夏季休暇の始まり
人生は苦である、と釈尊は言ったという。この言葉を理解することは、昔の人々にとって難しいことでは無かっただろう。なぜなら生きることは、困難と向き合うということに他ならなかったからである。戦争や貧困や病気によって多くの命が奪われたが、人々はその先に生きる希望を見出してきた。
しかしながら21世紀初頭の日本という国においては、「生き残る」ことは以前より容易になってしまっていた。平均寿命は世界のトップを走り、人の死を目撃することは病院へ行かない限り滅多になくなった。
もちろんこれは喜ぶべきことだ。しかしその結果人々の心に起きた変化に、我々は気づいているだろうか?
科学やテクノロジーに対する過信は、ある種の傲慢さを生んだ。それは命に対する傲慢さだった。そしてインターネット上に振りまかれる実態のない「正しさ」に、人々は便乗するようになった。
美しい物が持て囃され、醜い物、汚い物からは誰もが目を背けた。むしろそういった物にこそ、刮目すべき何かが隠れていたにも関わらず。
そんな状況が原因であったのか定かではないが、若者達は将来に対する希望を失いつつあった。これはある種の諦観によるものだった。つまり彼らは若くして「悟って」しまっていた。そして我々の主人公もまた、そんな青年の一人であった。
大学の夏季休暇が始まってから、既に数日が経過していた。その時はもう昼に近かったが、彼はまだベッドの上でスマホの画面を眺めていた。起きてから1、2時間スマホをいじるのが、ここ最近の彼の日常だった。
彼のアパートの6畳の部屋に、クーラーは規則的に冷気を提供し続けていた。机の上にはパソコンと共に雑然とノートや書類が散らばり、キッチンの床には空き缶がいくつか横たわっていた。
彼がふと窓の外に目を向けると、日は既に大分登っていた。
「そろそろ起きるか。」と呟いて立ち上がろうとした時、部屋の電話が鳴った。
ほとんどの人間が携帯かスマホを持っているこの時代に、わざわざ彼の部屋に電話をかけてくる人物は限られていた。彼が受話器を取ると、予想通り母の声が聞こえてきた。
「もしもし?あ、部屋に居たのね。あんた、どうせ今まで寝てたんでしょ?」
と母はあきれた様に言った。図星だったが、彼は何食わぬ感じで
「んー、起きてたよ?普通に。」と答えた。
「たまには帰って来て家の手伝いしなさいよー。どうせ暇なんだから。」
「いや、こっちも割と忙しいからね?バイトとかさ。」
と彼は、大きく伸びをしながら答えた。
「そうなの?あ、そういえばお盆のお父さんの実家は行くのでいいのよね?」
「あー、うん。」
彼の父の実家は福井にあり、お盆の時期には毎年親戚で集まるのが恒例だった。
「で、用事はそれだけ?」と彼が聞くと、彼の母は思い出したように、
「それからね、あんた最近おばあちゃんの所行ってないでしょ?休みの時ぐらい顔見せたらと思って。」と言った。
「うん、まあ確かにそうだね。」
彼の母方の祖母は、一人で埼玉に住んでいた。元々家族の世話になるのを嫌がる人だった上に歳の割にはしっかりしていたので、家族もたまに様子を見に行く程度だった。
「じゃあそういう事だから。」と言うと、母は電話を切った。
彼は受話器を置いて一応カレンダーを見てみた。分かっていたことだが、彼には今日一日特に予定が無かった。