第四話
「なんたる失態だ!」
アバルト帝国皇帝、カムナ・アバルトは部下からの報告に激昂している。
「アバルト帝国史でもこのような失態は初めてだっ! 勇猛果敢でひとたび戦ともなれば一騎当千のアバルト兵が五百人がかりで、たった一人の女騎士に敗北しただとっ!? ふざけるのも大概にしろっ!」
アバルト皇帝は肥え太った身体を大きく揺すり、地団駄を踏む。
顔面の無駄な贅肉があごに四重の層を作り、醜く歪んだ顔をぶるぶると横に振る。
皇帝は目前にひれ伏している騎士に汚い言葉を投げつける。
「ええーい! もう我慢ならんっ! 八年も戦争を続けているというのに、我がアバルト帝国の被害は増える一方だ! だというのに、イクシードの被害は一つもない! ぐぬぬっ! もはやこれ以上ちまちまと戦ってなどおれぬわっ! 全面戦争じゃ! 我が国の兵を次の遠征に全て集結させよっ! いや、それだけでは足りぬ! 平民どもも全てかりだせ! 老若男女問わず全てをかりださせろ!」
「陛下っ!」
騎士は皇帝の言葉に立ち上がる。
「それだけはなりませぬっ! 戦う術を持たぬ民を戦に参加させることはお止めください!」
凛とした顔の、一見すれば女と見間違えてしまうほど美しく整った顔の騎士が叫ぶ。
黒の甲冑を身に纏った騎士は赤色の長い髪を後ろに纏めているが、それでも床につきそうな長さだった。
「貴様の意見など聞いておらぬわっ! わしはこの国の皇帝であるぞっ! 皇帝の命令が聞けぬというのかっ! 皇帝のわしがこの国の人間に何を命じようが貴様には関係ない! わしが国じゃ!」
「それは違います! 民あっての国! 我ら軍人は戦う術を持たぬ民のため・・・」
「その貴様らが役立たずだからであろうがっ!」
何も言い返せなかった。
皇帝の言う通りだ。
我々軍人が役に立たぬから・・・。
やはり、私は半端者なのだ。
「よいかっ! これは命令だ! 明日の夕刻、全軍、全国民をイクシード王国へと向かわせろ! 反抗する者あらば容赦なく殺せ! わしに忠誠を誓えぬ者などいらんっ!」
「陛下っ!」
「くどいっ!」
アバルト帝国皇帝、カムナ・アバルトの命令はこの後、二時間足らずで帝国全土に知れ渡る。
徴兵を拒否すればその場で斬り殺され、戦いに赴けば戦ったことのない国民が生き残る確率は極めて少ない。
民はこの二律背反の狭間で悩み、そして決断するのだった。
戦うしかない、と。
騎士、アセリア・フォックスは混乱する帝国を見て思う。
もし、今回の戦争が帝国の勝利に終わったとしても、この国は崩壊するだろうと。
だから、アセリアも決断した。
単身、イクシード王国に向かうことを。
騒がしかった昨日から一夜明けた。
すがすがしくも温かな太陽の日差しが俺の頬を差す。
それにしても昨日は本当に大変だった。
あの人との約束を果たすためにこの国に来たはいいものの、着いて早々空腹で倒れて、それから・・・。
本当にいろいろあったな。
『お前は大きな胸が好きなのか?』
突然、リザさんの甘く囁くような声が聞こえてきた。
そうだ。
この言葉が昨日一日の最大の悪夢の始まりだったんだ。
リザさんの言葉に思わず返事を返してしまった俺はメディーさんに・・・。
ううっ、駄目だ。
思い出すのも恐ろしい。
『お前は大きな胸が好きなのか?』
妙に現実味のあるリザさんの声は同じことを壊れたおもちゃのように繰り返す。
『お前は大きな胸が好きなのか?』
しつこい夢だ。
そんなに俺は昨日のことが怖かったんだろうか?
『しつこい夢・・・か。そうだな。これは夢だ』
俺の心の声が聞こえたのか、夢の中のリザさんは何か含みのある言い方で言う。
『夢なのだから何をしようがお前の自由だ。さて、ここで質問だ。お前は私の胸をどう思う?』
どうって・・・?
『大きいか小さいか、お前の感想を聞かせてくれ。昨日、布越しとはいえ私の胸は見たんだろう?』
み、見てません!
『ははっ! それは本当か?』
そ、それは・・・。
『本当に見ていないのか?』
えーと・・・。
『なーに、恥ずかしがることはないよ。お前が私の胸を見たというなら、それは私の胸が大きさはともかく、お前にとって魅力的だったということだ。そうすると、お前が私の胸を見たのはお前のせいではなく、私の胸が魅力的だったから悪いのだ。もしお前が私の胸を見ていたとしてもお前には何の非もない。悪いのは私の魅力的な胸だ』
そ、そうなのか?
『ああ、そうだとも』
そうなのか。
『では改めて聞くぞ? お前は昨日、私の胸を見たのか?』
み・・・。
『さあ、正直に言ってみろ』
み、見ました。
『そうか、見たのか。うんうん。素直は美徳だぞ。で? どうだった?』
え?
『私の胸はどうだったと聞いているのだが? お前の気に入るような大きさではなかったか?』
いえ! その・・・大変ご立派なものをお持ちで・・・。
『うーん? それはお前が私の胸を気に入ったと受け取ってもいいのか?』
は、はい。
『そうかそうか。それで、私の胸を触ってみたいか?』
え?
そ、そんなことは・・・。
『トレイン。これは夢だ。夢ならお前はお前の好きなことを好きなだけしてもいいのだぞ?』
そ、そうなのでしょうか?
『ああ、そうだとも』
慈母の女神の如く優しい声。
『さあ、どうしたい? 触りたいか?』
さ、触ってみたい・・・です。
『よしよし。素直なお前に褒美として私の胸を触らせてやろう』
あ、ありがとうございます!
『そら、お前の大好きな胸だ』
俺の両手は吸い寄せられるように柔らかな二つの双丘へと誘われる。
二つの大きな膨らみが俺の手から零れ落ちそうだ。
『んっ・・・。ははっ、どうだ? 私の胸の感想は?』
す、すごく柔らかい・・・です。
『そうかそうか。なんだかお前に褒められるとうれしいぞ。ああ、それにしても熱いな』
え?
『服、脱ごうか?』
ええ!?
俺はあまりの大胆な発言に胸を触る手にぎゅっと力を入れてしまった。
『そのほうが・・・んっ! ははっ、大胆だな。だが、んっ! そういうの、嫌いじゃないぞ?』
でも、服を脱ぐのはさすがに・・・。
『直接触ってみたくはないのか?』
ちょ、直接!?
ごくり。
緊張のあまり、喉を鳴らしたときだった。
バタン! とドアが開く音がした。
「トレインくーん! 朝食の準備ができ・・・たわよ・・・ってリザ! あなた朝っぱらから何をしているの! 国の女王ともあろう人が何を! ほら! トレインくんも起きて!」
メルヒストさんのやけに焦っている声が俺の耳に届くと、身体が激しく揺り動かされる。
「んんっ?」
寝ぼけ眼を擦り、目を開けるとそこには大きな胸を半分ほど露出しかけたリザさんがいた。
「どわぁーっ!」
「おはよう」
気品溢れる顔で優雅に微笑むリザさん。
「おはよう、ございます・・・」
そして、何故かリザさんの半分ほど露出している胸に、俺の両手が乗っていた。
あれ?
どういうことだ?
俺がリザさんの胸を触っている?
え?
だって、それは夢の中でのことで・・・。
「まったく。朝から騒々しいぞ。少しは静かに・・・ひっ!?」
「なーにー? 朝っぱらからうるさ・・・ひっ!?」
「なんですか? 朝から悲鳴なん・・・ひぃっ!?」
メディーさん、ティンベルトさん、フェイネリアさんが順番に部屋に入ってきては次々と悲鳴を上げ、息を飲んで固まってしまった。
「・・・・・・っ!」
メルヒストさんからは無言だが迫力のある視線を浴びせられた。
「あのですね、一応弁解しておきますけど、この状況を一番理解出来ていないのは俺だってことをわかってくださいね?」
「あっ、そ、そうよね! トレインくんは今起きたんだもんね!」
「そ、その通りです! 俺は今・・・」
反射的に力を込めて答えた。すると、
「あんっ! あ、あまり・・・強く揉むな・・・。女性の胸は・・・敏感なんだぞ?」
だぁー! 忘れてた!
俺の手は今リザさんの胸の上に乗ってたんだった!
違いますよ?
これは誤解です!
そう叫ぼうとした瞬間、
「き、き、貴様ーっ!!!」
ひぃーっ!
やっぱりメディーさんだけは真っ先に誤解なされてる!
「ご、ごめんねトレイン・・・くん。わ、私も、我慢・・・出来ないわっ!!」
そう言うとメルヒストさんはどこからかモップを二本取り出し、一本をメディーさんに放り投げる。
メディーさんはそれを惚れ惚れするほどかっこよく受け取ると、
「天誅っ!!」
「教育的指導っ!!」
高速でモップを俺の顔面目掛けて叩き込んできた。
「ぎ、ぎゃーっ!!」
俺の悲鳴がメルヒスト家に木霊した。
ちなみに、その日ベルたちは目覚ましなしで初めて起きれたと喜んでいた。
カチャカチャ。
もぐもぐ。
広間では子供たちがフォークやナイフを上手く扱えず、肉やサラダを相手に悪戦苦闘していた。
そんな子供たちの様子を微笑ましく思いつつ、俺はメルヒストさんの手料理に舌鼓を打つ・・・余裕などあるわけもなく、ただ黙々と料理を口に運ぶだけだった。
みんなの俺に向ける視線が痛い。
まるで汚物を見るような目で見てくれる。
うぅっ・・・。
誤解なのに。
今朝は酷い目に遭った。
どうしてリザさんはあんなことをしたのかと思い、理由を訊ねてみたが「秘密だ」と言って教えてくれなかった。
朝食が済むと、リザさんが俺を見て、「お前を我がイクシード王国の民として正式に迎えることを国民に伝える」と言った。
あまりに突然な衝撃告白だった。
ベルたちと広間でゆったりくつろいでいた俺がリザさんの言葉に呆けていると、「女王が自ら紹介したほうが国民も受け入れやすいだろう」メディーさんは俺を見てそう言う。
「でも、その、国民は・・・他の女性たちはいきなり俺がこの国の民になるって紹介されても困るんじゃ・・・」
「まあ、大丈夫だろう?」
「いや、そんな疑問系で言われても・・・」
「なるようになるさ」
ははは、とリザさんは笑いながら言うと、そっと俺の腕を取る。
「それにな、私もリーシャの言うとおりだと思う」
「メルヒストさんがどうかしたんですか?」
「いやな、リーシャはお前がこの国を救うと言っているんだ」
「えっと・・・話がまったく見えてこないです」
「はは、今は知らなくてもいいさ。ただ、これだけは覚えていてくれ」
そう言うとリザさんは背後から俺を抱きしめ、耳元にぷるんと柔らかそうな唇を近づけ、「私はお前になら抱かれてもいい」
「なっ!?」
「はははっ! 照れるな照れるな!」
バンバンと俺の肩を叩いてくる。
「お前はリーシャの言ったとおり、他の男どもとは違って魅力的なやつだ。それに、まあ強くはないが優しい」
「はあ・・・」
「優しさは時に強さすら上回る力を持っている」
リザさんの身体からとてもいい匂いがする。
「トレイン・・・」
甘美な笑みを浮かべるリザさん。
ああっ、メルヒストさんとは違って、妖艶な魅力のあるリザさんに腕を取られ、甘く耳元で囁かれて俺はたまらなかった。
もうすぐで自分の中の大切な何かが壊れてしまいそうだ。
いや、いっそ壊れてしまえと願う俺が心の片隅にいた。
「いい加減離れろっ!」
そんなちょっと危ない俺を正気に戻してくれたのはメディーさんの声だった。
正気に戻った俺は慌ててリザさんから距離をとる。
殺意を込めた瞳で俺を睨むメディーさんは顔を真っ赤にして、「陛下も陛下です! だ、抱くなどと、そのようなハレンチ極まりない言葉を子供たちの前で使うなんて・・・」
メディーさんは真っ赤な顔でちらちらと子供たちを見るが、子供たちはというと、無邪気な笑顔でじゃれあっていたので、今のリザさんの言葉は聞こえていなかったのだろう。
「陛下、この男は油断なりません。というか変態です!」
「変態じゃない!」
俺はすかさず否定する。
だって本当に変態じゃないから。
俺は健全な男の子だから。
「お前は変態だ! 現にお前は昨日私の下着姿を覗いていたではないか!」
だからアレは誤解だっていうのに・・・。
しかし、結果的にメディーさんの下着姿を見てしまったことは紛れもない事実なので言い返せない。
どう説明したものかと悩んでいると、朝食の片づけを終えたメルヒストさんが広間へとやってきた。
「メディー、あれは事故よ」
メルヒストさんがメディーさんに優しく諭すように言う。
「う・・・ま、まあ、事故ということにしてもいいですが・・・」
メルヒストさんに諭されて渋々了承してくれたメディーさんだったが、やはり乙女の柔肌を事故とはいえ許可なく見てしまった俺が許せないのか、犯罪者を見るような目で俺を睨むメディーさんだった。
「はい! この話はこれでおしまい!」
ぽん、と両手を胸の前で合わせて言ったメルヒストさんは、「トレインくん、私たちは準備をしておくから、お昼頃に王宮へ来てね?」
「準備っていったい何の準備ですか?」
「あなたをこの国に迎えるための式典。そのための準備よ。ま、急ごしらえだから、本当に簡素なものなんだけどね?」
「式典!? そ、そんなに大げさにしなくても・・・」
「言ったでしょう? 戦争が始まってからこの国は女しかいなくなったって。だから戦争中に男の人を迎え入れることは大げさなことなの」
そうだった。
この国にかつて住んでいた男たちが何をしたのか。
生まれて間もない子供たちに何をしたのか。
俺は全部聞いていたのに、それなのに・・・。
「すいません・・・」
「気にしないで」
今のは失言だった。
「リーシャ、そろそろ行くぞ。先に向かったエリスとラクスを早く手伝ってやらねば」
そういえば朝は皆で一緒に食事していたのに、ティンベルトさんとフェイネリアさんがいつの間にかいなくなっていたからどこに行ったのかと思っていたけど、俺のための準備をしていてくれたのか。
「あの、俺にも準備を手伝わせてください」
そう言うと、メルヒストさんは口元に手を当てて可愛らしく笑い、「あはは、もう、トレインくんったら。主賓が手伝っちゃ駄目でしょ?」
「でも・・・」
「いいの」
頭を撫でられた。
「ベル」
メルヒストさんはベルを自分の下まで手招きして
「トレインくんを王宮まで案内してあげてくれる?」
「まかせろ!」
「みんなもお願いね?」
メルヒストさんはリリスたちに可愛らしくウィンクする。
「まかせろー!」
両手を高らかに挙げて返事を返す頼もしい小さな水先案内人たちを見て俺は自然と微笑んでいた。
「ふふ、お願いね。あと、ベルたちはトレインくんを王宮まで連れてきたらそのまま私の所に来てね? いつもの場所にいるから」
「わかった!」
元気よく返事をしたベルに笑顔で頷いたメルヒストさんは子供たちの頭を優しく撫でて、外で待っていたリザさん、メディーさんと一緒に出かけていった。
メルヒストさんたちが家を出て二時間が経過した頃、「そろそろいくぞ!」ベルが俺の手を引っ張って言う。
「案内よろしくな」
「まかせろ! いいか、へんなとこにいってまいごになっちゃだめだからな!」
ベルの忠告に苦笑しつつ、俺は家を後にした。
家を出て、昨日メディーさんと文字通り死闘を繰り広げた草原を抜け、そこからさらに入り組んだ小道を抜けると、空色の綺麗な湖が見えてきた。
湖の周りには木々が立ち並び、大地に生えた草花からはいい香りがする。
木々の合間からはリスや小鳥たちが顔を覗かせている。
その光景は現実とかけ離れていて、どこか幻想的な雰囲気すら感じる。
「こんな綺麗な場所があったのか」
「きれいだろ!」
ベルが自慢するように言う。
「ここはね、エルフぞくのみずうみなの」
そう言ったのはキャロルだった。
「このみずうみはしんせいなばしょだから、ぜったいにおとこのひとをいれちゃだめなんだって」
「そうなのか・・・って、もう入っちゃったぞ?」
「トレインはいいの!」
「どうして? 俺も男だぞ?」
「うーんと、おとこのひとでもだいすきなひとだったらいれてもいいっていってた!」
「言ってた? 誰が?」
「エルフぞくのなかでいちばんえらいおばあちゃん!」
たぶん、キャロルの言うおばあちゃんとは、エルフ族の族長のことだろう。
「でもね、わたしがいちばんえらいおばあちゃんのことを、おばあちゃんっていってたことは、いちばんえらいおばあちゃんにはないしょ!」
キャロルは口の前で人差し指を立てると、真剣な顔で言う。
「どうして?」
「だって、おばあちゃんのことをおばあちゃんっていうと、おばあちゃんおこるんだもん・・・」
怒られたときのことを思い出しているのか、キャロルの顔は少し青ざめている。
「わかった。それじゃあ今の話は俺たちだけの秘密だな?」
青ざめていたキャロルの頭を撫でながら言うと、キャロルは「うん!」と、大きく頷いた。
「ねートレイン」
「んっ?」
キャロルは右手の指を小指以外握った状態、つまり指きりのポーズをとる。
「やくそく・・・」
俺は差し出されたキャロルの小さな小指に、自分の小指を絡ませる。
「約束だ」
「えへへ・・・」
キャロルはうれしそうに笑い、今俺と指きりをした自分の小指を見つめている。
「やくそくするー!」
リリスがそう言ってキャロルのように小指を絡ませると、ベル、ミスト、マリーが同じように小指を絡ませてきた。
子供たちのおかげで幻想的な雰囲気はさらに美しく感じられた。
そんなとき、
「うっ・・・」
呻き声が聞こえてきた。
幻想的で美しい雰囲気がその声で一気に散る。
俺は声の発生源を求めて辺りを見渡す。
ベルたちは不安そうな顔で俺の足にしがみついてきた。
「ううっ・・・」
ピクッ!
ピクピクッ!
ベル、ミスト、マリーの耳が声に反応するかのように小刻みに動く。
「あっちのほうからこえがきこえる」
ベルは湖近くの草花を指差す。
さすがは獣人族。
五感は人族より鋭いみたいだ。
「すごいな。わかるのか?」
「う、うん・・・」
俺の言葉に何故か恐る恐る答えるベル。
「ベル?」
「こ、こわくない?」
そんなことを気にしていたのか。
いや、ベルたちにとってみれば、そんなことじゃないんだよな。
いつもは強気なベルだけど、やっぱりこの国の男たちがこの子たちに向けて放った暴言で傷ついた心は簡単には癒されないみたいだ。
「怖くないぞ? むしろ可愛い」
「え・・・?」
俺は本心からそう言った。
「ほんとう?」
「本当だ。ベルもミストもマリーも、可愛らしい耳だ」
「あ、ありがとう・・・」
恥ずかしそうに俯いて言うベル。
「ううっ・・・」
奇妙な呻き声がまた聞こえてきた。
「お前たちはここで待ってろ」
俺はベルたちを残し、声が聞こえてくる方へと慎重に忍び寄る。
そこには酷い傷を負った黒い甲冑の兵士がいた。
うつ伏せに倒れている兵士を抱え、俺は大声で兵士に呼びかける。
「おい、しっかりしろ!」
「ううっ・・・」
兵士はゆっくりと閉じた目を開ける。
「な・・・」
兵士は何かを言おうと口を開きかけるが俺を見て、
「な、ぜ・・・おと、こ、が・・・」
兵士はそう言うと気を失ってしまった。
「リリス! キャロル! すぐに来てくれ!」
俺はすぐに二人を呼んだ。
俺の声に何かを感じ取ったのか、二人は走ってきてくれた。
リリスとキャロルは俺の抱えている兵士の傷を見て驚いている。
「すぐに治療魔法をかけてやってくれ!」
だが、リリスとキャロルは首を横に振る。
「リリス? キャロル?」
「わたし・・・まだまほうつかえない」
「わたちも・・・」
「え!? だって二人は俺に・・・」
「あれはエリスおねーちゃんとラクスおねーちゃんがまほうのつかいかたをおしえてくれたから・・・」
「そうか・・・」
「トレイン、おこってる?」
「怒ってなんかないさ。それよりこの人をすぐにティンベルトさんの下へ運ばなくちゃいけないな。ベル!」
「なんだー!」
ベルたちは俺の言いつけをちゃんと守って、さっきの場所から一歩も動いていなかった。偉いな。
後でみんなのことを、うんと褒めてあげよう。
「今から全速力で王宮に案内してくれ!」
「どうしてだー?」
「怪我人がいるんだ! すぐに治療してもらわないと手遅れになる!」
「けが!? わかった! ちゃんとついてこいよ!」
「ああ!」
俺はベルの後について走った。
「ふう〜」
ティンベルトさんが大きなため息をつく。
「一人でこんなに酷い傷を負った人を治療するのは疲れたよ・・・」
額に滲んだ汗を手で拭いながら言うティンベルトさん。
「ティンベルトさん。この人の容態はどうですか?」
「んー」
難しい顔をするティンベルトさん。
腕を組み、頭をかしげる。
「正直わからない」
「わからない?」
「うん。あのね、私たち羽翼族の癒しの術や、エルフ族の治療魔法は完璧じゃないの」
「どういうことですか?」
「えーとね、もう少しわかりやすく説明すると、私たちの術や魔法は、対象人物がもともと持っている肉体の回復力を術や魔法の力で代謝を促進させ、通常よりも早く肉体の傷を癒すだけなの」
「つまりどういうことですか?」
「うーん、極端な話、どんなに強力な癒しの術や魔法でも死んだ人は生き返らせることが出来ないということ。死者には魂が存在しない。魂はこの世界と私たちの肉体を繋ぎ止めるパイプのようなものだから、それがない人は生きられないの。魂がなければ肉体は機能しない。機能しなければ肉体に備わる回復力も機能しない。つまりは存在しないものを存在するとすることが出来ないの。私の術はこの人の本来持っている肉体の回復力を術の力で限界近くまで上げているだけだから。もし、これでも駄目ならこの人は・・・」
読んで頂いてありがとうございます。もうしばらくお付き合い頂けたら幸いです。