第三話 人狼の孤王
木々が生い茂り、昼間であっても薄暗い森の中を一つの影が走り抜ける。その動きは軽やかでこの世界において熟練の狩人にも引けを取らぬものだった。影は小さい泉がある場所に着くと、立ち止まる。
「ほう、ここの方が巨木から近いな。ほぼ北に走って三分ってところか」
泉の縁に屈み、両手で水を掬い口に運ぶ。うまい、士郎が思わずそうつぶやく程のその水は甘露だった。こうも水が美味しく感じるのはこの地域は魔力に溢れていてそれが水にまで浸透し、最高品質の魔力水となっているからだ。
「“暗殺”は今は置いといておくとして、静寂の影のスキルの内容の確認はもう良いだろ。となると次は」
人狼化(灰色)
「これだな」
ゴクリ、と自身のつばを飲み込む音がやけに大きく聞こえる。ここから先は人外の領域となる。若干の恐怖が無くもないが、それよりも未知への好奇心と強くならなければ、という思いの方が強く、士郎に迷いはなかった。
【“人狼化”をアンロックしますか?】
(ああ)
【“人狼化”をアンロックしました】
人狼化Ⅰ
五感 0
鋭爪 0
剛毛 0
体格 0
筋力 0
スキルポイント:11
五感:人狼化後の五感を強化する。レベル一の段階で1.1倍、その後0.1ずつ上昇。
鋭爪:人狼化後の爪の鋭さを上げる。
剛毛:人狼化後の体毛を硬くする。
体格:人狼化の際に体格大きくし、全体的な身体能力を上昇させる。レベル一の段階で1.1倍。その後0.1ずつ上昇。
筋力:人狼化後の筋力を強化する。レベル一の段階で1.1倍、その後0.1ずつ上昇。
(これは、何とも脳筋なスキル編成だな。鉄志の馬鹿は単純でいい、と言いそうだが・・・体格なんて弄ったら服着れなくないか?かと言って、筋力だけ強化したら体に多大な負荷がかかる可能性が高い。更には五感を強化しない限り、戦闘速度についてけなくなるだろう。つまり、“五感”“体格”“筋力”をワンセットにして初めてまともな運用ができる癖の強いスキルということになる。したがって、この三つの内、どれかを強化したいときは必ず三はポイントを残しておかなければならない。しかも、+αとして変身するときは全裸にならなければならないわけだ。・・・面倒だな)
強力なスキルだからこそ癖が強いんだ、と己に言い聞かせ、何を強化すべきか考えを巡らせる。地球において人狼―ウェアウルフなどの言葉は元々は人食いを好む狼を指す言葉であった。それが変化し、人から狼へと変身する者の事を指す言葉になった。ギリシャ神話でゼウスに狼に変えられるリュカオーン王も人狼と言える。それを考えるとスキル名として人狼化は可笑しいような気もしなくもないがそういうものなのだから気にしていては始まらない。
(五感、鋭爪、剛毛、体格、筋力、全てに一ずつだな)
人狼化Ⅰ
五感 1
鋭爪 1
剛毛 1
体格 1
筋力 1
スキルポイント:6
(服は一応脱いでから力を使った方が良いな)
サクサクと服を脱ぎ、全裸となる士郎。地球でやれば即座に通報されるのは確実だが、幸いなことにここは異世界の大自然の中、この世界の国の法、まして地球の法が届くところではない。だから何をやってもいいという訳ではないがこのくらいの事ならば許されるだろう。大自然の住人達は大抵裸なのだから。
「“人狼化”・・・ッ!ぐおおおおおおおおおおお!!!」
骨格を無理矢理変えられるような激しい痛みに全身を襲われる。初めに全身から黒色の毛が生え始め、次にその体が一回り大きくなり、更に顔が狼のそれへと近づいて行く。全身を焼くような痛みは次第に引いていった。
「はぁはぁ・・・この、スキル、絶対に、外れ、だ!!」
息を整えるよりも先に愚痴を誑す。だが、あの痛みは確かに士郎に人外の力を授けた。未だその強化率は一割程度だが、それはこの世界で強化された肉体にかけられたものだ。一割の差は最早尋常ならざるものであった。
「体が熱い、力が湧いてくるようだ。これで一割分の強化か・・・変身時の痛みは兎も角、性能は凄まじいな」
士郎は泉をのぞき込み、人狼となった自分の姿を確認した。瞳の色は吸い込まれるように深い青、頭部は完全に狼のそれだ。全身は柔らかくも堅い黒い毛で覆われ、手には鋭い爪が生えている。まさに怪物としか表現しようのない姿に士郎は感嘆を覚える。
(本当に凄まじい。まさにファンタジーだ。不変の日常からの脱出、今なら神を信奉してもいい。
まあ、中身によるが)
士郎は神の存在を確信した。だが、存在を確信したからと言って、士郎が神を信仰するはずもない。彼は確信しただけで、信用も信頼もしていないのだ。
肩を回し、膝を曲げ、身体の調子を見る。恐るべき怪物が腕を回したり、かがんだりを繰り返しているのだ、傍から見ればシュールな光景でしかない。
体が温まってくると、今度はシャドウを始める。仮想の敵は近所の超人お爺さん。古流武術の達人で柔術から弓術まで何でもござれりな人で、士郎が一度も勝てずに苦々しい思いをしている相手だ。仮想の中の彼は身体能力が飛躍的に強化されている士郎の攻撃を紙一重で避けていく。それは超人お爺さんと士郎の技量の差であり、士郎が向上した身体能力に振り回されている証拠だった。どちらにせよお爺さんは規格外すぎるが。そして、超人お爺さんこと東雲 武蔵に勢いを利用して投げられることで戦いは決着する。
その結果に若干の不満を覚えたのか、士郎は思わず狼のような唸り声をあげる。これは人狼化したことにより多少精神が獣に近づいているせいで、朴念仁で冷静沈着な士郎には関係のないことだが理性が低くなり、本能や感情が表に出やすくなっている。
(ちっ、まだこの力に振り回されているだけということか。それにしてもあの老い耄れめ、いつになったら弱くなるんだ?十年以上の付き合いだったが俺があの世界を去るまでには全く衰えを感じさせなかったぞ。二百歳まで生きるんじゃないのか?)
人狼の孤王と渡り合えるだけのステータスと技量があるのであれば、こちらの世界なら二百年生きてもおかしくはないかもしれない。ただし、元の世界では二百年も生きるのは妖怪としか言いようがないのでそれはありえない。
君主級の獣系魔人職の五感は途轍もなく強化される。変身すればなおのこと鋭くなる。例えば、草木の陰に潜む者たちの息遣いなども。
「・・・出て来い」
「グルルルルルルルル」
低く唸り声を上げながら低木の隙間を潜り抜けて一匹の大きな狼―魔狼が姿を現した。その大きさは地球で絶滅したダイアウルフと同じほど、もっとわかりやすく言うならやや小さなライオン程度の大きさがある。
足音と呼吸音を聞く限り、今出て来たのも含めて狼たちは六匹は居る。他の狼は茂みを右回りに移動して、士郎の側面や背後に回り込むつもりのようだ。
士郎の前に姿を現した魔狼は戸惑っていた。泉で一人でいるのを見かけた時は逸れた猿系の魔物だと思い、襲撃の機会を窺っていると突然咆哮を上げ、二足歩行をする自分たちの同種へと姿形を変えたのだ。戸惑い、警戒するのは致し方が無いことだった。
それに対して士郎は回り込もうとしている魔狼たちを気にしつつ、リーダー格の魔狼Aに対して右足を引き、半身の構えを取る。これは、負けず嫌いな士郎が毎日のように武蔵に挑んでいたため染みついた構えだった。
魔狼どころか士郎まで牙を剥き出しにし、喉を低く鳴らしながら睨み合う。勿論、喉を鳴らしたのは無意識で士郎はそのおかしさに気が付いてもいない。周囲の敵へと気を配りつつ、思考を回していく。
(狼か・・・食用に向くとは思えん。詰まる所、単なる経験値としてしか役立たないということか。見た目から同列に考えるのは哀れな気がするがゴブリンと扱いはそう変わらないな。そもそも俺の場合は食ったら共食いにならないか?・・・・なるほど、良いことを思いついたぞ。しかし、それだけの価値があるかどうか、悩ましいところだな)
「ヴォン!!」
士郎が思考を逸らしたのを隙と見たのか魔狼Aが士郎へと飛びかかる。それを合図に側面、背後から魔狼が二匹音を立てずに襲い掛かる。その他は後詰めとして少しずつ士郎と距離を詰めている。これは彼らの必勝法だった。
しかし、ありとあらゆる相手に通じるわけではない。士郎は前へと踏み込み、魔狼Aとのすれ違いざまにその脇腹を殺さぬ程度に殴りつけ、魔狼Bへとぶつける。そして、左足を軸に反転し、こちらも殺さぬ程度に手加減した回し蹴りを背後の魔狼に叩き付け、吹き飛ばす。残りの魔狼が動きを止めるとその顔に嘲笑を浮かべ、彼らの身体を影によって大地へと縛り付ける。
「獣にしては良く考えたのものだったな。・・・ギリギリ合格だ」
士郎にとっては驚きのある戦闘だった。一匹が注目を集め、残りは気配を殺して襲撃する。これ自体は包囲をして獲物を狩る狼ならできそうなことだ。士郎が驚いたのはリーダー格の狼が獲物の動きを牽制したことである。この世界において、魔物であれば草食であろうとそれなりの力を保有していることが多いため、獲物の動きを止める役は群れの中で一番強い個体が行った方が良く、それ故に地球の狼の狩りとは少しの違いが生まれていた。
士郎によってダメージを負った個体に影が這いより拘束される。“影”スキルは魔力を消費せずに発動できる希少なスキルだが、その分質が固定されているため数で補うほかなく、魔狼たちはミイラと化してしまっていた。呼吸できるように鼻だけは防がれていないのが不幸中の幸いと言えるだろう。
士郎は魔狼たちの状態に満足し、ステータス画面を開く。代り映えのしないレベルに少しの落胆を覚えつつも、目的のスキルの所までスクロールし、解放する。
【“王”がアンロックされました】
王Ⅰ
気品 0
威厳 0
統率 0
魅力 0
スキルポイント:6
気品:王若しくは貴族としての気品を感じさせる。レベルが上がるごとに動きが自然と洗練され、いかなる行動にも上品さが出てくる。
威厳:王若しくは貴族としての威厳を感じさせる。レベルが上がるごとに周囲の人物の気を引き締め、敵対者を気後れさせる。
統率:指揮をする者にとって重要な人心掌握術の事。レベルが上がるごとに周りの感情の機微などに敏感になり、それに対する正しい対処の仕方などが分かる。
魅力:他人を引き付ける魅力を感じさせる。レベルが上がるごとにカリスマ性が増していき、周りに自然と人が集まる。
“王”スキルに含まれていたものはどれもまともではない一部の王族としては喉から手が出るほど欲しいものだ。だが、士郎にとって“威厳”以外はいらないものでしかなかった。
(“気品”は純粋に要らないだけだが、“統率”と“魅力”は余計だな。そもそも、周りにの連中に媚を売って何になるんだ?“魅力”にしても周りに人が集まってきたら邪魔くさくて仕方がないだろうに)
しかし、魔狼を配下にするならこの二つにポイントを振らないわけにもいかず、渋々“気品”以外の項目に一ポイントずつ振っていく。
王Ⅰ
気品 0
威厳 1
統率 1
魅力 1
スキルポイント:3
ポイントを振った瞬間、魔狼たちがその体を強張らせた。その体が大きくなったわけでも、爪が鋭くなったわけでもなく、その顔つきがさらに凶悪になったわけでもない。だが、目の前の存在から発せられる威圧が、その体を大きく、爪を鋭く、そして顔つきを凶悪なものに感じさせた。
しかし、感じたのは恐怖だけではない。不思議と惹きつけられるような、うまく言葉に言い表せない曖昧な魅力が発せられていた。
士郎は魔狼たちの雰囲気の変化に若干心の中で首を傾げた。何故ならば、士郎には己の変化を感じ取ることが出来なかったからだ。“気品”のレベルを上げたのならば、多少は変化を感じ取ることが出来たのだろうが、他の三つは低レベルの内にはなかなかに感じ難いものだ。
影の拘束を解くと、魔狼たちは困惑しながら立ち上がり、士郎の反応を窺う。逃亡を図ろうとするものは居なかった。それどころか、士郎を注視したままその場から全く動かない。
士郎にとってここまでの効果を発揮するのは予想外であり、同時に都合が悪いことだった。魔狼のように士郎の変化に気づけるなら、同じ君主級ならどんなスキルを持っているのかわかる。怜に手の内がばれるのは避けたいところだ。
「・・・これは戻る前に偽装手段を考えておいた方が良いな。まあ、今はいい。それで、お前たちは俺の言葉を理解できるのか?出来なくとも雰囲気で感じ取れ。お前たちには俺の配下になってもらう。ならないならば、ここで殺す」
服従か死か。それはこの世界で他種族に対して行われる行為の中では慈悲のある方だ。一部美しい種族に至っては下劣な欲望から提案されることはあるが、弱肉強食の自然界においては珍しいことだと言える。だからこそ、魔狼たちはそのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
『キャン!』
魔狼は一斉に仰向けになり、服従の姿勢を示す。その動きは士郎を感心させるほどには鮮やかなものだった。
実は士郎は動物のことが好きだ。あくまで人間よりはという条件が付くが、従順な魔狼の姿を見て可愛らしさを感じ、士郎は魔狼たちへの心証を良くした。
配下を作り、いざという時の戦力とするという目的を達した今、士郎が次になすべきことは決まっていた。
「よし、まずは昼飯を探しに行くぞ!それぞれ仲間と一定の距離を取りつつ移動を開始する」
『ウォン!!』
脱ぎ捨ててあった制服を腰に巻き、魔狼たちに先導されながら、まだ見ぬ異世界の肉へと期待を膨らませた。
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