scene:7 探偵と道場
探偵とは、どんな仕事なのかも雅也は碌に知らなかった。そこで、事務所のソファーに座り、冬彦から説明を受けた。
「ふむ、浮気調査や素行調査、それにペット探しか」
「その他にも、浮気のアリバイ工作などの小さな依頼もある」
「へっ、そんなことも……それで、この探偵事務所が得意としているのは、何だ?」
雅也の質問に冬彦が、考え込む。その姿を見て、雅也は気付いた。得意分野ができるほど、この探偵事務所は仕事を熟していないのだ。
「いや、質問の仕方が悪かった。この事務所は、どんな依頼を中心に営業していくつもりなんだ?」
「本当は殺人事件なんかの推理をしたかったんだ」
雅也はアホなのという目で、冬彦を見る。
「分かっている。僕だって探偵学校に行ったんだ。探偵が殺人の捜査をしないというのは、知っている」
「探偵学校に行くまでは、推理とかすると思っていたんだな」
冬彦が目を逸らした。雅也が溜息を吐いて、質問の答えを求めた。すると、浮気調査だと答えが返る。
「妥当な選択だな。それで集客の方法は?」
「タウン情報誌やウェブサイトに宣伝を載せてる」
念のために宣伝用のウェブサイトを見た。軽薄そうな笑いを浮かべた冬彦がドーンと表示されている。
「こんなサイトじゃダメだな」
冬彦が腑に落ちないという顔。割りと気に入っているらしい。
「何がダメなの? 僕のナイスな笑顔で悩める人々を惹きつけ、この事務所に呼び込むというサイトなんだけど」
雅也は唸り声を上げた。真面目な顔をしている時、冬彦は好男子の部類に入るだろう。だが、笑った顔が軽そうなのだ。何が軽いかというと、口が軽い、考えが軽いという軽薄な印象である。
「冬彦は笑った顔より、真面目な顔をしている時の方がいいんだ」
「僕は、このサイトを気に入っているんだけど」
雅也はもう一度溜息を吐く。
「はっきり言おう。冬彦、お前の笑い顔は軽薄そうに見える。お客さんの前では、見せない方がいい」
冬彦の顔が『ガーン』という劇画調になった。
「そんな……ヒドイ」
このサイトを見た人間は、絶対に依頼しないと思う。そう確信が持てるほどのサイトを誰が作ったのか、疑問が湧いた。
「このサイトは、業者に頼んで作ってもらったのか?」
「いや、親戚の中学生が、こういうのを得意としてるんだ」
「納得した」
業者に頼んだのなら、もう少しマシなものになっただろう。ちゃんとした業者に頼むことにした。
それから二週間ほどは、見習いとして探偵の仕事をした。サイトを作り直してからは、依頼も増えた。ただ冬彦が望んでいた浮気調査ではなく、迷子ペット探しの依頼である。
探偵事務所のある都市は、街の中心街から離れると住宅地が広がっている。そこにはペットを飼っている家が多いらしい。
「先輩、そっちに行きましたよ」
雅也と冬彦は、空き地に追い込んだ迷子猫を捕まえようと奮闘していた。目的のシャム猫は、動きが素早く捕獲に苦労している。
雅也は頬を引っ掻かれ傷を負いながらも、シャム猫を捕まえた。
「ふうっ、酷い目に遭った」
「さすが先輩です。今月は三件目の成功ですよ」
「そうだな。でも、引っ掻き傷が増えたぞ」
「名誉の負傷です」
「猫に引っ掻かれて、名誉も何もないだろ」
「先輩が鈍臭いんですよ」
「酷い言い方だ。前に軽薄だと言ったことを根に持っているのか?」
「違いますよ。現に僕は無傷です」
雅也自身、自分の肉体が衰えているのを分かっていた。ここ数年、仕事が忙しく机にしがみ付いて設計の作業ばかりをしていた。
学生時代までは、友人と山に登ったり海に行ったりしていたので、そこまで肉体の衰えを感じなかった。だが、三〇を過ぎた頃から、衰えたと感じる時が多くなった。
「身体を鍛えようかな」
「僕が通っているジムを紹介しようか?」
「んー、ただ身体を鍛えるだけじゃな。何かスキルアップに繋がるようなものはないか?」
冬彦が困惑する。
「スキルアップって……何です?」
「武道を習うとかさ」
「探偵のスキルアップに武道は関係ないような気がしますが、一人武術家を知っていますよ」
雅也は疑わしそうに冬彦を見た。
「何です、その目は。高校生の頃、武術を習いたいと父に言った時、探し出してくれた先生なんですよ」
「ほう、貴文さんが探したのなら、信頼できそうだな」
「どういう意味ですか」
「いいじゃないか。貴文さんは信頼できるということさ」
貴文というのは、冬彦の父親で物部ホールディングスの会長である。物部グループを大きくした人物であり、財界で大きな影響力を持つ傑物だった。
冬彦が言った武術家というのは、探偵事務所からも近い場所に在住していた。車で二〇分ほどの住宅地の外れにある屋敷である。
冬彦に案内され中に入る。武士の屋敷みたいな建物に、道場らしいものがある。屋敷にいたのは、小柄な優しい笑顔をした初老の男性だった。
「宮坂師範、お久しぶりです」
「ふん、冬彦か。半年で逃げ出したお前が、また訪ねてくるとは」
「やだな。逃げたわけじゃないですよ。ちょっと忙しくなっただけです」
宮坂師範は幼い頃から少林寺拳法を学び、後に一刀流と示現流を学び独自の宮坂流を創設した猛者である。
「始めまして、冬彦の友人の聖谷雅也です」
「宮坂弦蔵だ」
雅也と宮坂師範が挨拶を交わした。宮坂師範は自宅の道場で少林寺拳法を教えているらしい。生徒は小学生から中学生までの少年少女が多く、高校生になると受験勉強で辞めるそうだ。
「ここに来たということは、少林寺拳法を習いたいのかな」
雅也は頭を下げ、
「はい。ただ、少林寺拳法だけでなく剣術も、お願いします」
宮坂師範が驚いた顔をする。
「それはまた、珍しい。理由を訊いてもよいかな?」
雅也は少し考えてから、猫に付けられた傷を見せる。
「現在、冬彦のところで探偵をしているのですが、迷子猫に引っ掻かれることが多いんです。昔なら避けられた攻撃に反応できないんですよ」
宮坂師範が奇妙な顔をした。
「すると、猫と戦うために武術を習いたいと?」
「それに身体が鈍ってきたので、少し鍛えようと考えています。そんな理由じゃダメですか?」
「いや、ダメではないが、中途半端なものになりそうだと思ったのだ」
「師範にとって、良い弟子にはなれないかもしれません。それでもよければ、お願いします」
宮坂師範は入門を許可した。元々来る者は拒まずだったようだ。雅也は原付バイクを買って、バイクで道場に通うようになった。