scene:62 デニスの躓き
デニスはクリュフに出掛ける支度をした。クリュフの倉庫に保管されている綿を確認しに行くためだ。同行するのはカルロスとハンネスである。
「クリュフバルド侯爵は、綿を大量に持っておられるのか?」
「ええ、ヌオラ共和国から賠償金代わりに王家が受け取った綿です。侯爵も大量にありすぎて困っているようです」
五年前の戦いで負けたヌオラ共和国が現金の代わりに綿で賠償金を支払うようになった。王家は、その綿を戦功のあった貴族に渡している。
綿を生産していない領地なら喜んで受け取るのだろう。しかし、クリュフ領の産業の一つに綿花栽培がある。自領でも作っている綿を王家からもらっても嬉しくない。それどころか倉庫代だけ赤字になる。
「そこで我々が綿の加工を引き受け、綿繰り・綿打ちなどを行い他領に販売しているのです」
ハンネスは販売の仲介だけでなく、綿の加工もしていたらしい。デニスが確認した綿は、綿から種子を取り除く綿繰り、綿繊維の塊でしかないものをふわふわの綿にする綿打ちが終わった綺麗な綿である。
加工済みの綿は、未加工の綿より五倍ほど値段が高くなる。それだけ手間と時間がかかっているのだ。デニスはベネショフ領で綿から糸を紡ぐ紡績と織物を産業にしようと計画しており、加工済みの綿が必要だった。
クリュフに到着したデニスは、綿の保管倉庫に行った。クリュフバルド侯爵家が所有する倉庫は、広大な敷地に数多く建てられていた。
ハンネスは倉庫群の中から小さな倉庫が並んでいる場所に案内した。倉庫番がおり、その倉庫番にハンネスが声をかけた。倉庫番は商人らしい女と話をしていた。やたらと色気のある女性で、カルロスの目が釘付けになっている。
「カルロス、失礼だぞ」
デニスが注意すると、カルロスは顔を赤らめ視線を逸らす。
「二六番倉庫にある綿を確認したい。開けてもらえないか」
ハンネスの声で、倉庫番は二六番倉庫の鍵を開けた。
「どうぞ」
ハンネスは中へと案内する。倉庫の中には綿が入った袋が山積みとなっていた。
「確認させてもらうよ」
デニスは一番近くにあった袋を開ける。中にある綿を引っ張り出した。ベネショフ領で確認した綿と同じ品質のものが入っていた。
一つだけでは安心できないので、いくつか開けて中の綿を確認する。
「間違いないようだ」
「ご安心ください。我々は騙すようなことはいたしません」
デニスとハンネスは契約を交わし、出荷と同時に金を渡す約束をした。金額は金貨七五枚、ベネショフ領にとって、安い買い物ではなかった。ただ綿を糸へ布へと加工すれば、一〇倍二〇倍にもなる。
カルロスに頼んで、ベネショフ領から荷車と人手を集めてもらった。数日後、二六番倉庫の前に荷車を並べ、綿を積み込む。
積み込む綿を一袋だけ確認した。間違いない綺麗な綿だ。ハンネスが近づいて声をかけた。その視線はデニスの様子を探るようなものに変わっていた。
「デニス様、慎重なんですね」
「ここは侯爵の倉庫だから間違いはないと思うんだけど、『念には念を』という言葉もあるからね」
ハンネスが笑った。しかし、その目の奥には別の思惑が潜んでいるように、デニスには思えた。
「デニス様、そろそろ積み込みも終わりそうですので、お支払いを」
「分かった」
デニスは金貨の入った袋を、ハンネスに渡す。ハンネスは金貨の枚数を数え頷いた。
取引が終了したデニスたちはベネショフ領へ向かう。
「無事に取引も終わり、ホッとしました」
カルロスがデニスと肩を並べて歩きながら声をかけた。
「そうだな。だけど、ハンネスが最後に見せた目つきが気になる。あれは商人の目つきではなかった」
「しかし、調べた綿はちゃんとしたものでしたよ」
デニスは頷いた。
ベネショフに戻り綿を倉庫に仕舞おうとした時、ハンネスの目つきを思い出したデニスは、袋を開け中身を確認した。袋には綺麗な綿が入っていた。
「大丈夫……ん!」
袋に綿花の種子が付いているのが目に入った。デニスは袋から綺麗な綿を掴んで取り出した。その下には種子が付いたままの綿が詰まっていた。
「やられた!」
デニスの顔に悔しさと怒りが浮かぶ。そして、袋をひっくり返し床に綿をばら撒いた。
「どうしました?」
カルロスが歩み寄る。そして、倉庫の床に散らばる綿を見て顔色を変えた。綿が未加工の綿に変わっている。
「カルロス、部下を連れてクリュフへ行って、ハンネスを捕縛するんだ」
デニスの指示でカルロスはクリュフへ。デニスは他の袋を調べた。全部の袋が未加工の綿に変わっている。袋の入り口付近のものは綺麗な綿だが、残りの部分は未加工な綿だった。
その知らせを聞いたエグモントが倉庫にやって来た。床に散らばる綿を見て事情を察したエグモントは、反省の姿勢を取っているデニスの肩を叩いて戻っていった。
「最後の詰めが甘かった。どう挽回するか……」
デニスは歯ぎしりして拳を床に打ち付けた。
「痛っ!」
クリュフに派遣したカルロスは、手ぶらで戻ってきた。あの商人には逃げられたという。ハンネスの仲間が倉庫番を買収し、自由に倉庫へ出入りできるようになっていたそうだ。
デニスは挽回策を考えたが思いつかず、雅也に協力を要請することにした。雅也は産業革命の時代に発明されたホイットニーの綿繰り機、綿打ち機、それに綿に櫛を通して繊維の方向を揃えるドラム式カード機を調べ上げ、ベネショフでも作れる機械の設計図を用意した。
これらの設計図は、日本にある機械設計事務所に依頼して作成したものだ。条件は開発途上国のような鍛冶屋レベルの技術しかない地域で製造できるものとしたので、苦労したらしい。
また動力は手動にしたので、必然的に小型の機械となった。
設計図を鍛冶屋のディルクに見てもらうと、ディルクの技術だと作れない部品があると言われた。
「こんな細かい細工は、俺には作れねえよ。王都にある一流工房じゃないと無理だ」
「そんな……一流工房に頼むと高くつくんだろ」
「仕方ねえよ。本当に手間のかかる仕事になるんだから」
デニスは渋い顔になる。詐欺に引っかかって損したばかり、ベネショフ領の財政は危機的状況だ。
デニスは切り札の一つを切ることにした。王都の商人から発光迷石ランプの販売を打診されていたのを利用しようと決める。
デニスが献上した発光迷石ランプは、白鳥城で使われるようになったらしい。ダンスパーティーなどが開かれる大広間や謁見室などで必要な時に天井に下げられ、眩しいほどの光を提供した。
オイルランプやロウソクとは次元の違う眩しい輝きに、貴族たちは驚き称賛の声を上げたようだ。そして、どこで作られたものか話題になり、出入りの商人に注文したらしい。
商人の何人かは、そのランプがベネショフ領から献上されたものだと探り出し、エグモントに注文の依頼を送ってきた。
デニスは発光迷石が大量に生産できるものでないことと販売できるほど数が揃ったら知らせると返事を書いて送っていた。
デニスはエグモントと相談し、発光迷石を販売することにした。
翌日から、アメリアたちと一緒に迷宮へ行った。一階層で魔源素結晶を製作し『発光』の真名を転写するためだ。
「デニス兄さん、どれくらい魔源素結晶を作るの?」
「そうだな、二〇〇個くらいかな」
アメリアは予想以上に多い数に驚いたようだ。アメリアたちを連れてきたのは、デニスが集中して作業している間に、スライムを寄せ付けないようにするためである。
一度魔源素結晶の製作に夢中になってスライムの電撃攻撃を受け、心臓が止まるんじゃないかという経験をしている。
デニスたちは一階層を周回しながら魔源素結晶を製作し、一日で七〇個ほどを手に入れた。そして、帰る直前に『発光』の真名を転写する作業を行うことにする。
デニスがアメリアたちに先に迷宮を出るように言うと、転写の作業を見たいとアメリアが言い出した。
「私もみたいです」「僕も」
ヤスミンとフィーネも声を上げた。
デニスは今まで転写の作業を誰にも見せるというか聞かせていない。人前で歌うのが恥ずかしかったからだ。だが、真剣な眼差しで見たいと訴えるアメリアたちには敵わなかった。
「仕方ない。この作業は集中しなきゃならないんだ。絶対に声を上げるなよ」
アメリアたちが頷いた。
雅也が選んだ日本の歌は、ゼルマン王国の言語に翻訳して歌わなければ成功しないということが分かっている。どうやら感情を込めるために母国語が最適らしい。
デニスは適当に翻訳し歌うようにしていた。迷宮の地面にリュックを置き、その上に魔源素結晶を並べる。
準備ができると、『発光』と『言霊』の真名を解放し歌い始める。
『言霊』により力を帯びた歌詞が、デニスの口から発せられると、アメリアたちが目を丸くした。その頭の中では、夏の草原や砂浜の風景が浮かび、キラキラと輝く海の幻想が目の前に浮かぶ。
この世界には花火が存在しないので、花火の代わりに木漏れ日や海がキラキラと輝く様子を歌にしている。その歌詞がアメリアたちに効果を表しているようだ。
転写が終わり、デニスが発光迷石をリュックに仕舞ってもアメリアたちは呆然としていた。
「おい、帰るぞ」
デニスの声で三人は我に返る。
「信じられない」「凄いぜ」「ありがとうございます」
三人の発した言葉は違ったが、その心に同様の衝撃を与えたようだ。
翌日から、アメリアたちはデニスが最後に歌う転写の作業を待ち遠しく思うようになった。




