scene:91 失敗は技術者を育てる
マンションの寝室で起きた雅也は、シャワーを浴びてさっぱりした。
浴室から出て時計を見ると、八時を少しすぎている。タブレットの電源を入れ、今日のニュースをチェックする。アメリカと中国の対立が大きなニュースになっていた。
「おっ、川菱重工のホバーバイクがニュースになっている」
川菱重工で行っているホバーバイクの開発が順調だとニュースになっていた。実用化が近いのかもしれない。但し、日本での法整備には時間がかかるようだ。
川菱重工では砂漠や交通網が未整備の地方における移動手段として、海外で売り込むことを考えているという。また水上バイクのように、海上を移動する手段としても考えており、日本では公道を走るより先に海上を走るホバーバイクが許可されそうだとニュースになっていた。
雅也は朝食を済ませると、パソコンを立ち上げた。雅也が設計用に使っているパソコンで、二年前に二〇万ほどで購入したものだ。
三次元設計支援ソフトに、デニスから頼まれた王都屋敷の設計データを読み込み、水回りをどうするか検討した。デニスの世界の建築物で注意しなければならないのは、電気・水道・ガスなどのライフラインが使えないということだ。
トイレだけは水洗トイレにしたいと考えているデニスの要望で、雅也はいくつかの工夫を凝らしている。二階建ての建物程度の高さがある櫓の上に高架水槽を設置。風車を動力にして水を高架水槽に溜め、水回りに使うようにした。
王都の水は近くを流れるヘルムス川上流から用水路を使って運ばれてくる水が使われている。貴族の屋敷には優先的に、その水が配水されるので問題ない。
ただ風車を動力に使うので、風のない日は問題だ。雅也は風車動力のポンプの他に手押しポンプも備え付けた。
「問題は下水をどうするかだな」
王都モンタールの下水は、基本的にクワイ湖に垂れ流している。今のところ問題になっていないが、長期間この状態が続くと汚染され、湖の水が酷いことになりそうだ。
それを考えた雅也は、浄化槽を設置することにした。沈殿と土壌バクテリアを利用した原始的なものであるが、何もしないよりはマシだと判断する。
水回りの設計を終えた雅也は、データをセーブして出掛けることにした。川菱重工の開発チームから試作のホバーバイクが完成したので披露したいと、工場に招待されているのだ。
工場に行く前に、中古車販売店から手続きが終わったので、いつでも納車できると連絡が入った。雅也が購入したスポーツセダンの連絡だった。会社員だった時は車の必要性を感じなかったのだが、最近になって車が欲しいと思うようになり、購入を決めたのものだ。
雅也はすぐに納車するように頼んだ。一五分ほどでマンションの駐車場に車が届いた。メタリックブルーの大排気量エンジンを積んだスポーツセダンだ。
そのまま車に乗り込んだ雅也は、川菱重工の工場に向かった。工場の門で担当の社員を呼び出してもらう。
「ようこそ、川菱重工第八工場へ」
担当の西峰は二〇代後半の男性だった。何かスポーツをしているようで、身体が引き締まっている。
雅也の車でテストコースへ向かった。
「いい車ですね?」
「ああ、買ったばかりなんですよ」
「マナテクノさんは、景気がいいようですな?」
「それは川菱重工さんも同じでしょう」
動真力機関に関連する三社は、かなり評価が上がった。おかげで株式上場している川菱重工とトンダ自動車の株価は急上昇している。
「そういえば、海外企業から様々な引き合いが来ていると聞きましたが?」
動真力機関の技術が欲しい海外企業が、共同開発や技術提携をしたいと申し込んでいるらしい。マナテクノにも多くの企業から話が来ているようだ。
「取引のある海外企業から頼まれるので、断るのに苦労していると聞きました。動真力機関の関連技術に関しては日本企業で独占する方針のようです」
これは川菱重工やトンダ自動車だけでなく、日本政府の国家戦略にもなっているようだ。それを知った海外企業や各国政府は、魔勁素を使った動真力機関の研究に力を入れているという。
ただ魔勁素動真力機関の量産化は難しいと川菱重工は考えているようだ。それより、ドローンの技術を応用したホバーバイクの存在を警戒しているらしい。
このタイプのホバーバイクは開発が完了しており、販売に乗り出した企業が存在する。ドバイ警察が空飛ぶバイクを導入したと話題になったこともある。
「あの手のホバーバイクは、まだまだ高額なようです」
「どれくらいです?」
「一〇〇〇万円だそうです」
川菱重工は開発しているホバーバイクを二〇〇万円ほどで売る予定らしい。これほど安くで売れるのは、動真力機関以外の技術がバイクやヘリコプターの技術を応用でき、開発費を圧縮できたからだ。
動真力機関を駆動するための電力は小型高性能発電機から供給される構造のようだ。これも安く売るための方針である。
テストコースに到着し、入口近くに車を停めて技術者たちが集まっている場所まで行く。そこには流線型の航空力学を考慮した機体が置かれていた。
試作したホバーバイクは三台あり、二台はマナテクノがデモンストレーションで開発したものに似ていた。だが、残りの一台はバットマンシリーズに出てくるようなゴツゴツしたマシンだ。
「あれは?」
雅也が尋ねると、西峰が困ったような顔をして答える。
「あれは、若い技術者たちの発案で試作したのですが、完成度が低いんです」
最後の一台だけは、ホバーバイク用に開発された動真力機関のヴォルテクエンジンではなく、一回り大きなエンジンを積んでいる。
「ホバーバイクに搭載するには、馬力がありすぎるんじゃないですか?」
雅也が気になった点を指摘した。
「そうなんですが、スペシャルなものを作りたいと、技術者たちが言うので任せたようです」
テスト飛行が始まった。動真力機関が動き始めると試作機が浮き上がりテストコースを周回する。一台目、二台目は順調にテスト項目を潰して行き、三台目の完成度が低いと言われていた試作機が試されることになった。
この試作機だけは人間が操縦するのではなく、リモコン装置で操縦するらしい。それだけ信頼度が低いのだろう。その機体が浮き、テストコースなりに飛翔を開始した。
最初は順調だった。二周した後、高速飛行に切り替えられる。その瞬間、試作機が跳ね上がる。リモコンを操縦していた若い技術者が慌てたように操作している。
「止めろ!」
技術者の責任者らしい者が叫んだ。そのタイミングが悪かった。パニックに陥った若い技術者がリモコン操縦を誤り、試作機の速度が上がった。ブレーキと間違ってアクセルを踏んだような状況である。
「ああっ、これはダメだ」
この時点ではテスト飛行が失敗だったというだけで、雅也は面白いものが見れたと思っていた。
だが、試作機が西の方角に流れ始めた。それは雅也の車が停めてある場所である。
「な、何で……」
テストコースから出ようとする試作機を止めようとした若い技術者は、高度を下げようとする。
「そっちはダメだ!」
雅也が叫ぶ。しかし、試作機は買ったばかりのスポーツセダンの上に落下。車のボンネットに突き刺さり、試作機が止まった。
「……」
西峰が雅也の顔を見て何か言おうとしたが、言葉が出なかったようだ。
雅也は車の方へ走った。買ったばかりの車が煙を上げており、大排気量エンジンが潰れている。
「こんなことになるなんて……」
その後、川菱重工の常務が来て、雅也に同車種の新車を買って弁償すると告げた。常務と技術者たちが何度も謝るので、雅也は開発に失敗は付き物だと許した。
壊れた車はレッカー車でマナテクノの工場に持ち込まれた。神原教授と技術者たちが欲しいと言ったからだ。その車体を使って、実験したいことがあるらしい。
技術者たちは車をバラバラに解体し、改造を始めた。座席の下にヴォルテクエンジン四台、エンジンがあった場所に二台取り付けた。
ヴォルテクエンジンは戦闘機の推力偏向ノズルのように推力の方向を変更できるようになっている。これを電子制御することで、自由自在に移動できるようになるアイデアだそうだ。
電力供給用に発電機や姿勢制御装置が載せられ、解体した車体が元に戻される。
神原教授と技術者たちは、この改造車を使って散々テストを行ったようだ。そして、テストが終わると雅也に返された。
「ちょっと待った。返されても使えないだろう」
神原教授に文句を言った。教授は肩を竦めて言い放つ。
「廃車にするしかないかな。その時はヴォルテクエンジンを外して工場に返してくれ」
教授はテストが終わったので、この改造車に対する興味を失ったようだ。雅也には川菱重工から贈られた新車があるので、この改造車は必要ない。
「だけど、マナテクノが作った記念すべきテストカーなんだよな。ちょっと内装を綺麗にして残しておくか」
雅也は軽い気持ちで、残すことに決めた。




