scene:64 将軍の息子
王都に滞在しているデニスは、グラッツェル男爵家に婿入りした兄ゲラルトのところへ挨拶に行った。王都に来たので、挨拶だけでもしようと思ったのだ。
屋敷に到着すると、兄嫁のカサンドラが迎えてくれた。カサンドラは色白のほっそりとした女性で、貴族の淑女は斯くあるべしという感じの女性だった。
「まあ、デニスさんいらっしゃい。今日はお一人なの?」
「はい、王都に用があって来たのですが、挨拶だけでもしようと参りました」
「そうなの、嬉しいわ。さあ、入って」
リビングに通されたデニスは、カサンドラのお腹が少し膨らんでいるのに気づいた。
「もしかして……」
「ええ、子供を授かったみたいなの」
カサンドラが嬉しそうに顔を綻ばせる。デニスは自分が叔父さんになるのだと分かり、少し複雑な気分になった。
「おめでとうございます。今度来る時に、お祝いを持ってきます」
「そんな気遣いは無用よ。ベネショフ領の領地経営は厳しいんでしょ」
ゲラルトがベネショフ領の状況を話したようだ。
「心配いりません。陛下から塩田の許可が下りたので、少し楽になったんです」
「父上から聞きました。新しい方式の塩田を考えられたそうね。陛下からもお褒めの言葉を頂いたとか」
カサンドラと話をしていると、グスタフが帰ってきた。
「おかえりなさいませ」
帰ってきた父親に、デニスが来ていることをカサンドラが伝えた。
挨拶を交わしたデニスとグスタフは、カサンドラが淹れてくれたお茶を飲みながら話を始めた。
「城でベネショフ領のことが話題になっていたよ」
「えっ、何のことでしょう?」
ベネショフ領の塩田を見学に来た貴族たちが、その仕組みに感心して王都で話を広めたようだ。それに加え、屋敷に設置されていた発光迷石ランプの明るさも話題になったらしい。
「そういえば、兄は忙しいのですか?」
帰りが遅いゲラルトのことが気になり、デニスが尋ねた。
「ああ、ミモス迷宮へ行っているからだ」
「迷宮へ……真名を手に入れるためですか?」
「そうだ。王都警備軍では、幹部候補に真名の取得を奨励しているのだ」
王都警備軍は王都モンタールを守る精鋭部隊と言われている。その精鋭中の精鋭が王族を守る近衛部隊であり、ゲラルトはその近衛部隊を目指して頑張っているようだ。
「ミモス迷宮では、どんな真名が手に入れられるのです?」
「ファングボアの『豪脚』、オークの『豪腕』、コボルトの『敏速』、火蜥蜴の『火炎』が有名だ。下層には伝説級の魔物がいて、倒せば強力な真名が手に入るらしいが、それは難しい」
ただミモス迷宮は、多数の鉱物や貴重な植物を狙って多くの探索者が潜っているので、比較的安全な上層で真名を手に入れるのが難しくなっているという。
日が落ちようとする頃、ゲラルトが帰ってきた。
「デニスじゃないか。いつ王都へ来たんだ?」
「二日前だよ。それより、カサンドラさんから聞いたよ。子供が出来たんだって、おめでとう」
ゲラルトは照れたように笑った。グスタフが厳しい顔をして確認する。
「それで目的の真名は手に入ったのか?」
「面目ない。ダメでした」
春が終わり夏になったばかりの時期には、大勢の軍人がミモス迷宮に潜り魔物を狩り尽くす。結果、魔物の取り合いになり、真名を得るのが難しくなっていた。
この時期に真名を手に入れようとしているのには理由がある。秋に武闘祭があり、そこでいい結果を残すために真名を手に入れようとしているのだそうだ。
「武闘祭か、見てみたいな」
「今度、見に来ればいい。ところで、岩山迷宮で真名を手に入れるのは、簡単なのか?」
「簡単ではないけど、ミモス迷宮よりは確実に手に入ると思う。でも、どんな真名を手に入れたいかによるかな」
ゲラルトは『豪脚』と『豪腕』、それに『頑強』を手に入れたいらしい。
「『豪腕』は手に入る。『豪脚』は影の森迷宮に行けば大丈夫。でも『頑強』は無理かも。似たような真名はあるんだけど」
「その真名はどんなものだ?」
「鎧トカゲから手に入る『装甲』だよ」
その答えにグスタフが声を上げる。
「珍しい。『装甲』の真名は『頑強』よりも使い勝手がいいと言われている真名ではないか」
ゲラルトが岩山迷宮の詳しい状況を知りたがり、デニスは七階層まで下りれるようになったことを話した。ゲラルトは、大きな溜息を吐いた。
「私も岩山迷宮へ潜ったことがあるんだ」
「どこまで?」
「三階層までだ。赤目狼が一匹だけだったら倒せたんだが、二匹以上現れたんで逃げるしかなかった」
ソロで迷宮に潜った場合、何らかの真名か卓越した技量を持っていないと赤目狼の群れを突破できない。ゲラルトも例外ではなかったのだろう。
グスタフが一つの提案をした。ゲラルトを岩山迷宮で鍛えてもらえないかというものだ。
「お義父さん、待ってください。ベネショフ領までは遠いのです。そんなに長く仕事を休めません」
「そこは、任せておけ。それより、次期領主であるデニス君が承知してくれるかどうかだ」
ゲラルトは身内なので、拒否する理由はなかった。デニスは承諾する。喜んだゲラルトは、カサンドラにご馳走を用意させた。
翌日、グスタフはゲラルトの上司である王都警備軍のヨアヒム将軍に面会して、ゲラルトの長期休暇を願い出て許可をもらった。
グスタフと将軍とは学生時代からの友人で、今でも飲み友達なのだ。
「グスタフ、許可する代わりと言ってはなんだが、儂の息子も一緒に鍛えてくれんか?」
「息子というと、クルト君のことか」
将軍の息子であるクルトは、幼年学校に通う一一歳の少年である。他の子供たちより記憶力が良く、剣の才能があったクルトは、ガキ大将のような少年に育っていた。
「ああ、最近のクルトは増長しておる。一度叱ったのだが、変に拗ねてしまった」
「だが、ベネショフ領の次期領主殿が承知しなければ無理だ」
「分かっている。デニス殿に頼んでくれないか」
グスタフの頼みにより、デニスは将軍の息子を引き受けた。兄の義父であるグスタフの頼みということもあるが、ヨアヒム将軍に貸しを作るのもいいと考えたのだ。
部品が出来上がり、王都を去ることになったデニスたちに、同行者が三人増えていた。ゲラルトとクルト、それにクルトのお目付け役となる従士ライナルトである。
「俺が何でベネショフなんて田舎に……」
クルトがブツブツ言いながら不満そうな顔で歩いている。デニスより少し低いくらいの背丈、肩幅は広く手足が長い。恵まれた体格だ。
ライナルトが溜息を吐いて、クルトを諌める。
「クルト様、これは将軍が命じられたのですよ」
「父上は間違っている。そんな田舎で、俺が学べるものなんかない」
デニスは部品を積んだ荷車を引きながら、仏頂面で旅をしているクルトを観察した。甘やかされて育ったらしく少し疲れてくると愚痴が多くなる。
「デニス様、私が代わります」
カルロスが荷車を引くのを代わった。デニスは荷車をカルロスに渡し、荷車の上に置いてあった剣を掴み上げた。この剣は金剛棒の中から出てきた剣である。
鍛冶屋のディルクに剣を調べてもらうと、緋鋼で作られているという。緋鋼というのは、迷宮から産出される鉱物で鋼鉄の数百倍の強度があるらしい。
見た目はすぐに折れそうな細剣である。だが、大剣に分類されるクレイモアやバスタードソードと打ち合っても折れないだけの強靭さを持っていた。
デニスは朱塗りの細い鞘と黒い柄を作らせ、ちゃんとした剣の形に整え『緋爪』と名付けた。
その剣を見たクルトが、デニスに尋ねた。
「あんた、クルツ細剣術を習っているのか?」
「いや違う。僕の流派はミヤサカ流だ」
「だけど、細剣術なんだろ」
「この剣を見て細剣術だと勘違いしたんだろうが、この緋爪は最近手に入れたばかりの剣だ」
「ふん、安物の剣に名前なんて付けて。家宝にでもするのか?」
言い方にカチンときたが、相手は子爵であり王都の将軍でもある貴族の跡取り息子だ。デニスは静かに首を振った。家宝にして仕舞っておくなんて贅沢はできない。武器は高いのだ。
「そういう君は、どんな剣術を習っているんだ?」
「俺はハルトマン剛剣術だ」
クルトの態度から、それなりに道場で鍛えたのだろうと分かる。但し、道場での稽古と実戦とは違う。デニスはクルトが実戦でどれほど戦えるのか興味を持った。
その実力を試す機会が、すぐに訪れた。道の左側にある森からマダラ熊が現れたのだ。背中にまだら模様がある熊で、大きさは大柄なカルロスより頭一つデカイ。
カルロスが荷車を停めて、長巻を構えた。ゲラルトも剣を抜き構える。クルトはマダラ熊の大きさに威圧されたようで、ピクリとも動かない。
「何をしている。剣を抜け!」
グスタフからクルトを鍛えてくれと頼まれているゲラルトが、厳しい声をかけた。その声であたふたと剣を抜くクルト。デニスはクルトを少し試してみることにした。
「よし、剣を抜いたな。戦ってみろ」
クルトが前に出ようとして足が止まる。マダラ熊が殺気をはらんだ目で睨んだからだ。
「冗談を言うな。こんな奴との戦い方なんて習ってない」
クルトは馬鹿ではなかったようだ。分厚い筋肉と丈夫そうな毛皮で包まれた熊の肉体は、クルトの持つショートソードでは歯が立たないだろう。
「私が相手をしましょう」
カルロスが声を上げた。カルロスの持つ長巻は、刀身が分厚く出来ている。その重さとオークを倒して手に入れた『豪腕』の真名を使えば、マダラ熊を仕留められる。
「いや、僕が相手するよ。この緋爪の切れ味を試したかったんだ」
デニスは鞘から緋爪を抜いた。陽光の中で緋色に輝く刀身が姿を現し、ゲラルトやクルトが目を丸くする。
緋爪を上段に構えたデニスは、その構えのまま突っ込んだ。マダラ熊が鋭い爪がある腕を振り下ろした。それを躱したデニスが、飛び上がってマダラ熊の首を撫で斬る。
頑丈そうに見えた首が、その一閃で刎ね飛んだ。緋爪の凄まじい切れ味を証明した一撃だった。




