エピソード1 白馬の少年・冬馬
ここからは新連載「追憶のユートピア」が始まります。
全11作品のエピソード「SORA」に登場する「夏美」を中心とした物語です。
彼女が10年間眠りについていた時、「もう一つの世界」では何が起こっていたのか_。
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エピソード1 白馬の少年・冬馬
さわさわ、と柔らかい草花がこすれる音で夏美は目を覚ました。顔をこすって体を起こすと、辺りは一面、猫じゃらしのような雑草で覆われていた。眠たくなるような春の陽気が彼女を再び夢の世界へ誘う。夏美の座る場所の下方には小川が流れ、天頂を見上げると温かい日差しとうろこ雲が見えた。
夏美の身体の傍らには、ユリやバラやタンポポなどの美しい花々が、大量に並べられていた。
私はさっき、プールに落ちて、泳げないまま沈んで…。
私、死んだのかしら。死んだら、棺に入れられて、中に沢山花を添えられるんじゃなかったっけ。
朧げな意識の中、ぼんやりと周りを見渡していると、遥か後方の丘の上から
「おお、目が覚めたか。」と叫ぶ男の子が見えた。男の子は丘を駆け下りて夏美のもとに着いた。
馬のたてがみのような独特な癖の付いた、レモン色の髪をした少年。夏美と同じくらいの身長である。彼の十字架のような形をした不思議な瞳孔が大きく見開き、そして大きな笑顔を見せた。
「お前、どこから来たんじゃ。ここらへんでは全然見かけない顔じゃよ。」と少年は言った。
「あんたこそ誰よ。というか、ここどこよ?今まで夏だったはずなのに、ここは全然暑苦しくないじゃない。」
「僕はトーマ。冬に馬、と書いて冬馬。ここはただの草原じゃ。」
「いや、県とか、国とかはないの?私がさっきまでいた場所と違うわ。」
「クニ?ケン?何のことを言ってるんじゃ?」
まだ幼い夏美はため息を漏らした。
冬馬は辺りを見回して、
「ここにはそろそろ厄が来るみたいじゃ。一度ここを離れるぞ。」と言い、半身になっていた夏美の腕を強く掴んだ。夏美の身体に掛かっていた大量の花が、ぼろぼろと落ちた。
「この花はあんたが集めたの?」
「もちろんじゃ。幸せな夢が見れるようにのお。」冬馬は大きく笑った。
冬馬は夏美の腕を引いて走り出すと、たちまち一頭の小さな白馬に姿を変えた。夏美は驚く間もなく白馬の背中に乗せられ、すさまじい速度で空中を駆け抜けていった。
「いやあ!下ろして!私、高いところ苦手なのよお。」と夏美は白馬の背の上で叫んだ。すると
「すまんのお。今下ろしたらお嬢さん、気がおかしくなってしまうじゃろう。我慢してのお。」と白馬が喋った。実際に口は動いていないので、テレパシーの類である。夏美は渾身の力で白馬に縋り付き、なるべく下を見ない様に、白馬のたてがみに顔をうずめた。
しばらくして、白馬は地上に降り立った。白馬の姿が瞬く間に少年の姿に戻り、ぐったりとした夏美が少年に抱きかかえられた。近くで小鳥のさえずりと沢の音が聞こえた。周りは豊かな広葉樹の原生林に囲まれている。夏美は近くの丸太に寝かせられた。
「お嬢さん、もしかして『日の下』から来たんじゃろか?」と言って、冬馬がどこからかカップを二つ持ってきた。
「ヒノモトって何よ?」と仰向けのままぶっきらぼうに聞くと、
「僕たちの片割れが住んでる世界じゃ。」と冬馬が答えた。
「カタワレって何?」と夏美が聞くと、
「さあ。獅子様が言ってたから言っただけ。僕、全然知らない。」とニコニコして言った。
「それよりさ、今すっごく嬉しいんじゃ。」と冬馬がニコニコしたまま言った。
「なんでよ?私が高い高い空を、すっごく怖い思いして飛んだから?」と夏美が怒って言うと
「そうじゃ。お嬢さんを背中に乗せてた時、すっごく嬉しい感じがしたんじゃ。」と冬馬が本当に嬉しそうに言った。
「ところでお嬢さん、名前は?」冬馬が牛乳のような飲み物の入ったカップを夏美に渡した。
「夏美よ。夏に美しい、って書いて夏美。」
「ほお。そしたら僕、お嬢さんのことナツって呼ぶな。」
「なんでよ。」
「何となくじゃ。」
夏美は体を起こし、目の前に立つ冬馬という少年を見た。
「お水が飲みたい。」と夏美がつぶやくと、
「猫のミルクはいやじゃったか。そばに沢があるから行こか。」と冬馬が夏美の手を取って歩き始めた。
不思議な世界だなあと、夏美は口を開いたまま思った。さっき小鳥かと思ったものは、拳ほどの大きさのダチョウだった。足元を見ると、飼い猫くらいの大きさのトラが、夏美の足首に顔をスリスリと擦り付けていた。夏美が今までいた世界と、生き物の大きさが全く違っているようだ。
冬馬が案内してくれた沢は、水がまるでガラスのように透明で綺麗だった。水はそんなに深くないようだ。群れを成した小さなジンベエザメが、沢の流れに逆らうようにして泳いでいた。
冬馬が隣でしゃがみ、先ほどのカップを沢に沈めて水を酌んでいた。夏美も真似して沢の傍にしゃがんだ時、水面に映る二人の顔が見えた。
「ねえ冬馬!私たち、顔そっくりじゃない?」夏美は興奮して水面に映る顔を指さした。夏美がこちらの世界に来てから、彼女の髪の毛は少しずつレモン色に、瞳孔は冬馬と同じ十字架型に変わっていた。
「おお。本当じゃ。」といって冬馬も水面を指さした。
瓜二つの互いの顔が、沢の流れでゆらゆらと揺れながら映っている。
「まるで双子みたいだね。」と夏美が言うと、
「フタゴって何じゃ?」と冬馬がキョトンとして言った。