柱の男たち(1)
「それじゃぁ、あれ……?」
老人に礼を言おうとして、東都は振りかえった。
しかし、老人はすでにどこかに消えている。
消えた老人は恐怖に手を戦慄かせ、額に汗を浮かべていた。
彼が言う『柱の男』とは、そこまで恐ろしい存在なのだろうか。
(……不快感、いや、恐怖だろうか、胃のあたりに圧迫感を感じる)
老人の恐怖が東都にも伝染したのだろう。
彼は妙な息苦しさをその身に感じ始めていた。
「トート様、どうされます?」
不安げな面持ちで、エルが東都の顔をのぞきこむ。
普段のエルの顔は、精悍で自信にあふれている。
だが、今はちがう。
木陰の影が顔にさしているせいか、まるで死の床にある病人のようだ。
「柱の様子を見に行きましょう。元はといえば、僕が忘れていったせいですし」
「そうね、なにか悪事に使われているかもしれないし……放ってはおけないわよね」
エルを励ますような東都の言葉に対して、コニーも同意した。
東都は木々に囲まれた草深い森の中を進んでいく。
すでに昼になり、太陽は天頂に近い位置に来ていた。
強い日差しは黄緑色の葉を貫き、ぬかるんだ地面に色付きの影を投げかけている。
陽光は梢の天蓋を貫き、黄色、緑、白の光線が彼の服を彩る。
これは自然の作り出したステンドグラスだ。
歩みを進める東都は、まるで教会の中を進んでいくような心持ちになっていた。
(これがただのハイキングならよかったのになぁ……)
弾力のない、死人の皮膚のような地面を踏みしめ、東都たちは進む。
東都が地面を踏むと、腐葉土の間からじわっとにごった水が染み出してくる。
十数分ばかり歩いただろうか。
東都たちの耳に、何か声のようなものが聞こえてきた。
「これは……?」
とてもか細いそれは、何かを伝えるために発せられてるようには思えない。
音程の高さも、音の量も定まらないからだ。
不明瞭な音は森の影の中にいり混じり、にじんで消えていくようだった。
東都は森の中ですっと立ち止まる。
自分の体から生まれる衣擦れや、くぐもった足音を消すためだ。
体の動きを止め、余計な音を防いで耳を澄ます。
(まるで、お教みたいだけど……意味まではわからないな)
東都は音にたいして注意を向けるが、たいした情報は得られない。
不明瞭な音は彼の精神を不安という爪でかきむしった。
はっきりと目に見えるものは何もない。
だが幾重にも重なる葉の背後には、きっと何かが隠されているに違いない。
「なにか聞こえますが……聞き取ることは出来ませんね」
「えぇ、ここからだと遠すぎるみたいです」
「声の主は、あの老人が言っていた『柱の男』たちかしら?」
コニーの想像に東都も同意した。
こんな場所にいる人間は、正気ではないだろう。
なにせ、彼らが今居る場所は『致死率十割大森林』なのだ。
獣人たちが人間を獲物として狩り、繁茂する植物が文明を拒絶する。
いうなれば緑の地獄だ。
太古から息づく無数の木々と、それらに覆い隠された果てのない闇。
大森林は無数の人々を飲み込み、決して帰さない。
こんな場所で生活するなど、よほどの変人でも不可能だ。
よりなにか、そう――恐るべき目的でもないかぎり。
「もう少し近づいてみましょう」
「トート様……危険ではないですか?」
「でもエル、こうしていても仕方がないでしょう?」
「それはそうだが……」
「大丈夫ですよ、こちらにはお二人がいますから。いざとなったら――」
エルとコニーは頷き合い、馬の鞍にさげていたカービン銃を取り出した。
いかな狂信者といえど、心臓に寸鉄がめり込めば正気に返るだろう。
ここで信じられるのは火薬と鉄だけだ。
腰だめに銃を構えた二人を背後に、彼らは慎重に音に近づいてみる。
「……!? あれは――」
東都が立つ場所から20メートルほど前方、そこに白い柱が現れた。
彼が呼び出し、そのまま森に放置したトイレに違いない。
しかし、置き去りにしたその時と比べると、明らかに変わっている点があった。
トイレを囲むように池がある。
これはトイレを置いたときには、まだ無かったはずだ。
東都がトイレの様子を観察するとなるほど。
トイレのドアの隙間から、水が流れ続けている。
どうやらこの池は、トイレがつくりだしたものらしい。
東都が放っておいてから、ずっとこのままだったのだろうか。
しかし、東都の注意を引いたのはこのトイレでも、池でもない。
トイレの周りには※胡坐のまま上半身を揺らす男たちがいたのだ。
※胡坐:あぐらを組んで座ること。
男たちの風体は異常そのものだ。
上半身は裸で、下半身に恥部を隠すためのボロ切れをまとっていた。
むき出しになった不潔な背中には、ドロを使って謎の文様が描かれている。
どうみても普通ではない。
男たちは、体を揺らしながらお教のようなものを合唱している。
先ほどから聞こえていた音の正体はこれだろう。
「なんかカルト教団みたいになってる……」
「トート様、どうしましょうか、コレ?」
「えー……僕に言われても……」
茂みの裏から様子を見ていた東都は頭をかいた。
ここまでアレなことになっているとは、想像してなかっただ。
(明らかにヤバいけど、放っておくのもなぁ)
「とにかく、あそこにあるトイレだけでもなんとかしないと。このままこいつらに悪用されて、トイレに妙な評判でも立ったら困りますし」
「そ、そうですね……」
「評判に関しては、すでに手遅れな気もするのだけど」
(ともかく、トイレを回収するなり、無力化しないと)
コニーのツッコミを無視して、東都は茂みの裏で中腰で立ち上がる。
そのまま、そっとトイレに向かって忍び寄った。
彼のトイレはリモコン機能で操作できる。
しかし、いま東都の手元にあのトイレのリモコンはない。
トイレを無力化するには、声が届く距離まで近づく必要があった。
幸い、トイレを囲んでいる男たちはトランス状態にある。
そっと忍び寄れば東都に気づかないかもしれない。
梢が地面に作った影の間を渡り歩き、東都はトイレに一歩一歩近づいていく。
もう少し、あと一歩――
その時、彼の肩をむんずと掴むものがあった。
心臓の手術が終わって退院したので更新再開です。
ところどころ文体が変わっているかもしれませんが、きっとこれは入院中にクトゥルフアンソロジーを読んで致死量の真実を浴びた影響だとおもいます。
イアイア!