scene:96 八階層の鉱床
「危ない!」
リーゼルの叫びが屋敷の部屋に木霊する。デニスを心配した叫びだったが、その心配は無用だった。デニスの周りには、展開された装甲膜が存在したからだ。
鬼女に変化した眠り姫の攻撃を装甲膜が弾き、同時にデニスの拳が鬼女の顔面を襲う。鬼女はデニスの拳を振り払い、天蓋付き寝台から躍り出た。
鬼女は鋼鉄製のような爪で、デニスを引き裂こうとする。デニスは躱しながら剣を抜くと、鬼女に向けて斬撃を放った。敵を斬り裂くかと思われた斬撃は、素早く滑らかな動きをする鬼女に躱され、反撃の爪がデニスを切り裂こうとする。
「うおっ!」
装甲膜で弾けると分かっていても反射的に必死に躱そうとするデニス。デニスと鬼女は部屋中を移動しながら激しい攻防を繰り返した。
デニスは戦いが楽しくなっていた。宮坂流の技を十分に発揮して戦うことができたからだ。上段に剣を構え、立ち木打ちをするように連続した袈裟懸けの斬撃を鬼女に放つ。
その斬撃の一つ一つには、絶大な威力が込められていた。残念ながら必死になった鬼女が躱してしまったが、その威力は背後にあった寝台がバラバラに斬り裂かれ床に散らばることで証明された。
「ギィギャアアアアア───!」
突然、鬼女が叫び声を上げた。その途端、鬼女の筋肉が膨れ上がる。細かった身体が、ボディビルダーのようなゴツイ身体となって、デニスに襲いかかった。
「変身するなんて、聞いていないぞ」
デニスが見当違いの文句を言う。それほどにパワーアップしていた。強靭な爪が振り回され、デニスが避けると背後の壁に大きな溝が刻まれた。この威力だと装甲膜で弾けるかどうか。
リーゼルたちも戦いに参加しようとしたのだが、立ち位置を入れ替えながら戦う両者の間に踏み込めず、傍観するしかなかった。
「攻防が速すぎる。私たちが無理やり攻撃すると、デニスの邪魔になるかもしれない」
リーゼルが長巻を手にしながら、アメリアたちに告げた。
デニスは『加速』『雷撃』の真名を解放した。宝剣緋爪を右手に持ったデニスは、進化した技を試すつもりになった。元々は宮坂師範がアイデアを出し、雅也とデニスが修練した『加速』と『雷撃』を使った攻撃技だ。
デニスの左手には雷撃の指輪が填められている。雷撃の指輪は魔源素結晶を使って製作すると、威力の低いものしかできなかった。魔源素結晶が小さすぎたのだ。そこで影の森迷宮で手に入れた迷宮石で雷撃の指輪を作った。
鬼女から距離を取ったデニスは、二連続で雷撃球を放つ。『雷撃』の真名を使って制御されたもので、鬼女の頭上を飛び越え反転して背後から襲いかかる。
デニスは床を蹴って加速。その加速エネルギーを『加速』の真名を使って倍加させる。デニスの足が床を蹴るたびに凄まじい勢いで疾駆速度が増し、神速の域に達した。
鬼女が最初に放った二連の雷撃球を躱し迫ってくる。それを迎え撃つデニスは、雷撃の指輪から雷撃球を放った。この攻撃は避けられず鬼女に命中。
「ギュアッ!」
鬼女が悲鳴を上げ、そこにデニスが跳び込んだ。苦痛に耐えた鬼女が凶悪な光を放つ爪をデニスの胸に伸ばす。次の瞬間、デニスの姿が幻のように消えた。
「ええーっ!」
リーゼルが大きな声を上げた。同時に宝剣緋爪が鬼女の胴を半分ほどを斬り裂く。鬼女はよろよろとアメリアの前に進み出た。
アメリアは待ってましたとばかりに長巻を振り下ろした。鬼女の頭が割れる。
「あっ」
アメリアが小さな声を上げた。
床に倒れた鬼女は塵となって消えている。リーゼルはホッとしたような表情を浮かべた。
「女性に『年増』という言葉を使っちゃダメよ」
デニスは苦笑いして頷いた。
「そうみたいだな。実感したよ」
そう言いながら額に浮かぶ汗を拭った。
ヤスミンがアメリアに近寄って尋ねた。
「ねえねえ、アメリア。何か真名を手に入れたの?」
「手に入ったけど、あまり役に立たないものだった」
デニスがアメリアに確認した。
「何ていう真名だったんだ?」
「あのね、『若作り』っていうの」
デニスが何とも言えない表情を浮かべ溜息を吐いた。一〇代前半のアメリアにとっては、あまり意味のない真名かもしれないが、世間的にはもの凄く貴重な真名だと思う者が大勢いると思ったのだ。
「アメリア、その真名は誰にも言わない方がいい」
そんな真名が存在することを知った女性は、アメリアを特別視するだけでなく、妬むかもしれない。
「あの鬼女は、グーラーだと思うの。でも、何でグーラーが『若作り』なんていう真名を持っていたのかしら。もしかして、もの凄い老女のグーラーだったのかな?」
グーラーというのは食人鬼の女性アンデッドである。
リーゼルの疑問に答えられる者はいなかった。とはいえ、デニスもその推測は当たっていたかもしれないと思った。何故なら一発でアメリアが真名を取得したからだ。
魔物が長生きして体内に魔源素を溜め込むと、真名が手に入りやすくなるという法則がある。それを根拠として推測すると、あの鬼女は長生きしていたと思われる。
その日は地上に戻り、次の日も八階層の探索を続けた。デニスたちは城だと思われる建物に行く前に、この階層に何の鉱床があるのかを調査することにした。
その調査途中で遭遇した魔物は、ほとんどがスケルトンだった。蒼鋼や緋鋼で作られた武器があるので戦いやすく、おかげで調査は進んだ。
但し、鉱床がある可能性が高いと思っていた階層を囲んでいる岩壁には存在しなかった。
「どこにあるんだ?」
デニスたち全員が首を捻った。
「町の中に鉱床があるのかも?」
「そうだな。調べてみよう」
リーゼルとデニスが話し合い、廃墟の町を綿密に調べ始める。
町の八割を調査した頃、半壊した倉庫を発見。調べるために中に入った。屋根の一部が崩れており、中に残骸が散らばっている。
倉庫に保管されていた商品は朽ち果てており、何だったのかも分からない。
「ここじゃないみたい」
アメリアが声を上げた。鉱床のようなものは存在しないように見える。
「あれっ、何だろう?」
フィーネが何かを発見して倉庫の角に進み出た。そこには屋根の残骸があり、その隙間に水の入った風船のようなものが落ちていた。
それを拾い上げたフィーネがデニスのところに持ってきた。
「デニス様、これ何?」
手に取ったデニスは、風船の中身が水ではなくゼリー状のものだと気づいた。
「持って帰って調べよう。これは一つだけだったのかい?」
調べてみると、屋根の残骸の下に多数の同じものが発見された。デニスたちは拾い集めて地上に戻る。
そのゼリー状のものを調べた結果、太陽光を当てると固まる性質を持つ樹脂だと分かった。雅也の世界で、UVレジンとか紫外線硬化樹脂と呼ばれているものだ。
「これは応用範囲が広そうだ。何に利用するか、じっくりと考えよう」
ダイニングルームでお茶を飲みながら考えていたデニスに、アメリアたちが近寄った。
「デニス兄さん、八階層で見つけたものが、何だか分かった?」
「あれは太陽の光を当てると固まる糊のようなものだった」
「へえー、糊か。あんまり高く売れそうにないね」
アメリアの言葉とは反対に、紫外線硬化樹脂は利用価値が高いと分かり高価な品物となった。そして、八階層の鉱床は、紫外線硬化樹脂の鉱床だと判明する。
鉱物以外のものを産出する迷宮は珍しいが、他にも存在するようだ。特に有名なのは、ミモス迷宮の七階層で産出する紙の原料となる繊維ブロックだ。
デニスが八階層の鉱床を突き止めた頃、毎年の恒例である王都行きの予定が決まった。春に行われる御前総会である。
デニスとエグモントは、領地経営に関する報告書を作成し準備を行う。この一年は様々なことがあり、報告書の枚数が増えていた。
岩山迷宮が八階層まで存在すること。発光迷石の販売や紡績産業で上がった利益、それにユサラ川に橋を架けた費用などのページが増えていた。
報告書の作成が終わったデニスたちはベネショフ領を出発した。同行するのは従士ゲレオンと兵士五名である。




