予選試合
東都たちはコロシアムの控室に向かっていた。
控室はコロシアムの地下にあり、墓場のように陰鬱だ。
石造りの壁は重苦しい影を落とし、濁った空気がそれを更に不快なものにする。一切窓のない空間で、油皿に点った薄暗い灯りがぼんやりと揺れていた。
「さぁ、入れ」
門番が扉を開き、東都たち一行を剣闘士たちの控室に入れる。
控室は、石造りの部屋にいくつもベンチが置かれているだけの簡素な部屋だった。
部屋には20人前後の囚人が押し込められ、戦いの始まる時を待っていた。
「ここがコロシアムの控室……あんま楽しい場所じゃ無さそうですね」
「えぇ。コロシアムの舞台裏は、表の華やかさとは無縁の場所ですね」
「それにしたって……うっ」
控室の床をみた東都は、息をつまらせた。
部屋の出口にほど近い場所の床で、砂と血が混じり合っている。
辺りには正体のわからない酸っぱい奇妙な臭いと、鉄臭さが漂っていた。
時折、この世界はこうした現実をまざまざと見せつけてくる。
ラノベやアニメでは覆い隠されてしまう残酷さ。
それがこの場では、さも当然のようにむき出しにされていた。
(この世界、普段おちゃらけてるくせに、急に正気に返るよな)
東都たちは控室に入り、手近なベンチに腰を降ろした。
しかし、葬式の参加者になったようで、居心地はあまり良くない。
「ムゥン。まるで死人のようだな」
部屋を見回し、囚人たちを視界にいれたハシムは、彼らをそう評した。
(そりゃまぁ……元気いっぱいにはなれないよね)
囚人たちは戦いに備えて静かに身を固めている。
この中の何人が生き残るのか。
彼らの表情には緊張が張り詰めており、時折咳こむ声だけが聞こえる。
誰もが自分の運命を知っている。
沈黙し、誰もが頷いている控室の様子は、祈りを捧げているようだ。
「イキのいい新入りがいるようだな」
「――!!」
控室の隅で刃を研ぎ澄ませていた剣士が、東都たちに語りかけてきた。
その剣士は他の囚人たちと様子が違う。
鉄の胸当てをつけ、大きな角飾りがついた兜をかぶっている。
よく油がひかれ、濡れたように光る鋼の長剣。
そして傷だらけの腕と足。まさに熟練の戦士といった風体だ。
(……いったい何者だ? 囚人には見えないが)
「貴方は?」
「ジョバンニ。剣闘士ランクはウォリアーだ。」
「ウォリアー……?」
(えぇと、たしか5段階中のちょうど真ん中のランクだったな。なんで予選の控室にそんな高いランクの剣闘士がいるんだ?)
「何でここに? そんな顔だな」
「あっ、はい」
剣士は長剣の刃の上で砥石を滑らせた。
シャッという冷たい音が静寂を切り裂き、戦士たちの心に石を投げ入れる。
「気にするな。俺はただの盛り上げ役さ」
「盛り上げ役?」
「わかるだろう? 予選が興ざめにならないようにするのさ」
「ムゥン……興ざめだと?」
「コロシアムはエンターテイメントなんだ。囚人たちが壁のスミで震えて、爪で切り裂かれる。それだけじゃあ……面白みに欠ける」
「督戦隊、というわけですか」
「とくせんたい?」
「戦場から兵士が逃げないよう、見張りをする役目をもった者たちのことです。彼らが斬りつけるのは敵ではなく……逃げる味方の背中です」
「えぇ?!」
「軍隊ならそういう呼び方になるな」
(なんてこった、そんな役目のやつまでいるのか。でも妥当っちゃ妥当だな……囚人が逃げ回ってばかりじゃショーにならないんだろう。)
「時間だ野郎ども!! クソの時間は終わりだ、立て!!」
<ジャーン!><ジャーン!><ジャーン!>
それはいきなりのことだった。上半身裸で、動物を象った黒い兜を被った男が2人、控室に入ってきた。ひとりの獄卒がドラを打ち鳴らし、もう一方はベンチを蹴り倒して、囚人たちをムチで追い立て始めた!
「あ、ちょっと僕は違うんですけど?!」
「トート様!!」
不幸なことに、東都は囚人の流れに巻き込まれてしまう。
抵抗しようとするが、無駄だった。
レミングスのようにぞろぞろと出口へ向かう囚人たち。
東都は何もできず、そのまま地上まで押し出された!!
囚人たちは観客の歓声や野次が聞こえるアリーナへ導かれる。
その先にあるものは「自由」か……それとも「死」か。
彼らは恐れを抱きながら、ただ前へと進む。
「帰りまーす! いやー!」
戦場に足を踏み入れた瞬間、彼らの運命は不退転のものとなる。
戦いの経験もなく、訓練もされていない、手に武器さえ持たない囚人たち。
彼らが初めての闘技場に立たされた。
彼らの目は恐怖で大きく見開かれ、心臓は不安で激しく鼓動する。
観客席からは、血に飢えた群衆の歓声が、まるで嵐のように吹き荒れていた。
しかし囚人たちには、わずかながらも希望の光が残されている。
それは、自由への道が存在すること。
この恐ろしい場所を通じてしか存在しない、自由への道だ!
「無理だって! マジ無理!!」
囚人たちは互いに視線を交わし、無言の誓いを立てる。
生き残るためには、互いを信じ、双方の力を引き出さなければならない。
彼らの手には何も無い。
――だが、その心は〝決意〟で満たされていた。
「え、これって、マジでやる流れ?」
戦士たちは向かいにある鋼鉄の門が上がる瞬間を待ちわびる。
死の運命を予感しつつも、彼らは勇敢に立ち向かう準備をする。
彼らの目には、恐怖だけでなく、困難を乗り越える黄金の意志が宿っていた。
これはただの試練ではない、彼らの人生そのものの戦いなのだ。
「さぁ始まりました!! 予選第1試合!! 今季の予選はいったい何人の囚人が生き残るのか! 皆さん賭けは間に合いましたか~!?」
「「オオオオオオォォォッ!!!」」
「ん~! いい返事ですね! さて、今回の予選に参加してくれるのは囚人だけではありませんッ! さぁご紹介しましょう――」
「美しき砂漠の殺人者、キラーチワワちゃんだぁぁぁぁ!!」
「は、チワワ???」
耳を疑った東都は、自分たちの向かいにある鉄格子の門を見た。
そこには巨大なチワワが威風堂々と4本の足で立っていた。その巨躯は人間よりもはるかに大きく、黒目がちの飛び出した目は殺意に紅く燃えている。
……どうやら、あれがキラーチワワらしい。
「どこがチワワだあああああああ?!!」
「妙だな。キラーチワワは、ウォリアークラスが複数人出場する試合に使われるモンスターだ。囚人の選別に使うには強すぎる」
「えっ」
「フッ、囚人たちの中に消したい人物が入るのかもしれんな。あるいは俺か?」
「そんな?!」
魔獣の口からはだらだらと唾液が垂れている。血に飢えた魔獣は待ちきれずに鉄格子に噛みつき、今にもコロシアムの中に飛び出さんばかりだった。
<グルァァァァァッ!!!!>
「だめだ、門がもたん!!! 逃げ……うわああああ!!!!!」
<ドガコォォォンッ!!>
「おーっとぉ?! 紹介の途中ですが、どうやらキラーチワワのティンキーちゃんはゴハンの時間が待ちきれなかったようだぁぁぁぁ!! 試合開始ィー!!!」
「ヒィィィッ!!!」
予選の戦いはキラーチワワの暴走により、なし崩し的に始まった。
魔獣は手始めに門の周りにいた奴隷を踏み潰すと真っ直ぐこちらに突進してきた!
「こ、こんなところで死ぬのか?!」「いやだー!」
「タスケテ…タスケテ…」
凶暴なキラーチワワの前に、囚人たちは完全なパニック状態だ。
もはや戦いになりそうにない。
だが、ジョバンニは剣を抜くと、兜を被り直した。
「囚人ども、死にたくなかったら心を合わせろ!! 怪物に心で負けたら勝ち目は万にひとつもないぞ!!!」
ジョバンニが鼓舞すると、囚人たちのパニックはいったん収まった。
その益荒男ぶりには、ハシムも称賛を惜しまない。
「ムゥン! 売剣ながら天晴……おぬしの姓名は?」
「ジョバンニ……ジョバンニ・クタバールだ。お前の命を貸せ」
「「応!!」」
(あ、これは駄目そう!!!)
<グルァァァァァ!!!>
砂煙を上げ、キラーチワワが迫る。
囚人たちの自由を賭けた戦いが始まった。
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この回のナレーター部分をカイジで有名な立木文彦さんにやってもらいたい。
それが私の夢です。