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急流

作者: 雉白書屋

 嫌厭し、今まで遠ざけてきたが意外と悪くないものだな。なんならどうしてこれまで、と思うくらいに……。あぁ、もっと早く気づいてたらもしかしたら……


『――くん! いやー今までご苦労さん!』

『お疲れさまでしたぁ』

『退職おめでとうございます!』


『いやー、ははは。ありがとう……』


『私のほうが年上なんだがねぇ、先を越されちゃったねぇ、いやははははは!

接待上手の君がいなくなると寂しくなるよぉ、ははははは!』

『係長から教わったこと、絶対に忘れません!』


『はははは、どうも……いやー、やっぱ仕事は足でね! 取ってくるもんで君らもね、パソコンばっかりじゃあダメダメだよ! ははははは! と、君はね、足が綺麗だから、うん、接待とかね向いてるかもねぇ、なんてね、ははははは!』


 おめでとうと花束を渡されもしたが、早期退職。つまりは体の良いクビであることは彼自身わかっている。

 無理に笑ったあの場を思い出すと今でも胃が痛む。

 仕事人間という自負はあった。しかし、機械音痴。嫌なこと、気が向かないことは避ける性分。パソコンは若い連中に任せ、足で仕事を取るというやり方で、これまでどうにかやってきた。いや、ついにやれなくなったか。パワハラだのセクハラにうるさいこの時代についていけてないとは彼自身感じていた。

 そして、ついてきてもらえないことにも。妻とは別居中。家にひとり。趣味もなく、これから何をすべきかと悩んでいると、不憫に思ったのか孫からお古のパソコンを譲ってもらった。

 その扱い方を教わると中々に使いこなした。食品などの買い物もネット注文、宅配任せで家から一歩も出ない日が続いていた。


 ……だが、パソコンのキーボードを壊れてしまってはそうもいかなくなった。古いやつだから慣れたらネットで新しいのを買ってね、と孫が言っていたが、うーむ。ネット注文はまあできなくもないが、直接買いに行ったほうが早い。

 そう思った彼は身支度を整え、久しぶりに家から出た。

 しかし、なぜだろうか。どうも町の雰囲気が変わったように感じた。それは歩を進める度に強く、そして周囲の人間の視線が原因だと気づく。


 さっきからチラチラと……なんなんだ一体。ヒソヒソと話しては俺を笑っているのか? いや、怪訝な顔を……。

 彼はしていたイヤホンを外し、耳をそばだてた。


 ――嘘でしょ

 ――冗談じゃなく本当に?

 ――せん


 小さな声だ。よくはわからない。だが、自分を見て話していることは明らかだ。沸々と湧いた不安感は次第に彼の歩調を速める。

 駅についた彼は息を整え、切符売り場に向かう。が……


「……ない。切符が売ってない、そんな馬鹿な」


 隣町の大型家電量販店が確実かと思い、駅まで来たのだがどこを見ても切符を買えそうになかった。

 彼は困惑気味に駅員に訊ねる。

 しかし、返って来た答えはなかった。無視されたのではない。絶句。信じられないといった顔で口をあんぐり開けたのだ。そしてそれは周囲の駅利用客も同様の反応であった。


 ――ねえ、見てよあの人

 ――プですって

 ――ップ? 信じられない。

 ――それにあれ……

 ――うせん? マジ?



 刺すようなその視線。彼はまるでこの町から出ることが罪なのだと言われているような気分がし、そそくさとその場から立ち去った。

 何かがおかしい。変だ。彼はポケットから携帯電話を取り出して知り合いに相談、安心感を得ようとした。

 だが、その行動もまた、周囲の注意を引いてしまった。


 ――ねえ、あれ。

 ――なんで?

 ――ありえない

 ――冗談でしょ。

 ――ケー?


 彼はまた逃げるようにその場から離れた。

 こうなっては仕方がない。ああ、そうだ、あの小さな電気屋でいい。

 地域に根差した店だ。電球を買ったら自宅に取り付けてくれるサービスを行っている、あの店なら……。


 ひいひい、はあはあ、と、彼は走る。体力の限界。足を止め、下を向いて息を切らすと喉の渇きを覚え、そばにあった自販機に歩み寄った。

 ポケットから小銭を取り出し、手の中で鳴らす。すると、それが呼び鈴のようにまた周囲の人間の視線が彼に集まった。


 ――ねえ、今の

 ――見てよあれ

 ――うわぁ


 またしても居づらくなった彼は飲み物を諦め、また歩き始めた。

 ようやく目的の電気屋に辿り着いた時には汗みどろであった。

 息も絶え絶えで彼は店員に訊ねる。


「パソコンのキーボードですか? ああ、ありますよ」


 直前、あの駅員の顔を思い出し不安に駆られていたため、その言葉に彼はより一層ほっとした。しかし……


「今、珍しいんですがねぇ、ありますよ。はい、こちらになりますね。

バーチャルキーボードと言ってね、このボタン一つでレーザーで机の上に投影されるんですよ。

それにタッチしてもらえるとね、センサーで――」


「あ、あの、そういうのじゃなくて普通のを」


「普通の? と言いますと?」


「ええ、パソコンに繋いでやるやつです。普通の」


「それってまさか有線? え?」


「ああ、それですね、で、どれですか?」


「は? え? あんた、ああ、そうか懐古趣味かぁ、驚かせないでくださいよぉ。焦ったなぁ」


「懐古? いやいや別に普通でしょうに」


「ん? は? ん? ははは、アンタまさかチップがないとは言わないよねぇ?」


「チップ? サービス料金取るんですか? まあ、べつにいいですが」


「おいおいおいおい! ちょ、出てって、出てってくれよ!

おい、誰か、誰かぁー! 違反者だ、違反者がいるぞ!」


 チップ。店員が言ったそれは腕に埋め込んだマイクロチップのことである。腕を擦れば脳に埋め込んだチップと連動し、目の前にパッと画面が映し出されインターネット等にアクセス、操作することができる。

 それだけでなく、電話、音楽、さらに腕を改札機にかざせばスムーズに通ることができ、その他にも確定申告、住民票の申請、個人証明など便利機能が充実。チップは国民になくてはならないもの。政府によって所有が義務付けられ、様々な店で使えるお得なポイントを進呈という餌に、急速に普及したのだ。

 

 イヤホンは使わない。

 切符は使わない。

 ガラケーは使わない。

 現金は使わない。


 旧時代の遺物。時代遅れ。かつて人々が感じていた笑われているのではないかという強迫観念は、当人の中だけに押し留まらず、やがて周りに対する同調圧力に変化。脅迫。そして暴力に発展した。今ではそんな者はいない。もしいたとすれば……。


 ――殺せ有線イヤホンを使うあいつ。

 ――殺せガラケーを使うあいつ。

 ――殺せ切符を使うあいつ。

 ――殺せ現金使うあいつ。

 ――殺せチップを埋めていないあいつを。 

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