放課後教室で
電話が切れてから、彼は履歴に残った松岡さんの電話番号を眺めていた。
スマホの画面が暗くなり、そこに彼の顔が映った。そのとき彼は、中学時代を思い出していた。
中学1年生という思春期の入り口辺りの時期に、彼は松岡さんと同じクラスになった。周囲では夏休みの前後から誰かの恋愛話が噂されるようになっていたが、彼はそうした話になると、適当な相槌を打つだけだった。
彼には恋愛というもののイメージが、まだ出来ていなかったのだった。
しかしその一方で、彼は席の近い松岡さんのことを何となく気にするようになっていた。
彼女は整って聡明な顔立ちをして、いつも長い髪を後ろでまとめていた。当時から大人びていた彼女は、クラスで学級委員を任されていた。そして松岡さんは、誰と話すときでも相手の目を真っすぐに見て話しをした。まだ幼さが残っていた彼には、そんな彼女が眩しく見えた。
夏の暑さがようやく通り過ぎた10月頃のある日、彼は下校途中で忘れ物に気付き教室へと戻った。
ほとんどの生徒が部活をしている時間帯だったので、予想通り教室には誰もいなかった。ベランダに通じるスライド式のドアは少し開いていて、長いベージュ色のカーテンを時折ふわりと膨らませていた。
彼が忘れ物を鞄に入れて帰ろうとした時、背後から
「藤本君?」と呼ぶ声が聞こえた。
彼が振り返ると、そこには運動着を着てテニスラケットを持った松岡さんがいた。
「部活はどうしたの?」と彼が尋ねると、彼女は
「お腹が痛くなっちゃって。」と少し罰が悪そうに答えた。