は生きるべきか自殺すべきかをテーマにした小説だからこそ、”鬼気迫る”緊迫感があり、これこそが文学の醍醐味、あるいは哲学の醍醐味なのかもしれません。



(了)


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