scene:84 監査官
王都からベネショフ領に戻ったデニスは職人たちに紡績関連の機械製作を頼んだ後、工場建設予定地に向かった。領主の屋敷から岩山迷宮へ向かう途中にある広大な荒れ地が建設予定地である。
元々畑にしようと雑草を刈り取り整備した土地なのだが、土に多くの塩を含んでいることが分かり放棄された。その区画の広さは五ヘクタールほど、その中の二ヘクタールほどの土地に紡績工場を建設しようとしていた。
到着したデニスは、すでに大勢の土木作業員が働いているのを目にした。土地の周囲をぐるりと囲む塀を造っている。塀はデニスたちが王都へ行っている間に半分ほどが完成していた。
「デニス様、後一月ほどで塀は完成します」
紡績工場の責任者になる予定のヘルベルトがデニスに気づき傍まで来て報告した。
「ご苦労さん。工場建物はどうなんだ?」
「今、材木を集めています」
塀は石と漆喰で造られているが、建物は木造になる予定だった。その建築に使われる木材は、かなりの量になるので、近隣の領地からも集めていた。
一番近い隣領であるバラス領がベネショフ領に協力するはずもないので、ミンメイ領などから購入し船で運んでいる。
「ミンメイ領の船で運んでいるので、運送費が高くなっています。ベネショフ領の貨物船があればいいんですが」
デニスも貨物船が欲しいと思ってた。だが、大型の貨物船を建造する技術はベネショフ領にはなかった。購入することは可能だったが、自領で建造するより三倍近い値段になるらしい。
雅也に造船技術を調査してもらおうと考えた。この時、デニスは簡単に造船技術を集められると考えていた。だが、実際に木造帆船を建造する技術を集めることは難事業なのだと分かる。
「クリュフ領から注文があった糸の製造は進んでいるのか?」
デニスの質問に、ヘルベルトが苦い顔をした。
その顔を見たデニスが不安になって確認する。
「難しいのか?」
「いいえ、順調に製造は進んでいます。ただ期日に間に合わせるために、大勢の臨時作業員を雇わねばなりませんでした」
臨時作業員を雇うのに必要だった費用を聞いて、デニスはホッとした。心配したほど高額ではなかったからだ。
「それくらいなら問題ない。このまま製造を進めてくれ」
「分かりました」
それから一〇日後、綿糸の束が出来上がった。その束を荷車に乗せて、エグモントがクリュフまで行き、無事に納品して四五〇枚の金貨を手に入れた。
ベネショフ領に戻ったエグモントは、デニスに持ち帰った金貨を見せた。
「こんな取引が、後四回もあれば借金を返せますね」
「そうだな。しかし、そんなに注文は来ないだろう」
エグモントが注文が来ないと言ったのは、綿糸の段階でも馬鹿高いのに織物になったら、どれほど高価なものになるか想像がついたからだ。
だが、エグモントの推測は間違っていた。確かにベネショフ領の綿糸から作る織物は高くなる。それでも今までの綿織物とは比べられないほど高級感があり、絹織物に比べれば安価だった。
それに気づいた貴族や商人が競ってクリュフの新しい綿織物を買いあさり、クリュフから入荷するとすぐに売り切れになるという状態が続いた。
エグモントが納品した一ヶ月後に、また注文があったことから、王都で売れているのだと分かった。
秋も深まった頃、サンジュ油の製造が始まった。今年のサンジュの実は昨年の倍ほど実っている。サンジュ林の管理が行き届き、一本のサンジュに実った数が多かったからだ。
アメリアたちもサンジュの実を集める作業に参加していた。
「今年の実は多いね。たくさん集めるから買って欲しいものがあるの」
「何が欲しいんだい?」
アメリアが欲しかったのは、フィーネとヤスミンの服だった。王都に行った時、二人は自分たちのツギハギだらけの服を気にしていたらしい。
「いいだろう。フィーネとヤスミンには、迷宮の探索もやってもらっているから、お礼に服を贈ろう」
「本当に……ありがとう」
エグモントが連れてきた三人の機織り技術者に綿織物を織ってもらい、それを服に仕立てればいいと考えた。
サンジュ油の製造は上手くいった。搾り取った油は昨年の倍以上となり、クリュフ領で売って金貨四二〇枚を手に入れた。
大勢の人々が参加したサンジュ油の製造が終わり、今年も慰労会を行なうことになった。但し、ベネショフの町全体で行なう祭りとして、できる限り盛り上げようと考えた。
祭りの場所は紡績工場の建設予定地である。この更地の半分以上が未利用になっているので、祭りの会場として使うことにしたのだ。
祭りは盛大なものになった。町の住民のほとんどが祭りに集まったのではないだろうか。昨年と同じライ麦パンの他に大量の魚と肉が料理され住民に振る舞われる。
デニスは祭りに集まった住民の姿を観察していた。ほとんどの住民は痩せている。栄養不足なのだ。体格のいい住民は漁師の家族ぐらいらしい。
これにはデニスが用意した定置網が貢献している。定期的に大量の魚が取れるので、漁師の生活が安定してきたそうだ。
「兄ちゃん、これうまいぞ」
農民の子供らしい痩せた少年が、串焼きの魚を持って同じく痩せた兄に言っている。着ている服もぼろぼろで、その貧しさが分かる。小作人の子供たちなのだろう。
そんな子供たちが大勢いた。その中の一人が泣きながら焼き肉を食べていた。
「うまい、うまいよ。豚肉なんて初めてだよ~」
その豚肉はクリュフで売られていた豚肉を買って、塩漬けにして運んできたものだ。痩せ細った子供たちはベネショフ領の貧しさを象徴しているようで、デニスは胸が苦しくなる。
「あの子供たちが、ちゃんと食べられるようになり、もう少し上等な服が着れるようにしなければダメだな」
その呟きが耳に入ったエグモントが、デニスの肩を叩いた。
「焦る必要はない。このままベネショフ領が発展すれば、必ず実現できる」
「焦っているわけじゃないんだ。ただ大嵐や地震などの災害がベネショフ領を襲ったら───と考えると」
「予測すらできんことを考えるな。祭りなんだから楽しめ」
エグモントの言葉は正しい。雅也の住んでいる日本と違い、この世界では大嵐の予測などできなかった。地震など占いに頼るしかないという状況である。
「余裕があれば、そんな災害に備えて食料などを備蓄するぐらいはできるはずです」
「そうだが、まずはクリュフバルド侯爵に借りている金を返してからの話だ」
デニスは溜息を吐いた。
ベネショフ領の初めての祭りを住民たちは楽しんでいるようだ。日頃食べられないものを食べ、酒やジュースを飲んで喜んで話を弾ませている。とはいえ、余興がないのが寂しいとデニスは考えていた。
クリュフ領で行われる祭りでは、芝居小屋が建ち役者たちが芝居を披露する。そこまでする余裕がベネショフ領にないのだ。
そんな祭りの様子を不機嫌そうな顔で見ている者がいた。バラス領のヴィクトール準男爵配下の間諜マティアスである。
「エグモントの奴め、サンジュ油で相当儲けたようだな。ヴィクトール様に報告しなければ」
その報告はヴィクトール準男爵を怒らせ、ベネショフ領に対する憎悪を燃え上がらせた。
「クソッ、本来ならサンジュ油の利益は、バラス領のものになっていたはずだったのだ」
マティアスがヴィクトールに尋ねた。
「いかがいたしましょうか?」
「儂が書状を書く。それを王都のモーリッツ伯爵に渡してくれ」
モーリッツ伯爵は監査官をしている人物で、貴族たちからは恐れられている。監査官は貴族の領地経営や財政状況を調べ上げ、様々な国に貢献する義務を、どの貴族に課すのが適当か報告する役目だからだ。
その報告と領主から提出される報告書で領主は評価され、国に貢献することを命ぜられる。昨年までのベネショフ領は、貧しさ故に国への貢献を免除されていた。
だが、サンジュ油や綿糸により利益を上げ始めたので、来年からは国への貢献を求められるだろうと、デニスたちは覚悟していた。
その貢献にはいくつか種類がある。一つは軍役家臣団の養成である。国が戦争となった時に、領地持ちの貴族は従軍する義務がある。
その時に率いる家臣団を普段から養成しておくことが求められるのだ。準男爵であるブリオネス家は八〇人の家臣団を養成する義務がある。しかし、諸事情によりベネショフ領は家臣団の養成義務を免除されていた。
もう一つは手伝い普請と呼ばれるもので、領地と領地を結ぶ街道整備や川に架かっている橋などを造る仕事を割り振られることである。
領地持ち貴族は、この手伝い普請を嫌っていた。困難なものになると予想される工事が貴族に割り振られることが多かったからだ。
ヴィクトールはモーリッツ伯爵に賄賂を贈り、ベネショフ領に手伝い普請を割り当てるように働きかけていた。
モーリッツ伯爵は清廉潔白な人物というわけではなかったが、ヴィクトール程度の小物から賄賂をもらい、簡単に手伝い普請を割り振るような軽薄な人物ではなかった。
ヴィクトールの書状と賄賂を手渡されたモーリッツ伯爵は、ブリオネス準男爵家に興味を持った。さらに、この貴族は将来伸びるだろうと推測する。
モーリッツ伯爵はニヤリと笑い、ブリオネス準男爵に許可された家臣団の養成義務免除が必要なくなった、と国王に報告した。国王は武闘祭で話をしたデニスを思い出し、軍役規定の家臣団養成をエグモントに命じる書面を書きベネショフ領へ送った。




