scene:97 二度目の御前総会
完成したばかりのベネショフ橋を渡り、デニスたちはバラス領に入った。エグモントはバラス領の町を観察し、少し活気がなくなっているように感じた。
「どういうことだ?」
エグモントが呟くように言った。それを耳にしたゲレオンが、
「何がでございますか?」
と不思議そうな顔をして尋ねた。
「バラスの領民に活気が感じられん。どうしてだろうと思っただけだ」
デニスもそのことには気づいていた。バラス領における農産物の収穫高は平年並みだったと聞いている。これほど活気がなくなっている理由は、一つしか考えられない。
領主であるヴィクトールが、税率を上げたのだろう。おかげで領民の消費活動が低減し商店街などの売上も減少しているに違いない。
デニスたちは昼時となったので、バラスの商店街で食事にすることにした。食事処という看板がある店に入り、パンとスープを注文する。
食事が出てくるのを待っていると、周りの客が話している声が聞こえてきた。
「春になって人手が足りないというのに、まだ綿糸工場の仕事を手伝えと言ってるらしい」
「何、お前のところもか。うちの嫁もだ」
近くの店の従業員らしい男が溜息を吐いた。
「はあっ、増税したうえに働き手も取り上げられたら、今年はどうなるんだ?」
「愚痴はやめろ。バラス領は隣よりはマシなんだ」
バラス領の領民が隣と言っているは、間違いなくベネショフ領のことである。ベネショフ領の状況は改善しているとはいえ、問題が山積みの領地なのは間違いない。デニスとエグモントは顔を見合わせ苦笑いした。
とりあえず、ヴィクトールが増税したことで、バラス領の活気が減少していると確かめられた。デニスたちはパンとスープの食事を終え出発する。
この時期のエニダル街道は王都へ向かう旅人や商人が多い。それらの人々は守ってくれそうな集団を見つけると、その後ろに付いて旅する習慣がある。
デニスたちの後ろにも行商人が数人付いてきていた。デニスはその商人たちに話しかけた。
「お前たちは、どこの商人なんだ?」
「クリュフ領の者です。領地で仕入れた綿織物を王都に運んで売っています」
「もしかして、王都で評判になっている新しい綿織物を?」
「いえいえ、あれは値が張りますので、仕入れられません」
ベネショフ領で作られた綿糸を使った綿織物を商っているのかと思ったが、行商人たちは昔からある綿織物を商っているらしい。
エグモントがバラス領で作られている綿糸について尋ねた。
「あまり品質の良くない綿糸だったようで、クリュフで買い叩かれたそうです。人件費を考えますと、バラス領は損したのでは、と思います」
実際、クリュフ領に売却した分の綿糸については、バラス領に損はなかった。労働力がヴィクトールの命令で集められ、無給で働かされた者たちだったからだ。ただ大量の未加工綿を残したまま春になったので、農繁期になる今後はどうするのかが問題になっていた。
王都に到着し建設中の屋敷に向かう。屋敷では使用人用の住居は完成していたが、母屋はまだだった。デニスたちは使用人用住居で寝泊まりすることにする。
御前総会の日、デニスとエグモントは正装して登城した。ゼルマン王国の伝統的な貴族の正装は、軍服のような服の上にインバネスコートを羽織った姿である。
デニスとエグモントは最近仕立てたもので飾りがほとんど付いていない控えめなものだ。これが、侯爵や伯爵になると金糸や銀糸で刺繍された豪華なものに変わる。
大広間に入ったデニスたちは、後列に並べられている椅子に座る。そこは男爵や準男爵が座る席で、先に来て座っている男爵や準男爵に挨拶する。
最後に国王マンフレート三世が現れ御前総会が始まった。まず国王の挨拶で始まり、報告書を提出する。この報告書の提出も儀式化しており、各領地の当主が国王に挨拶をして報告書を提出する。
一日目は無事に終わり、翌日から詳細を聞く必要があると判断された報告書を基に国王と貴族の質疑応答が始まる。
最初にダリウス領のバルツァー公爵の名前が呼ばれた。次々に貴族の名前が呼ばれ、その貴族が国王の質問に答える。
何回かの休憩を挟んで午後になり、エグモントの名前が呼ばれた。デニスとエグモントは前に進み出る。
「エグモントよ。新たな兵士の訓練は進んでおるのか?」
「はい、陛下。順調に進んでおります」
「ふむ、いいだろう。ところでベネショフ領では綿糸を作る事業を始めたようだな?」
「昨年の夏頃から始めております」
「報告書を見たが、十分な収益が上がっているようだ。綿糸製作は難しいと聞いておったが、どうやって事業を成功させたのだ?」
「息子のデニスが中心となり、必要な道具を揃え職人を訓練した結果でございます」
手動式ミュール紡績機などの機械の存在は、『必要な道具』という言葉で曖昧にしてエグモントは説明した。デニスとの打ち合わせ通りである。
「なるほどよく分かった。ところで、ユサラ川に橋を架けたと報告に上がっておる。どういう橋なのだ?」
デニスはベネショフ橋を描いた絵を持参していたので、それを国王に渡した。
「見事な橋だ。ヘルムス川の橋も、これほど立派になれば良いのだが……」
国王は絵を見ながら、ヘルムス川の橋という懸案事項を口にした。
ヘルムス川の橋は、毎年のように洪水で流されるらしい。秋の長雨の時期に王都の東にあるクワイ湖に雨水が溜まり、クワイ湖から海へと流れるヘルムス川が洪水を起こす。
そのためにヘルムス川の橋は、段々と粗末な橋が架けられるようになった。毎年のように破壊されるので、立派な橋を架ける気にはならないのだ。
国王は少し考え、エグモントに尋ねた。
「エグモントよ。ヘルムス川に洪水でも流されない橋を架けられると思うか?」
その質問に、エグモントは困った。橋についてはデニスに任せていたからだ。
「実際にベネショフ橋の建設を差配したデニスがお答えします」
質問を振られたデニスは、必死で考えた。
「ヘルムス川の地形を知りませんので、即答はできかねます。ただ橋を架けるのに適した地形があれば、可能だと思います」
それを聞いた国王は、一つの提案をした。ヘルムス川に洪水で流されない橋を架ければ、新たな領地を与え男爵に陞爵させるというのだ。
「陛下、お待ちください。それはあまりに不公平です」
最前列に座って聞いていた高位貴族たちの中で、バルツァー公爵が異議を挟んだ。異例のことである。
国王は鋭い視線をバルツァー公爵に向けた。
「不公平とは、どういうことだ?」
「い、いえ。ベネショフ領だけに機会を与えられるのは、公平ではないと思っただけでございます」
思わず口を挟んでしまったが、相手が国王なのを思い出し、必死で公爵が言い繕う。その言葉に国王は頷いた。
「なるほど、公爵の言い分はもっともである。ヘルムス川の洪水に耐える橋を架けられる技術を持つ貴族は、申し出よ。その橋の図面を見て任せよう」
国王が言う図面とは、完成予想図みたいなものである。褒美はベネショフ領に約束したものに準ずる、と国王は約束した。
ただ準ずるといっても、男爵を子爵に、子爵を伯爵するというわけではない。準男爵から男爵へ陞爵するのに必要な功績と男爵を子爵へ陞爵するのに必要な功績の大きさは異なるからだ。
前列に並ぶ高位貴族たちがざわついた。どの貴族もチャンスだと思ったのだ。
エグモント準男爵への質疑応答が終わり、ヴィクトールの名前が呼ばれた。入れ違いに席に戻ったエグモントに、男爵や準男爵が何の騒ぎか質問した。
エグモントがヘルムス川の橋の件を話すと、貴族たちの目が輝いた。だが、デニスの一言で沈静化する。
「しかし、これは手伝い普請です」
手伝い普請とは、貴族たちがもっとも嫌がっているものだった。自前で費用や苦労を引き受け、道路の整備や橋の建設をするということだったからだ。
ヴィクトールが不機嫌な顔で戻ってきた。国王に叱責されたようだ。どうせ無謀な紡績事業はやめろと注意されたのだろう。
次期領主であるカミルが、呪い殺さんばかりの目でデニスを睨んだ。国王がカミルとデニスのことを比較して何か言ったのかもしれない。
御前総会が終わり、デニスたちは屋敷に戻った。エグモントとデニスは、親子だけで話し始めた。
「ヘルムス川の橋を建設することは可能なのか?」
「陛下にも答えたように、実際に地形を見てみないと……」
「それはそうか。だが、本当に橋を架けることになれば、ベネショフ橋以上の費用が必要だ」
ベネショフ橋は領民を作業員として使えたので、費用が安くなったという事情もある。だが、ヘルムス川の工事になれば、領民を雇うわけにはいかない。
「とりあえず、地形を調べてみます」
「そうだな。それで提案したとしても、それ以上の提案を他領がするかもしれん」
エグモントはデニスを一種の天才だと思っている。但し、天才は全能ではない。専門家が勝つこともある、とエグモントは知っていた。




