scene:75 王都の武闘祭
ゼルマン王国の森が色づき秋が訪れた頃。王都モンタールでは、一つのブームが起きていた。クリュフ領で織られた綿織物を仕立てた服である。
クリュフ領はベネショフ領から仕入れた糸を鮮やかな染料で染め、大量の綿織物を生産した。これが可能だったのは、クリュフに染めの技術や機織り技術を持つ優秀な人材が存在したからだ。
クリュフバルド侯爵は、ベネショフ製の綿糸を使った下着を製作し王家へ献上した。この献上品を受け取った国王は、肌触りや出来栄えが一段上の献上品を褒めたらしい。
それを聞いた貴族たちが、クリュフで作られた綿織物を買い求め人気に火が点いたようだ。貴族といえば、絹の服を着ていると思われがちであるが、実際に絹の服を着るのはパーティーや王城へ登城する時だけで、普段は綿織物や麻織物が多い。
そういうことで、ベネショフ領から仕入れた高品質の綿糸は瞬く間に布となり王都で販売された。高品質の綿糸を使い尽くした侯爵は、ベネショフ領に使いを送り追加の綿糸を注文した。
機織りを始めようとしていたベネショフ領では、エグモントとデニスが戸惑った。追加注文が来るとは、思ってもみなかったからだ。
「どう対応しましょうか?」
デニスはエグモントに尋ねた。エグモントは苦い顔をして腕組みをすると、溜息を吐いた。
「あの細い綿糸で作った綿織物が、売れているということだろう」
「だったら、ベネショフ領でも織って王都で売れば……」
デニスの提案をエグモントが止めた。クリュフ領の染色・機織りの技術者は優秀で、同じものは作れないと言うのだ。デニスは時間さえあれば、同じものを作れるようになると考えていた。だが、現時点ではエグモントの意見が正しいと認める。
クリュフ領に高品質の綿糸を売らずに、ベネショフ領で生産した綿織物を王都で売るということは可能だ。しかし、それはクリュフバルド侯爵の怒りを買うことになるだろう。
西部地方はクリュフ領を中心に発展してきた。侯爵を怒らせれば領地経営が難しくなる。二人は相談し高品質の綿糸をクリュフ領へ売ることで、侯爵と良好な関係を築くことにした。
とはいえ、織物産業を諦めたわけではない。染色と機織りの技術を少しずつ蓄積し、ベネショフ領独自の製品を発表できるようになれば良いと考えていた。
「ところで、来月までに五〇〇束の綿糸は間に合いそうなのか?」
「たぶん大丈夫。ただ将来を考えると、綿繰り機や綿打ち機、ドラム式カード機、手動式ミュール紡績機は数を増やしたいと思っているんです」
「そうすると、また部品を作りに王都へ行くのか?」
「仕方ないよ。ベネショフ領では作れないんだから」
秋の中頃には、サンジュ油の生産もあるので、早めに王都へ行くのが良いだろう。
「綿糸の生産は誰に任せるのだ?」
「カルロスの次男ヘルベルトに、任せようと思う」
ヘルベルトには、綿繰りの作業を始めた頃から手伝ってもらっている。真面目で頭の良いカルロスの次男を、紡績工場の工場長に育てようと考えていた。
「いいだろう。王都には誰を連れて行く?」
「リーゼルさんとカルロスかな」
「なぜ、リーゼルなんだ? あの娘は王都から来たばかりだろ」
「彼女は、王都にあるギルド本部の所属なんだけど、一度王都に戻って所属をクリュフ支部に変える手続きをしたいらしいんだ」
探索者ギルドに所属する者は、所属支部の依頼を半年に一回以上は請け負わねばならないという規則があるらしい。そのために王都まで戻るのは大変なので、所属をクリュフ支部に変えたいという。
「そういう事情なら、仕方あるまい」
エグモントが納得したので、王都へ行く準備を始めた。鍛冶屋のディルクは、王都の工房に頼む部品以外を製作する仕事が忙しくて行かないことになった。
出発する直前、アメリアが王都へ行きたいと言い出した。秋の武闘祭を見物したいらしい。エリーゼはアメリアが王都へ行くことに反対した。
「デニスは武闘祭を見物に行くのではなく、仕事で行くのですよ」
「でも、ちょうど王都に到着する頃、武闘祭があると聞きました。ゲラルト兄さんの応援をしたいの」
アメリアは長男のゲラルトから武闘祭の話を聞いたようだ。エリーゼが反対するので、アメリアはエグモントに頼んだ。エグモントは基本的に娘に甘い。結局、アメリアに許可を出した。そればかりか、フィーネやヤスミンも同行することも許した。
思いがけず女性の比率が高くなったデニス一行が旅立った。
「デニス様、兵士たちを連れてきても良かったのでは?」
「今は収穫の時期だ。ベネショフ領では、一人でも労力が欲しいはず」
夏から秋にかけては様々な作物の収穫作業があり、兵士たちも目が回るほど忙しくなる。ベネショフ領では少ない官吏の役割を兵士たちが代わって果たしているからだ。
今回は馬車ではなく、徒歩により王都へ向かった。アメリアたちは大丈夫かと心配したが、迷宮で鍛えた彼女たちは全然平気なようだ。
デニス一行はユサラ川を渡し船で渡り、バラス領に入った。他領の町を初めて見たフィーネとヤスミンはキョロキョロと見回した。一方、デニスはバラス領が少し活気を失くしているように感じる。
「カルロス、バラス領で何かあったのか?」
「ヴィクトール準男爵が、税を上げたからでしょう」
バラス領では今年から税を五パーセント上げた。それには理由があるはずだ。デニスはバラス領の動きを探らせようと思った。
バラス領を抜けて数日。ダリウス領に入った頃から、武装した者たちが王都へ向かう姿を時々見るようになる。武闘祭に出場する者たちのようだ。
武闘祭は、二部門に分けて行われる。一五歳未満の子供だけが出場できる少年の部と誰でも出場できる一般の部である。
「クルトも出場するのかな?」
ベネショフで一緒に修業したヨアヒム将軍の息子のことを、アメリアが思い出していた。
「きっと出場するぜ」
「私も出場すると思う」
フィーネとヤスミンもクルトが出場すると予想した。一緒に修業している頃に、武闘祭に出て優勝するんだとクルトが言っていたからだ。
王都に到着し宿を探す。この時期は、武闘祭を見物に王都を訪れる者が大勢いて、空き部屋がないところも多い。デニスたちは何とか二部屋確保した。
デニスとカルロスは、工房を回って部品を発注した。ところが、武闘祭の期間は仕事を休む工房も多くあり、出来上がるのは武闘祭が終わった後になるようだ。
デニスとアメリアは、ゲラルトのところへ行って応援していると伝えた。
「兄さん、優勝できそうなの?」
「無理言うなよ。王都の武官の中には、トロールを倒した奴もいるんだぞ」
ゲラルトの目標は、三回勝って四回戦に出場することだそうだ。四回戦に出たという事実は、武官としての実績としてプラスされる。
ちなみにトロールは、オーガのワンランク上の魔物だ。オーガでさえ倒すのに苦労したのに、その上の魔物だとなると、今のデニスでは勝てないだろう。しかもトロールは『怪力』『鉄壁』という二つの真名を持っている。
そのトロールを倒したのが、優勝候補と言われるレオポルト・ザイデルだ。元探索者で、現在はダリウス領の紅旗領兵団の副団長になっている。
ダミアン匪賊団の件で失態を演じた紅旗領兵団を増強する目的で、探索者だったレオポルトをスカウトしたようだ。
武闘祭の一般の部には、二〇〇名以上が参加する。一回戦で一二八名に絞り込み、二回戦で六四名、三回戦が終わり四回戦を戦えるのは三二名となる。
ゲラルトは、その三二名の中に残るために努力している。実力的には半々の確率で残れそうだと言う。後は幸運の女神が微笑むかどうかだ。
「ゲラルト兄さん、頑張って。あたしも応援しているからね」
アメリアから応援の言葉を贈られたゲラルトは微笑んで頷いた。
二人はゲラルトと別れて宿に向かった。王都の大通りは、お祭りの時のように人が多くなっている。もう少しで宿が見えるという地点まで来た時。
「貴様、どういうつもりだ!」
通りに大声が響き渡った。三〇メートルほど先に人垣が出来ている。デニスとアメリアは近づいて覗いた。人垣の向こうに、身長二メートルほどもありそうな大男が、三人のゴロツキの前に立っている。叫んでいるのは、ゴロツキの一人だ。
「五月蝿い奴らだ。邪魔だから、『どけ』と言っただけだ」
ちょっとしたことで諍いになったようだ。野次馬の一人が大男を指差して告げた。
「あの大男、『巨人殺し』のレオポルトじゃないか」
ひと目で只者じゃないと分かる大男は、武闘祭で優勝候補のレオポルトだったようだ。アメリアがポカーンとした顔でレオポルトを見詰めている。あまりの大きさに驚いているのだろう。
「あんなのと戦ったら、ゲラルト兄さんが死んじゃう」
アメリアが怯えたような表情を浮かべて言った。
「身体の大きさだけで、勝敗が決まるわけじゃないぞ」
「でも、武闘祭は木剣で戦うんでしょ。絶対不利だよ」




