scene:83 震脚と転換
フィリピンのハーマンは治癒の指輪を作ると言っているが、『魔勁素』の持ち主が作る迷宮装飾品は真名能力者でなければ使えないはずだ。
そのことを確認すると、フィリピンでは真名能力者の人数が多いようだ。その中で志を同じくする真名能力者たちに治癒の指輪を配布して各地域の医療に役立てるというのがハーマンの計画のようだ。
「アメリカのように、魔源素結晶をエネルギー源にするような迷宮装飾品を作るのかと思ったが、違うようだな」
「当たり前です。そういう技術があったとしても、魔源素結晶は高いですからエネルギー源にするほど買えません」
雅也は複雑な表情を浮かべた。その高い魔源素結晶を作っているのは自分なのだ。魔源素結晶の適正価格について考え始めた。だが、希少性と需要量を考えれば高いとは言えない、と結論した。
そんな高い物をエネルギーとして消費しようと考えるアメリカが異常なのだ。雅也は魔源素結晶ではなく微小魔源素結晶をエネルギー源とする迷宮装飾品が作れないかと考えた。
雅也がボーッと考えていると、ハーマンが声をかけた。
「どうかしましたか?」
「誰でも使えるような治癒の指輪が作れるようになったらいいと思わないか?」
ハーマンが首を傾げて考え始めた。
「どうでしょう。アメリカの治癒の指輪みたいなものですよね。……誰でも使えるということは、盗んで使おうと考える者も出てきそうで、ちょっと管理が難しくなりそうです」
そういう面を考慮すると、志を同じくする真名能力者に預けて貧しい地域の医療を助けるというハーマンの方法がベストのように思えてきた。
ちなみに、フィリピンのクールドリーマーは、ハーマンのバディが住む国にバディがいることが多いという。地球と異世界は何らかの方法で繋がっているのかもしれない。
雅也はふと疑問を感じた。ハーマンのバディがいる国には迷宮が少ないと言っていた。なのに、なぜ真名能力者が多いのだ。
雅也はハーマンに、その点を質問した。
「ああ、バディの住んでいる国の風習です。成人する者は全員が迷宮に行って、真名能力者とならなければいけないのです」
面白い風習だと雅也は思った。ベネショフ領で取り入れれば、住民の生活向上に繋がるかもしれない。この情報を聞けただけでも、親睦会に出席して良かった、と雅也は喜んだ。
全体的には和やかな雰囲気で真名能力者同士の交流が進んでいたが、一ヶ所だけ剣呑な雰囲気になっている一角があった。
先ほどのボーエンと獅子王が会話をしているところである。
「日本は、いつもアジアの盟主気取りでいるが、実際にアジアを主導しているのは我が国だ」
獅子王が不機嫌な表情を浮かべた。
「失礼だな。盟主気取りは中国じゃないのか」
「我々はアジアの平和を願って努力しているだけだ」
「ふん、中国の『一帯一路』は、覇権主義を実現する戦略だろ」
「馬鹿を言うな。中国はアジアの発展のために新たな経済圏を築こうとしているのだ」
二人の論争が周りに伝わり始め、中国側と反中国側に分かれ言い争いが始まった。親睦会のはずが、言い争いの場になってしまう。
黒部が難しい顔で、その様子を見ていた。雅也が近寄り声をかける。
「止めなくていいのか?」
「この親睦会に関しては、サポート役で表には出ないことになっているんです」
京極審議官は騒ぎを収めようとしているが、無意味に右往左往しているだけ。騒ぎは大きくなっている。
「あのおっさん、全然使えないじゃないか」
「審議官ははったりと忖度で出世した人物ですから、こういうケースには不向きなんですよ」
雅也は言い争っている中国人の真名能力者の中に、ニヤニヤと笑っている者がいるのを発見した。
「中国側は、親睦会を潰そうとしているんじゃないか?」
「そのようです。日本が主催しているのが気に入らんのでしょう」
「このままエスカレートして、喧嘩にでもなれば日本の大失態と言われそうだぞ」
「困りました。私が声をかけても鎮まりそうにありませんよ」
言い争っている真名能力者たちは、かなり興奮しているようだ。
「俺が注意を引こう。静まったら、黒部さんが収めてよ」
「お願いします」
雅也は『怪力』の真名を解放し、右足を持ち上げて床に叩きつけた。中国武術で『震脚』と呼ばれる技法に似ている。当然、凄まじい音が響き建物全体が振動した。
何事かと真名能力者たちは言い争いをやめ、周囲に注意を払う。その時、黒部の張りのある声が響いた。
「皆さん、ここは親睦会です。政治経済の話はやめて、真名能力者同士の有益な情報交換をしようではありませんか」
黒部が一分ほど話して言い争いを鎮めた。雅也は争いを鎮めた黒部の手腕を褒める。
「さすが、部長に昇進しただけのことはある」
「おかげで京極審議官から睨まれてますよ」
雅也が京極審議官の方を見ると、不満げな顔でこちらを睨んでいる。手柄を独り占めしやがって、と思っているのだろうか。面倒臭い人物である。
仁木とハーマン、それに獅子王が近寄ってきた。
「余計な真似をしてくれたな。もう少しで奴らを論破できたのに」
獅子王は、これが親睦会だということを忘れているようだ。
「それは済まなかったな。親睦会に言い争いはまずいと思ったんだ」
それを聞いた獅子王は、不機嫌そうに顔を歪めた。
仁木がホテルの床をチェックして、口を開いた。
「こりゃあ、弁償だな」
床のタイルが破壊され、足の形に陥没している。雅也も『怪力』を使った場合の破壊力を分かっていなかったのだ。
「そんな……黒部さん」
助けを求めるような目で、雅也は黒部を見た。
「注意を引くようにお願いしましたが、これはやりすぎでしょう」
黒部が躱したので、雅也は情けない顔をしてホテルの人間に事情を話した。結局、雅也が修理代を出すことになった。力加減を間違った自分が悪いのだと反省する。
ハーマンが雅也の傍まで来て、小声で告げた。
「先ほどの礼として、ちょっとした情報を教えます。一時期、アメリカは『転換』と呼ぶ真名を探していたようです。彼らが作る治癒の指輪と関連するのかもしれません」
雅也は『転換』と聞いて、『転写』を連想したが、関係ないと打ち消した。何を何に転換する真名なのだろう。
「もしかして、魔源素を真力に転換するのか」
そう呟いた雅也は、京極審議官に視線を向けた。問い詰めようかと思ったのだ。
だが、やめることにした。正直に答えるとは思えないし、警戒されるだろう。『転換』の真名については、デニスに調べてもらおうと決めた。
親睦会が終わり、マンションに戻った雅也はメールをチェックした。
「また芸能事務所から、誘いのメールか」
ミウの所属事務所である新星芸能事務所からのメールだった。
「ん……お詫びのメール……何だ?」
そのメールによると、ミウとマイの練習の時に歌った音楽データがネットにアップロードされ、拡散されているらしい。
「な、何だって!」
雅也はネットで検索し見つけた。あるサイトに『坂東28に驚くべき隠し玉w』というタイトルで、雅也が遊びで歌った曲を録音したものが動画として存在していた。
動画なので、映像は坂東28の画像が映し出されているのだが、流れている歌は雅也の声だった。そのアクセス数が異常だった。
「三〇万だって、こんな短期間に……」
アップロードされたばかりだというのに、凄い勢いで広まっているようだ。
「クソッ、アップロードしたのは誰だよ」
書き込まれたコメントを読むと、雅也の顔が強張った。
『歌の神降臨!!』
『女神の方が良かった』
『あの芸能事務所には、こんなに歌える歌手はいなかったはず……新星か?』
雅也はコメントを読んで目眩を起こしそうになる。何とかしなければと思い、マネージャーの東山に連絡を取った。
東山の説明では、ミウとマイが聞いていた雅也の歌をメンバーが欲しいと言ってコピーし、それがネットにアップロードされたらしい。
「勘弁してくださいよ。そちらで対処してください」
東山はネットにアップロードされた動画を削除したらしいが、その時点では遅かった。雅也の歌は拡散し、ネットで評判になっていた。
最初は坂東28のファンだけだったようだが、他にも広まり新星芸能事務所に問い合わせが殺到したという。




